大判例

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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)634号 判決

原告(第一事件)

A

原告(第一事件)

B

原告(第一事件)

C

原告(第一事件)

D

原告(第二事件)

E

右原告ら訴訟代理人弁護士

平栗勲

桜井健雄

大川一夫

被告(両事件)

大阪府

右代表者知事

山田勇

右訴訟代理人弁護士

井上隆晴

青本悦男

細見孝二

右指定代理人

安藤良彦

外五名

被告(両事件)

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

中村好春

外二名

主文

一  被告大阪府は、原告Aに対し、金三〇〇万〇八〇〇円及びうち金二七三万〇八〇〇円に対する昭和六一年三月一八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告大阪府は、原告B、原告C及び原告Dのそれぞれに対し、各金一六一万〇八〇〇円及びうち金一四六万〇八〇〇円に対する昭和六一年三月一八日から支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  被告大阪府は、原告Eに対し、金二三一万一六〇〇円及びうち金二一〇万一六〇〇円に対する平成元年六月九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らの被告大阪府に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、原告らに生じた費用の各五分の一を被告大阪府の負担とし、被告大阪府に生じた費用の五分の四及び被告国に生じた費用のすべてを原告らの負担とし、各当事者に生じたその余の費用は各自の負担とする。

事実及び理由

(注)略語等の用語例

本判決においては、本文に個別に記載するほか、第一事件原告Aを「原告A」(但し、「原告」を冠しないこともある。以下、各原告について同じ)、第一事件原告Bを「原告B」、第一事件原告Cを「原告C」、第一事件原告Dを「原告D」、第二事件原告Eを「原告E」、以上五名をまとめて「原告ら」、甲野春男を「甲野」、両事件被告大阪府を「被告府」、両事件被告国を「被告国」、大阪府貝塚警察署を「貝塚署」、同泉佐野警察署を「泉佐野署」、同高石警察署を「高石署」、同泉大津警察署を「泉大津署」、同泉南警察署を「泉南署」、同和泉警察署を「和泉署」、Gを「G警察官」、Hを「H警察官」、Iを「I警察官」、Jを「J警察官」、Kを「K警察官」、Lを「L警察官」、Mを「M警察官」、Nを「N警察官」、Oを「O警察官」、Pを「P警察官」、Qを「Q警察官」、立岩弘を「立岩検察官」、岡本久次を「岡本弁護士」、山本健三を「山本弁護士」、浜本丈夫を「浜本弁護士」、今口裕行を「今口弁護士」、水谷保を「水谷弁護士」、検察官に対する供述調書を「検面」、司法警察員に対する供述調書を「員面」と、それぞれいう。また、供述調書等の書面の作成日付については、特に断らない限り昭和五四年を意味するものとして、同年一月二二日付けのものは単に「1.22」などと略記する。

第一  請求

両事件被告らは、各自、原告らそれぞれに対し、金二一〇〇万円及びうち金二〇〇〇万円に対する昭和五四年三月八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、後記の刑事事件で取調べを受け、起訴され最終的に無罪となった原告らが、大阪府の警察官により暴行等を受けて意に反して自白させられ、検察官により違法に起訴されたとして、大阪府及び国に対し、国家賠償法に基づき、損害のうち慰謝料を各三〇〇〇万円とし、その一部として各二〇〇〇万円及び本件訴訟の弁護士費用として各一〇〇万円の賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実等

1  本件刑事事件の端緒から原告らの逮捕に至るまでの経緯

(一) 本件刑事事件の端緒と捜査本部の設置

丙川二郎は、昭和五四年一月二二日午後〇時一〇分ころ、大阪府貝塚市沢六二八番地の四所在の同人所有の野菜栽培用ビニールハウス(以下「本件ビニールハウス」という)に栽培している春菊の手入れに行き、同ハウス内に全裸の状態で死亡している女性死体を発見し、同日午後〇時一八分に一一〇番通報した(甲九一)。

これを受けて貝塚署刑事課員らが現場に急行し、現場の見分や関係者からの事情聴取等を行った結果、殺人事件と断定し、大阪府警察本部は、殺人事件担当のR警部を班長とする捜査班を貝塚署に派遣し、同署に強姦殺人特別捜査本部を設置した(丙一〇)。

(二) 新聞報道(一月二二日夕刊)

一月二二日夕刊は、「田んぼのビニール温室に 全裸女性の死体 貝塚」との見出しで、本件ビニールハウスで全裸で赤いハーフコートを着た女性の全裸死体が発見されたこと、現場に抵抗したあとがあり、大阪府警は婦女暴行、殺人事件とみて捜査本部を設置したこと、現場の位置の説明と人通りの少ないこと、死因は窒息死らしく、何者かにビニールハウスに連れ込まれて暴行されたうえ、口をふさがれて殺されたらしいこと、女性の顔や腹に砂が付着し、死体のそばに足跡がたくさんあったこと、二一日午後から現場近くにビニール袋に入った布製手提げ袋や衣類が放置されてあり、その関連も調べていることなどを報じている(甲八七)。

(三) 現場の状況

一月二二日午後一時三〇分から司法警察員らによる現場の実況見分が実施された。それによると現場の概況は以下のとおりである(甲九)。

(1) 本件ビニールハウスの状況

本件ビニールハウスは、私鉄南海電鉄本線二色の浜駅から北北東約一五〇mの同線軌道敷の東側沿いに所在し、その形状は、東側38.7m、南側24.7m、西側24.5m、北側一七mの台形を呈しており、高さ約二mの丸太を柱にして、屋根及び周囲に透明ビニールを張りめぐらしたものである。本件ビニールハウス内は春菊畑で、南北に二〇畝が作られており、当時は一畝に三列の高さ八cm位に成長した春菊が植えられていた。

本件ビニールハウスの出入口は、南側に二か所、北側に一か所で、木枠にビニールを張り付けて作られており、外側から横木を一本渡して閂にして戸締りができるようにしてあるが、施錠設備はない。

本件ビニールハウスの東側壁の南端から11.45m、地面から五〇cm程度の位置に幅六〇cm、高さ一二〜二二cmのビニールの破れ(以下「東壁の破れ」という)があり、北側壁の東端から2.2m、地面から数十cmの位置にも幅六三cm、高さ二五cm程度の破れ(以下「北壁の破れ」という)があった。いずれも人が一人出入りできる状態のものであった。

(2) 死体の状況

死体は、本件ビニールハウス内の東南寄りの東から二畝目の畝上に腰部をのせ、頭は北西、体は南東に向け、両袖を腕に通した赤色オーバーを体下に敷き、両乳房と陰部を露出してほとんど全裸に近い姿で仰向けに倒れていた。死体は、顔面は土を被ったようになっており、目、鼻、口に土が詰まり、首筋や左右大腿部、陰部の上面にも多量の土が付着していた。死体の開かれた両足の中間位に一塊の体毛が発見された。

着衣は、下半身はなく、上半身に袖を両腕に通した赤色オーバーのほか、カーディガン、カッターシャツ、ブラジャーを着しているが、カッターシャツの釦三個がとれ、ブラジャーは前方の縫い目が裂けてちぎれていた。

なお、死体の周囲の畑約二m四方の土がすくわれ、掘りおこされたとみられる状況になっていた。

(3) 現場周辺の状況

本件ビニールハウスの周囲の状況は、別紙「現場見取図」のとおりである(以下、道路名や各地点の呼称等は、右見取図の記載に従う)。

本件ビニールハウスの東側の葱畑は南北に一五畝(畝巾約六〇cm、畝間の溝巾約五〇cm)が作られており、当時葱は六五cm程度に伸びていた。その東側の高菜畑も同様に一三畝が作られており、四〇cm程度に成長していた。

なお、東側市道は昼夜とも人車の通行は少なく、夜間は特に少ない。午後一一時を過ぎると一時間に五、六人の人通りと二、三台の車が通行する程度であり、付近は薄暗く、右道路東側にある街灯(螢光燈)は点滅して消えかかっている。南海電車が通過するときはその灯が現場付近を照らして明るくなることがあるが、それ以外は、東側市道からでは本件ビニールハウス内の人影は判然としない。

(4) 遺留品等の状況

高菜畑の東端中央付近のコンクリート堤に倒しかけるようにして、ショッピング用紙袋(青色ポリ袋に詰められた女物衣類在中)、赤色布製手提バッグ(青色ポリ袋に詰められた食品類と雑誌「女性セブン」一冊、ハンドクリーム等在中)、ビニール製手提袋(女物サンダル在中)各一個が固まって置かれているのが発見された(一月二三日、被害者の両親に被害者の物であることを確認した)。これらの袋を取り除いた下に婦人用毛糸ソックス一足が置かれていた。また、この位置から西南西の方向に高菜及び葱が踏み倒され、明らかに人が通行したと認められる痕跡が両畑の西端まで続き、本件ビニールハウスの東壁破れの方向に向かっている(所持品遺留場所から右破れまで28.3m)。この踏み跡の巾は五〇ないし六〇cm位であり、複数の人物が歩行したと認められる状況であった。

右所持品発見場所から踏み跡をたどると、五ないし六mの位置にパンタロン、パンティストッキング、パンティ各一枚と革靴一足が遺留されていた。

その一つの西側の畝は、約八〇cmの大きさにわたって高菜が倒れて踏み荒らされた痕跡がみられ、その付近の高菜の上などから体毛(頭毛、陰毛)一五本が発見された。

さらにその西方数メートル先から糸付きの白色釦が合計三個発見されている。

なお、一月二二日午前八時三〇分ころ、被害者の所持品発見場所の近くでショルダーバッグが拾得されており、翌日警察に届けられ、被害者の物と確認されている(甲一二、九一)。

(四) 鑑定結果(死因及び死亡推定時刻等)

被害者は、一月二二日午後四時三〇分から大阪大学医学部法医学教室において、四方一郎教授の執刀で解剖に付されたが、その結果の概要は以下のとおりである(甲一一)。

(1) 被害者の死体には数か所に皮下出血や表皮剥離がみられたが、これらは鈍体によって圧迫されたことによって発起されたものと推定される。

(2) 左乳嘴部を中心に長さ0.5mmの歯形状の表皮剥離があり、咬傷と認められる。

(3) 前頸部に二条の線状の皮下出血があり、指・手等によって発起された扼痕と認められ、死因は頸部扼圧による窒息の結果である。

(4) 被害者は死に近く強姦されたものと認められ、膣内に精虫を証明し、膣内容の血液型は本人の血液型と同型のA型であり、精液の型と決定することはできない。なお、膣内に粘液泥が認められた。

(5) 死亡推定時間は、死体現象、死因、死体存置の状況、気温、湿度等を参酌して、一月二一日午後六時四〇分ないし同日午後一一時四〇分と推定される。

なお、右解剖時に採取された被害者の両手の爪について、ヘモグリーン試薬による血痕検査を実施した結果、右手拇指(プラス二)と示指(プラス一)から少量の血痕付着が認められた(甲四七)。

(五) 新聞報道(一月二三日朝刊)

一月二三日朝刊は、「身重だった女性貝塚の殺し 現場の足跡鑑定急ぐ」との見出しで、解剖の結果、頸部扼圧による窒息死とわかったこと、下半身は裸だったが、ベージュ色パンタロン、黒色パンティストッキング、茶色のカジュアル型革靴などを現場で発見したこと、現場から東五〇mにある市道沿いのカラシ菜畑の溝に女性ものの布製手提げバッグ等があったこと、これらの遺留品があった場所から死体発見現場まで、カラシ菜畑とネギ畑をほぼ直線で横切った二種類の足跡を発見したこと、ビニールハウスの東南部と北部に新しい穴が開けられており、死体のそばから北部の穴に向かって走ったような一種類の足跡があったこと、捜査本部は、犯人は市道で女性を襲ったあと、もつれながら二つの畑を横切ってハウスのなかに女性を連れ込み、暴行、殺害し、ハウスの北部に走り、穴を開けて逃げたと判断していると報じている(甲三四一)。

(六) 被害者の判明

被害者の内縁の夫甲野は、内妻の夏子が一月二一日夜も翌日も帰宅しなかったことと、新聞記事の内容から夏子が被害者でないかと疑い、一月二三日午前〇時三〇分ころ、貝塚署派出所に申告し、貝塚署の死体安置所において被害者を確認したが、その結果、被害者は、甲野の内妻の乙山夏子(二七歳)であることが判明した(甲一七八、丙一〇)。

(七) 原告Eの甲野に対する自供

原告Eは、甲野から犯行への関与を疑われて追及された結果、一月二六日、原告ら五名で犯行を行ったこと(但し、原告E自身については姦淫と殺害の実行を否定)を認める旨の話をしたところ、甲野が手帳(甲三三九)に「A・Cがナイフを夏ちゃんにつきつける。ハウス内に連れ込む Aが最初に夏ちゃんをおかす。2番目にCがオカス3番目にDがオカス 4番B まちがいありません。」と記載し、その下に「昭和54年1月26日午後7時半 E 夏ちゃんを殺したのは4人でころしました E」と原告Eに書かせた。なお、その末尾には同原告が自己の血でもって拇印を押している。

(八) 原告Eの新聞記者に対する説明

その後、甲野は、朝日新聞の記者に犯人を捕まえたと連絡し、甲野宅に駆けつけた同紙記者二名に対し、原告Eは、概ね次のような説明をしている(乙四、五)。

一月二一日夜七時ころ、原告ら五人は二人の女性と貝塚駅前の喫茶店で遊んだ。女達と別れ、原告ら五人が自転車で二色ノ浜へ女を引っかけに行った。二、三人に声をかけたが、駄目だった。

一月になってから二回ほど女を引っかけるためにひそんでいたことのあるビニールハウスに行き、原告ら五人がひそんでいた。

一一時から一二時の間に、夏子が通りかかり、AとCが道路に出て襲った。夏子は悲鳴をあげたが、AとCが首を締めたり、身体に抱きついたりして畑に引きずり込んだ。

Aはナイフを持っていた。

道路とハウスの中間位でAとCが強姦し、DとAの弟(B)も出て行って強姦した。

Aがナイフを突きつけて夏子をビニールハウスに連れて来て、南側の入口から中に入れた。

自分(E)以外の四人が輪姦した。Aが自分にもやれと言ったが「俺はいらん」と言ってしなかった。

Aが夏子を立たせた。夏子は「帰して、もうやめて。」と言っていたが、Aが「殺せ。」と言った。自分が「それはやめとけ。」と言ったが、無視された。

AとCが中心となって夏子の首を締めた。自分は左手を持った。

その後、誰かが砂をかけた。

Dが夏子の荷物を揃えた。

その後自分とAは駅の近くであとの三人と別れ、畑中方で泊まった。

(記者が本件ビニールハウスの穴について尋ねたのに対し)

穴は初めからあいていた。畑の中を穴の方へ真っ直ぐ歩いて行って、穴の外側の所から畦道を通って南側の入口へ行き、そこから夏子を中に入れた。そのときにAがナイフを持っていた。

(甲野が財布について尋ねたのに対し)

Aが夏子の荷物から財布を盗ったが、Aが独り占めにしてしまったので中身が幾らあったかわからない。

(夏子と知ってやったのかとの記者の質問に対し)

知らなかった。

(九) 原告Eの出頭、自白、逮捕

原告Eは、その後、甲野と記者らに貝塚署のそばまで送られ、一月二六日午後一〇時三〇分ころ、甲野とともに貝塚署に出頭した。同署において取調べを受けた同原告は、姦淫と殺害の実行の点を除いて自白し、翌二七日午前二時に緊急逮捕された。その被疑事実の要旨は、「原告らは、通行中の女性を襲って強姦しようと共謀の上、一月二一日午後一一時四〇分ころ、貝塚市沢六三三番地の四先路上を通行中の被害者を認めるや、原告A、同Cが同女の背後から近づき、原告Cが所携のカッターナイフを突きつけて脅迫し、西側の野菜畑に連れ込んで被害者のパンタロン等を脱がして裸にした上、他の共犯者三人が待つ野菜ハウスの中に引きずり込み、原告Eが被害者の左手、原告Cは首、原告Bは右足、原告Dは左足を押さえつけてその反抗を抑圧し、原告A、同C、同D、同Bの順に同女を姦淫し、その後犯罪の発覚を恐れた原告Aが「殺してしまえ」と言う言葉に全員共謀して殺害を決意し、原告Aと同Cが手で被害者の頸部を扼圧して窒息死させた。」というものである(甲八)。

(一〇) その他の原告らの逮捕

原告Eの供述から共犯者の身元が判明し、捜査班において所在を確認していたところ、朝日新聞に同原告の出頭が報道されたため、共犯者の通謀及び逃走を防止するため、一斉に逮捕することになり、一月二七日午前四時に原告Bが勤務先の西出食品寮のF方で(甲一二〇)、同五時五分に原告Aが畑田茂秋方で(甲一〇一)、同五時一五分に原告Dが自宅で(甲一三七)、同時刻に原告Cが中野あきえ方で(甲一五七)、いずれも原告Eと同一の被疑事実で緊急逮捕された。

〔以下、右強姦、殺人、窃盗事件を「本件犯行」といい、原告らについて起訴(但し、窃盗に関してはAのみ)された事件を「本件刑事事件」という。〕

2  警察における取調べ(この項は原告らと被告府との間で争いがなく、被告国との関係でも本件証拠及び弁論の全趣旨によれば容易に認めることができる)

(一) 原告Eは、一月二六日夜、甲野に連れられて貝塚署に出頭した後、翌二七日にかけて、貝塚署内において、G警察官及びH警察官の取調べを受けたうえ、同日、和泉署に移された。

原告Eは、以後和泉署において、H警察官、その後、I警察官の各取調べを受けた。

(二) 原告Aは、警察官Sほか二名に逮捕された後、貝塚署に連行され、K警察官ほかの取調べを受けた。同原告は、その後、泉佐野署に留置され、K警察官らの取調べを受けた。

(三) 原告Cは、逮捕後、貝塚署に連行され、G警察官ほか一名の取調べを受け、その後、高石署に留置され、G警察官及びM警察官の取調べを受けた。

(四) 原告Bは、逮捕後、貝塚署に連行され、P警察官ほかの取調べを受け、その後、泉大津署に留置され、取調べを受けた。

(五) 原告Dは、逮捕後、貝塚署に連行され、その後、泉南署に留置され、取調べを受けた。

(六) 以上に記載の原告らの逮捕、取調べ等に当たった警察官は、いずれも被告府の公務員である。

3  逮捕時の原告らの年齢

右逮捕当時、原告Aは二一歳の成人であったが、原告B、同D、同C及び同Eの四名は、いずれも一八歳の少年であった。

4  証拠関係(この項は原告らと被告国との間で争いがなく、被告府との関係でも本件証拠及び弁論の全趣旨によれば容易に認めることができる)

(一) 本件では、被害者の体内から検出された体液、被害者が着用していたオーバーコートの裏地に付着していた斑痕、被害者の両乳房から検出されたプチリアン反応を示す体液が採取されたが、これらの血液型はいずれもA型を示していた。

原告らの血液型は、原告AがB型の分泌型、原告BがB型の分泌型、原告DがA型の非分泌型、原告CがAB型の分泌型、原告EがAB型の分泌型である。なお、被害者の血液型はA型の分泌型である(分泌型とは体液から血液型が判定できるものである)。

(二) 本件現場には、足痕跡五二個、指掌紋三六個が残っていたが、いずれも原告らのものとは一致していない(甲四八ないし五〇)。

(三) 本件現場には、相当数の体毛が落ちていたが、そのうち二本が原告らの一部の者のそれと似ているものであった。

(四) 事件の数日後に領置した原告らの履物に付着していた土砂は現場の土砂と一致していない。

(五) 被害者の財布(以下「がま口」ともいう)は発見されないままである。

(六) 取調べ時に原告Cの手の甲に傷があった。

5  起訴及び公訴事実

大阪地方検察庁堺支部検察官検事立岩弘(立岩検察官)は、原告Aにつき、昭和五四年二月一七日、大阪地方裁判所堺支部(以下「地裁堺支部」という)に対し、強姦、殺人、窃盗被告事件として起訴し、その余の原告らにつき、いずれも大阪家庭裁判所堺支部(以下「家裁堺支部」という)による検察官に対する逆送致決定を経て、同年三月八日、地裁堺支部に対し、各強姦、殺人被告事件として起訴した。

公訴事実の要旨は次のようなものであった。

「第一 原告らは、共謀のうえ、

一  昭和五四年一月二一日午後一一時三〇分ころ、貝塚市沢六二七番地先路上において通行中の乙山夏子(当時二七年)を認めるや、強いて同女を姦淫しようと企て、原告Aらにおいて、やにわに同女の腕を掴み脇腹にカッターナイフを突きつけて道路脇の畑に連れ込み、パンタロン、パンティ等を剥ぎ取ったうえ、同市沢六二八番地の四の丙川二郎所有の野菜ハウス内に連行してその場に仰向けに押し倒し、その手足を押さえつけるなどしてその反抗を抑圧し、原告A、同C、同D、同B、同Eの順に強いて同女を姦淫し、

二  右犯行直後、原告Eが右乙山夏子と顔見知りであったところから、右犯行の発覚をおそれ、罪跡を湮滅するため同女を殺害してしまおうと決意し、起き上がった同女を再びその場に仰向けに押し倒し、原告B、同Dらにおいて手足等を押さえ、原告A、同C及び同Eにおいて腹部に馬乗りになるなどして両手指で頸部を扼圧し、よって、同女をして、即時、その場で窒息死させて殺害し、

第二  原告Aは、右犯行直後、右野菜ハウス内において右乙山夏子が所持していたショルダーバッグ内から同女所有にかかる現金約九五〇〇円在中の財布を窃取したものである。」

6 判決

(一)  刑事第一審判決

地裁堺支部は、原告らを勾留のもとに右被告事件を併合審理し、昭和五七年一二月二三日、原告ら全員を有罪とし、原告Aに対し、懲役一八年、その余の原告らに対し、各懲役一〇年の刑を宣告した(以下「本件刑事第一審」といい、特に判決については「本件刑事第一審判決」という)。

原告Eは、本件刑事第一審判決につき控訴することなく、右判決が確定し、原告A、同B、同D及び同Cは、いずれも、大阪高等裁判所に控訴した。

(二)  刑事控訴審判決

大阪高等裁判所は、右控訴事件に対し、昭和六一年一月三〇日、本件刑事第一審判決中の原告A、同B、同D及び同Cに関する部分を破棄し、同原告らにいずれも無罪を宣告した(以下「本件刑事控訴審」といい、特に判決については「本件刑事控訴審判決」という)。右判決は、同年二月一三日の経過により確定した。

(三)  刑事再審判決

原告Eは、昭和六一年六月二三日、地裁堺支部に対し、刑事第一審判決についての再審の申立をし、同支部は、昭和六三年七月一九日、再審開始決定(以下「本件再審開始決定」という)をし、平成元年三月二日、原告Eに対し、無罪を宣告した(以下「本件刑事再審」といい、特に判決については「本件刑事再審判決」という)。右判決は、同月一六日の経過により確定した。

7 刑事補償

刑事補償法に基づき、原告A、同B、同C及び同Dは、各一八四三万九二〇〇円、原告Eは、三二二九万八四〇〇円をそれぞれ補償金として交付された(この限りで原告らは明らかに争わないので自白したものとみなす。なお、乙一、三)。

三 原告らの主張

1  被告府の違法行為

原告らは、本件事件についていずれも無実である。しかし、次のとおり、本件の捜査段階において、被告府の警察官の暴行等により、意に反する自白をさせられたものである。

(一)  原告A関係

原告Aは、一月二七日午前五時ころ、畑田方において逮捕されたが、その際、逮捕容疑について何らの説明もなく、足払いされ、正座させられるなどした。

原告Aは、貝塚署に連行されたが、同所にいたK警察官が同原告に対し、「お前がAか。」と言うなり、髪の毛を引っ張り、同原告が椅子に座ると椅子ごと引き倒し、更に、その場に正座させたうえ、手拳で殴打するなどした。

貝塚署では弁解録取書は作成されず、原告Aは、その日のうちにK警察官が同行して、泉佐野署に移され、主として同警察官による実質的な取調べが開始された。同警察官は、取調べにおいて、同原告の髪の毛を引っ張ったり、取調室の床板の上に正座させた。同警察官は、同原告に対し、「皆はやったと言っているのに何でお前だけやっていないというのか。」と自白を強要し、同原告が否認すると、「お前一人がやっていないと言っても通るか。」と怒鳴った。さらに、傍らにいたL警察官が、椅子に座っていた同原告に対し、椅子を蹴飛ばし、首を絞めたり、足払いをして倒し、髪の毛を掴んで引き倒すなどの暴行をした。

原告Aは、同月三〇日に自白調書を作成されるまで否認を続けたが、その間、否認すると右同様に足払いされたり、髪を掴まれて引き倒されたりした。

原告Aは、自白した後も、本来身に覚えのないことであるから、事件の状況を聞かれていい加減にあてずっぽうで答えると、K警察官やL警察官から「他の者と話が違う。正直に言え。」と殴られたりした。このようにして、他の原告らとの供述内容が整理され、合わせられていった。

その後、原告Aは、自白後に検察官の面前で否認したところ、後からK警察官やL警察官が暴行をし、L警察官は、「おやじ(K警察官のこと)の顔を潰した。」と言って、原告Aに対し、足払いや髪の毛を引っ張ったり、手拳で殴打するなどした。

原告Aは、また、取調室において、「被害者に手を合わせよ。」と合掌を強要され、手を合わせないでいると椅子ごと蹴飛ばされたり、髪の毛を引っ張られるなどの暴行を受けた。

窃取したとされる被害者の財布(がま口)について、原告Aは、当初、盗っていないと否認したが、「皆お前が盗ったと言うとる。」と怒鳴られたうえ、暴行を受け、恐怖心のあまり窃取を自白した。同原告は、がま口の処分先についても執拗な尋問を受け、わかるはずもないので、適当に答弁し、その結果捜索などで発見されないと、右同様の暴行を受けた。

(二)  原告B関係

原告Bは、一月二七日午前四時ころ、自宅で寝ていたところを警察官に起こされ、貝塚署に連行された。逮捕に際しては、ちょっと来いと言われた程度で被疑事実は告げられず、連行中の自動車の中で、同原告が「何ですか。」と聞いたところ、警察官からいきなり平手で殴られた。

連行後、原告Bは、貝塚署の取調室において、P警察官ほか二名の警察官に取り囲まれ、被疑事実も告げられず、いきなり、「お前がやったんやな。」と言われ、「何のことですか。知りません。」と答えたところ、警察官は、平手で左耳の真上あたりを殴った。その後、同原告は、床に正座させられ、手錠をはめられ、主に氏名不祥の警察官から、平手で頭を殴打され、正座して組んでいる足を蹴られ、手錠をかけられた手を踏みつけられ、髪の毛を引っ張られるなどの暴行を受けた。その際、P警察官は右暴行を止めないで見ていた。右暴行は約三時間続き、同原告は、辛抱できなくなって、「やったやろ。」との質問に頷いた。

原告Bは、その後、泉大津署へ連れていかれ、同所でP警察官らの取調べを受けた。待ち伏せの場所や強姦の順番を想像で答えたとき、他の原告らの調書と違うと言われて暴行を受け、沈黙していると、反省の色がないと言われて暴行を受けた。

暴行は、殴られたり、蹴られたりが多かったが、被害者の写真を机の上において「これを見ろ。」と言って、顔を机に押し付けられたこともあり、P警察官からも机の下から蹴られたり、顔を手拳で殴られたこともあった。

(三)  原告C関係

原告Cは、一月二七日早朝、貝塚署に連行され、原告Dとは別の大部屋に連れて行かれた。同所で、G警察官は、椅子に座ったままの原告Cに対し、腹と顔面を二〇回にわたって蹴るなどの暴行を加え、頭を平手で五、六殴打し、足蹴りにするなどし、この状況は二、三時間継続した。

その後、原告Cは、取調室に移され、本件で逮捕されたことを聞かされたが、否認した。その間、正座させられ、大腿部を蹴られ、スリッパで何回となく頭をたたかれた。その後、原告Eが取調室に連れて来られ、取調警察官が同原告に対し、「こいつがやったんやな。」と述べ、同原告が「はい。」と答えたため、原告Cは激昂し、原告Eにつかみかかろうとしたところ、三人の取調警察官に袋だたきにされた。右暴行の結果、原告Cは同日昼ころに犯行を認める供述をした。

同日夕方、原告Cは、高石署に移され、取調べを受けたが、他の原告らとの供述が合わないということで、G警察官及びM警察官から、羽交い絞めをされ、腹に暴行を受け、スリッパで頭をたたかれ、髪の毛を引っ張られるなどの暴行を受けた。

同月二八日の取調べでも、殺害時に身体を押さえた場所等が他の原告らの供述と違うということで、スリッパで頭をたたかれたり、髪の毛を引っ張られるなどの暴行を受けた。

その後も暴行の回数は減じたものの、右と同様の状況で二月一二日までの取調べが続いた。

また、右の間の検察官による取調べの際に原告Cが否認する供述をしたところ、後に警察官から顔以外の部分を何十回となく殴られる暴行を受けた。

(四)  原告D関係

原告Dは、一月二七日早朝、貝塚署に連行され、大部屋に連れて行かれた。同所で、警察官から座っている椅子をひっくり返されたり、正座させられたり、タオルを巻いた手拳で五、六回顔面を殴打されたり、正座させられたうえ、足と腹部を蹴られたり、髪の毛を後ろへ引っ張られるなどの暴行を受けた。その間、同原告は、警察官から「何のためにここに来たかわかるやろ。」、「お前、人殺したやろ。」、「皆吐いている。」などの罵声を浴びせられ、何のことかわからないまま、同日午前七時ないし八時ころ、「やりました。」との供述をし、取調室に移された。

同日夕方、原告Dは、泉南署に移されたが、その後の取調べでも、強姦の順番等で他の原告らと供述が違う場合、正座をさせられたり、蹴られるなどの暴行を受け、途中でアリバイの主張をしたところ、取調警察官から顔を平手で殴られ、足で腹を蹴られるなどの暴行を受けた。

(五)  原告E関係

(1)  警察が関与する以前の事情

甲野は、被害者の内縁の夫であったが、事件後、原告Eに対して疑惑を抱き、同原告を公園に呼び出したり、被害者の位牌に手を合わせさせるなどして自白を迫り、最後には夜の海岸に連れ出して、ナイフを突きつけ、平手で殴打するなどの暴行を加えながら、同原告に自白を迫った。これにより、原告Eは、甲野に対し、同人のいいなりに犯行を自供し、共犯者として、原告A、同B、同D、同Cの名を挙げた。

甲野は、右自供した原告Eを甲野の自宅に連れ帰り、供述内容を手帳に書き留め、同原告に署名させるとともに、甲野が文化包丁で同原告の指を切って血判を押させた。なお、同所において、甲野は、原告Eに朝日新聞の記者二名の前でも自供させた。

(2)  被告府の警察官による違法行為

原告Eは、一月二六日、甲野に連れられて貝塚署に出頭し、同日午後九時ないし一〇時ころから、G警察官により取調べを受けた。同原告は十分な供述ができなかったところ、同警察官ら二名の取調警察官は、平手で同原告の顔面を殴打するなどの暴行をした。

原告Eは、そのころから翌日の午後四時までずっと取調室に留められ、午前七時ころから一時間別の部屋に移されたのみで、留置場に移されず、取調室で一夜を明かした。その同月二七日午前八時から午後四時ころまではH警察官ほか一名の取調べを受けた。その際、H警察官は、同原告が被害者を殺していないと言うと、髪を引っ張ったり、机を強くたたいて恫喝し、自白を強要した。

原告Eは、同月二八日からは、和泉署においてH警察官らの取調べを受けたが、他の原告らと供述内容が異なるときや、なお自分がやっていないと供述したときなどには、髪の毛を強く引っ張られたり、頭を手で押さえられて机にぶつけられるなどの暴行を受けた。

原告Eは、自白後も、何度か犯行を否認したが、調書として作成されることはなく、一層激しく殴打されるなどの暴行を受けた。

その後原告Eを取り調べたI警察官は、足で背中を蹴飛ばしたり、顔面右頬を手拳で殴打したりした。他の取調警察官も、スリッパで頭をたたいたり、床板の上に正座させ、股の上を足で踏みつけるなどの暴行をした。

2 被告国の違法行為

(一)  起訴の違法性

立岩検察官は、本件刑事事件について、原告らを被告人として、公訴を提起した。原告らは、いわゆる結果違法説を相当と考えるが、判例の見解とされる職務行為基準説によっても、物証、自白、アリバイのどれをとってみても、公訴提起時において、検察官が合理的に判断すれば、原告らが犯人でないことは十分に知り得たし、ましてや有罪判決を得られる可能性はなかった。したがって、検察官は、本件刑事事件について、原告らを起訴すべきでなかったにもかかわらず、起訴を行ったものであり、これは検察官としての合理的な裁量の範囲を逸脱した違法行為である。

(二)  起訴時点における証拠

(1)  物証関係等

(イ) 現場には①被害者の体内から検出された精液、②被害者が着用していたオーバーコートの裏地に付着していた精液様の斑痕(精子検出)、③被害者の両乳房から検出されたプチアリン反応(唾液反応)を示す体液が残っていたが、これらの血液型はいずれもA型を示していた(なお、本件刑事第一審で、原告らは有罪とされたが、この段階では、右①の関係しか証拠とされておらず、③の関係は検察官が証拠調請求さえしていなかった)。

原告らの血液型は、原告AがB型の分泌型、原告BがB型の分泌型、原告DがA型の非分泌型、原告CがAB型の分泌型、原告EがAB型の分泌型である。

現場遺留物の示す犯人の血液型と原告らの血液型は一致せず、これらは、原告らが犯人でないことを明白に示すものである。

右①の証拠に関し、精液が少量の場合、膣内精液から血液型が判定できないこともありうるが、本件では原告らは五人とも射精したという自白であるから少量ということはありえず、もし少量なら自白が虚偽となる。被告国は、土砂の血液型判定への影響について主張するが、その点は憶測の域を出ず、捜査段階において何らの土砂の検査もされていない。捜査機関が右影響を本当に考えたならば、捜査段階において当然にその資料収集がされるべきであって、されてもいないことを前提に論議するのは全くの的はずれである。

③の証拠は、犯人の唾液が検出されたものであり、その血液型がA型である以上、原告らは犯人ではありえない(原告DはA型であるが非分泌型である)。この事実を知ったからこそ、捜査機関は右証拠を伏せていた。被告国は、プチアリン反応が出たからといって唾液が存したとはいえない旨の主張をするが、科学的にはそうであるとしても、本件刑事事件で唾液以外のものである確率は極めて低いはずである。③に関する検査処理票(甲二六一)にも唾液反応があったとして記載されている。

(ロ) 本件現場には、足跡痕五二個、指掌紋三七個が残っていたが、いずれも原告らのものとは一致していない。

(ハ) 本件現場には、多数の体毛が落ちていたが、そのうち二本についてのみ原告らのうち一名のそれと似ているというに過ぎず、原告らのそれと一致するものは全く存在しない。

(ニ) 原告らの履物に付着していた土砂は現場の土砂と一致していない。なお、この関係の証拠も本件刑事第一審で取り調べられていない。

(ホ) 原告らの自白が真実であれば発見されてしかるべき被害者のがま口は発見されないままである。

(ヘ) 原告Aがナイフで被害者を脅かした旨の同原告の供述調書が作成され、同人によるナイフの図面まで作成され、カッターナイフが押収されている。しかし、ナイフについては原告Eの自白を記載した甲野の手帳に既に記載があり、原告A方の捜索においても、自白による道具箱の中ではなく、机の引き出しからカッターナイフが発見されており、長さ、形状、材質等において自白内容とは著しく異なるものであった。

(ト) 原告Cの手の甲に傷があったが、原告Dとの力比べによってできた傷であり、被害者によってつけられたものではない。

(2)  自白関係

本件のように現場の遺留物が多数ある場合、仮に自白調書があったとしても、自白を偏重することなく、客観的証拠を入念に検討すべきであり、右のとおり物証が原告らが犯人であることを否定するものであるときは、なおさら、自白の評価については慎重でなければならない。しかも、本件においては、原告らの自白の内容自体、原告ら相互間あるいは一人の原告の自白を順に見ても、いずれにおいても相互に矛盾、食い違いが目立つものばかりであり、単に記憶違いでは到底すまされないものである。

原告らはいずれも身に覚えがないのに、警察官の暴行等により自白を強いられたものであるから、供述内容は警察官の誘導や当てずっぽうによるものであり、現場の状況と矛盾したり、供述相互間に食い違いが生ずるのは当然であった。

矛盾、変遷の主な点は、姦淫の順序の取決めに関する供述、使用した自転車に関する供述、本件ビニールハウス内への原告Eの侵入経路に関する供述、被害者を捕える直前の行動に関する供述、被害者を本件ビニールハウス内に連れ込んだ時の状況に関する供述、姦淫の順番に関する供述、被害者殺害のきっかけに関する供述、殺害の状況に関する供述、その他犯行の前後の状況に関する供述等枚挙にいとまがない。

右はいずれも犯行の重要な部分についての重大な矛盾、変遷であり、原告らの記憶ないし実体験に基づいた供述では起こりえないものである。更に、立岩検察官による原告らの取調べは、警察官が同席して、警察の影響下にある中で行われている。

(3)  アリバイ関係

本件刑事事件の犯行当時、原告らは二つのグループに別れ、いずれもアリバイ証人(畑田茂秋、北口広江、勇貴子ら)が存在した。検察官は、アリバイ証人の存在を十分認識、把握しており、アリバイのあることは十分解明しうる立場にあった。

しかし、右アリバイ証人らは、当初、警察官に対し、原告らのアリバイを申し立てていたにもかかわらず、警察官の暴行、脅迫による違法捜査の結果、右アリバイ証人らは逆にアリバイ工作を頼まれた旨の供述調書を作成されてしまった。

加えて、立岩検察官もアリバイ証人の一人である右畑田に対し、証拠湮滅容疑による逮捕、勾留をし、アリバイ供述の変更をさせている。

また、原告Cらのアリバイ証人である右北口及び勇の供述につき、タクシー会社への裏付捜査が当初はされなかった。

(三)  通常要求される捜査の不履行

本件現場から陰毛が採取され、血液型はA型と判定されているが、これと被害者の陰毛との異同につき捜査がされていない(被害者のものと異なれば、犯人のものである可能性が高く有力な証拠となる)。

犯行時刻の関係について、被害者のものと思われる悲鳴を聞いた者から事情聴取をしているが、その点について追跡捜査がされているとは思われない。

右アリバイ関係について、タクシー会社への照会等の捜査が遅れた。

3 損害

被告らの違法行為により、原告らは長期にわたって不当不法な身柄の拘束を受け、その間の逸失利益相当の損害を被った。この算定は、勾留期間中の原告らと同年齢の者の平均賃金に基づくのが相当である。

右とは別に、原告らは、長期の勾留により、青春時代の一番貴重な時期を拘置所及び刑務所内で過ごさなければならず、精神的苦痛を受けた。これに対する慰謝料としては、各三〇〇〇万円が相当である。

原告らは、本件では、右慰謝料の一部である各二〇〇〇万円及び本件についての弁護士費用各一〇〇万円を請求するものである。

したがって、刑事補償金が損益相殺されるとしても、右逸失利益の損害に対してされるべきであり、本件請求部分に対してされるのは相当ではない。

四 被告府の主張

1  原告A関係の反論

原告Aは、畑田方における逮捕の際には弁解はしていたが、素直に逮捕に応じたのであり、また、畑田方は、二間のアパートで、当時、畑田夫妻と芝野俊貞、藤本美代子がいたのであり、原告Aが主張するような暴行をしておらず、するはずもない。

貝塚署への連行後、K警察官は原告Aが言うままに否認の弁解録取書を作成している。同原告のいうような暴行を加えなければならない必然性は全くないし、暴行の事実もない。

一月二九日の勾留質問を済ませて後の取調べにおいて、K警察官が原告Aに他の共犯者がすべて自供している旨を述べて説論していたところ、同原告は、「死にたい。」というようなことを言い、突然自ら取調室の壁に頭をくっつけたり、窓ガラスに頭をぶつけたりした後、「一日だけ待ってくれ、明日になれば全部正直に話す。」と言い、翌三〇日にそれまでの反抗的態度と異なり殊勝な態度となって自供した。その間、同警察官らが暴行を加えたことは全くない。

原告Aの自白後においても、他の者との供述が合わないなどといって暴行を加えるようなことはしていない。もし、そのようなことがされていたなら、原告らの供述内容はもっと整合性をもっていて、本件刑事控訴審判決において指摘されるような各供述の食い違いは生じなかったはずである。

原告Aは、検察官の面前で否認したことはなく、したがって、それを理由に警察官が暴行をするはずがない。

原告Aは、一月三一日の山本弁護士、二月二日の岡本弁護士の接見後、警察官に対し自白を撤回したが、その理由は、弁護士らから、共犯者は否認していること、畑田らが同原告のアリバイを供述していることを聞き、逃れられるものなら逃れたいと思ったというものであり、K警察官の説得で間もなく犯行を認めている。また、二月一〇日の山本弁護士の接見も含め三回の接見があったが、弁護士らから取調警察官に対し、暴行により自白をさせたとの抗議は全くなかった。

暴行と受けたとする原告Aの主張は、自白調書を覆すための言いがかりであることが明らかである。

2  原告B関係の反論

原告Bは、一月二七日午前四時ころの逮捕の際、被疑事実を告げられず、連行中の自動車の中で、「何ですか。」と聞いたとき、警察官から平手で殴られたと主張するが、逮捕に際しては同原告は知らない旨否認しているのであって、被疑事実を告げないことはありえないことであり、右暴行については、刑事事件の段階においては供述しておらず、また、暴行の部位、態様も明らかにされておらず、作りあげた主張である。

原告Bは、貝塚署において、P警察官以外の警察官から手錠をかけられたまま正座させられ、平手で殴られ、足で蹴られ、踏みつけられ、髪を引っ張られるなど、約三時間にわたって暴行を受け、犯行を認めた旨主張する。しかし、原告Bが貝塚署に連行されて間もなく、P警察官が被疑事実を読み聞かせたところ、同原告の体に相当の震えがあり、しばらく震えながら黙って涙ぐんでいたが、その後、「すみません、悪いことをしました。」と事実を述べて犯行を認め、同日午前四時二〇分ころにはその旨の弁解録取書が作成されている。しかも、右書面はP警察官が一人で録取したものであり、原告Bの主張のような暴行の事実は全くない。また、原告B主張のように三時間も右暴行を受けておれば身体になんらかの異常があるはずであるが、翌日の検察官の弁解録取の際にはそのような状況はみられなかった。

原告Bは、泉大津署において、P警察官から机の下から蹴られたり、顔を手拳で殴られたと主張するが、刑事事件での公判供述と一貫していない。

原告Bは、泉大津署でもP警察官の取調べを受けたが、当初少し沈黙することはあっても供述そのものはスムーズにされており、ことさら暴行を加える必要性もなく、その事実もない。

原告Bは、一月三一日と二月一四日に岡本弁護士の接見を受けているが、同弁護士から、同原告が暴行を受けたなどの抗議はされていない。

3  原告C関係の反論

原告Cは、一月二七日午前五時一五分に逮捕され、貝塚署に連行されて、同日午前五時四五分ころ、G警察官は、同原告の弁解のとおり、アリバイがはっきりしている旨の弁解録取書を作成しているのであり、暴行が二、三時間も続いたという主張は明らかに事実に反する。

原告Cは、同日、G、T、Oの各警察官らの取調べを受けたが、この取調べについて、暴行を受けた結果、同日昼ころ犯行を認める供述をした旨主張する。しかし、同原告が同日午後一時四〇分に高石署に留置されていることは客観的な事実であるところ、当日の取調べで、同原告は、手の甲にあった傷の追及などにより、午前七時前ころには本件犯行を自白し、G警察官がこれに基づいて昼ころまでに供述調書を作成し、その後貝塚署から高石署に搬送して同署に留置したのであり、同原告の主張のように暴行により昼ころに自白したとすれば、右供述調書の作成は時間的に不可能である。

原告Cは、同Eが取調室に連れて来られたことなどを主張するが、そのような事実はない。

原告Cが犯行を認めたのは、同原告の手の甲にあった爪あとの傷を追及された結果であり、同原告の主張するような取調警察官が暴行を加えたことは全くない。

原告Cは、また、高石著に身柄を移された当日及び翌日の高石署における取調べで暴行を受けたとするが、当日には高石署では取調べはされておらず、翌日も同原告は検察庁に行っており、警察での取調べはされていない。

原告Cは、一月三〇日の取調べに先立って、「被害者の助けてくれという声、首を絞められ苦しんでいる顔が夢に出る。悪いことをした。」と述べたうえ、取調べに対し素直に供述しているのであって、そのような同原告に対し暴行を加えなければならない必然性は全くない。

原告Cに対しては、二月六日に岡本弁護士が、同月一四日には水谷弁護士がそれぞれ接見しているが、右各弁護士から取調べに対する抗議はされていない。

原告Cは、二月一五日と思われる検察官の取調べで犯行を否認する供述をしたところ、その直後に警察官から顔以外の部分を何十回となく殴られたと主張するが、同原告のつくりごとである。

4  原告D関係の反論

一月二七日午前五時一五分、原告Dを逮捕して貝塚署に連行し、直ちに、警備課室においてQ警察官が弁解を聞いた。同原告は、半ば犯行を認めるような弁解であった。同警察官とO警察官は、途中、場所を体練室に移して引き続き取調べ、同原告は犯行を認めていたので、大筋の調書を作成したうえ、泉南署に搬送した。

原告Dは、刑事事件の公判において、暴行を加えた警察官は一人であること、その暴行を加えた警察官は、逮捕に来た警察官とは違うこと、弁解録取書に名前を書かせた警察官であること、眼鏡をかけていたこと、その後の取調べをしていないことなどを述べた。しかし、逮捕当日に同原告の取調べに当たったのはQ警察官とO警察官であり、O警察官はその後の取調べにも当たっている。また、Q警察官は、同原告の逮捕に赴いた一人であり、かつ、眼鏡をかけていない。よって、同原告の右の供述は矛盾していることが明らかである。

そもそも、警察署に連行してきて何の事情も聞かずに原告Dの主張するような暴行を加えることは考えられないことであり、ことに原告Eが既に五名による犯行と述べており、五名もの共犯者がいる本件において、逮捕してすぐに暴行を加えて自白させなければならない必然性は全くない。

原告Dは、泉南署に移ってからも顔を平手で殴られ腹を蹴られるなどの暴行を受けた旨主張するが、同原告は、刑事事件の公判では、泉南署に行ってからは、正座ばかりで暴力は受けていないこと、泉南署では殴る蹴るの暴力は受けていないことを明言している。また、本件刑事事件の公判では、朝七時から夜九時か一〇時ごろまで、昼飯の時以外は正座していた旨供述しているが、そもそも、朝七時から夜九時か一〇時ごろまで取調べがされたことはなく、泉南署での原告Dの調書は八通も作成されており、そのような取調べを正座のままでできるものではなく、さほど抵抗なく供述していた同原告にそのような正座をさせなければならない必然性もないのであって、同原告が主張するような正座をさせたことはない。

原告Dに対しては、同年二月七日に岡本弁護士が、同月九日には今口弁護士がそれぞれ接見し、岡本弁護士は、N警察官に対し、「無理な取調べはしていませんか、取調室を見せてください。」と言い、同警察官が「素直に供述しておりますよ。」と調べ室を見せたことがあるが、同弁護士から暴行等の話全くなかった。今口弁護士からも暴行等の抗議はされていない。

原告Dは、二月六日に、「ぼくの今のきもち」と題して手記を作成しており、警察官に対する供述が同原告自らの意思に基づきされたものであることが明らかである。

5  原告E関係の反論

G警察官は、U、T両警察官とともに、甲野と貝塚署に出頭した原告Eを取り調べたが、甲野から事情を聞くこともなく、全く白紙の状態で取調べに当たった。原告Eは、取調べに対し、原告ら五名で被害者を強姦、殺害したことを認め、その後の取調べに対してもことさら供述を拒む状態ではなかった。このような原告Eに対し取調警察官が顔面を殴打して無理に供述させる必要もないし、そのようなことをしなければならない状況でもない。原告Eは、捜査の結果容疑をもった者ではなく、自ら出頭してきた者であり、しかも、取調警察官の未知な事件の経過について最初に語る者であるから、まずは原告Eに事件の大まかな全貌を語らせるものである。したがって、そのようなときに細部の供述が違うといって殴打することはありえないし、当時G警察官は甲野の手帳の犯行メモの存在を知らなかったのであり、原告Aと同Cが一緒に首を絞めたとの供述に更に原告Eも加わったことを、殴打してまで無理に言わせなければならない必然性は全くない。

同日のH警察官の取調べにおいても、捜査の初期の段階において、同じ現場にいた原告Eが他の二名と一緒に首を絞める実行行為に加わったか否かについて、暴行、恫喝までして自白を強要しなければならない必然性は全くなく、原告E主張の暴行の事実はない。

その後のH警察官、I警察官の取調べについても、暴行の事実はなく、既に当初から大筋において事実を認めている原告Eに対し、そのような暴行を加えて自白を強要する必要など全くない。

捜査の間、二月五日に浜本弁護士、同月八日に岡本弁護士、同月一〇日にも浜本弁護士がそれぞれ原告Eと接見しているが、真に同原告が右弁護士に対して暴行の事実や暴行によって自白させられている事実を述べているならば、弁護士から警察署に対して当然に抗議がされるはずであるが、当時、そのような抗議は全くなかった。これは、同原告主張の暴行がなかったことを示すものである。

6  全体的反論

原告らの各供述調書はいずれも信用性がある。原告らの司法警察員に対する各供述調書の記載内容からしても、それらが取調警察官の暴行によって原告らに虚偽の事実を供述させて作成されたものでないことは明らかである。

五 被告国の主張

1  起訴違法について

検察官の公訴提起が国家賠償法上違法とされるのは、起訴時における証拠資料を総合勘案して有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が著しく合理性を欠くことが明らかである場合であると解される。右違法判断においては、裁判官が捜査官である検察官と同一の立場から嫌疑の有無等を判断すべきではなく、検察官の証拠評価及び法的判断が著しく合理性を欠いていることが明らかであるか否かを審理し判断すべきものである。そして、嫌疑の有無は、原則として起訴時に検察官において既に収集していた証拠資料を総合して判断すべきであり、検察官が起訴時に収集しておらず、公判審理の過程で弁護側申請の証拠として初めて提出された証拠資料は、判断資料とすべきではなく、例外的に、検察官が起訴時までにこれらの証拠について収集しなかったことに職務上の義務違背があると認められる場合、すなわち、通常の検察官において公訴提起の可否を決定するに当たり、当該証拠が必要不可欠と考えられ、かつ、当該証拠について収集することが可能であるにもかかわらず、これを怠ったなど特段の事情が認められる場合に限って、判断資料に供しうるものというべきである。

検察官の本件公訴提起に際しては、証拠資料を総合勘案して有罪と認められる嫌疑があったもので、検察官が本件公訴を提起するに当たって有罪と認められる嫌疑があると判断したその証拠評価及び法的判断は正当であり、違法とされる点はない。

2  原告らの自白

原告らは、いずれも捜査段階において、本件刑事事件について自白したが、各自白には任意性がありかつ信用性もある。そして、検察官が原告らの自白につきその任意性及び信用性があると認めたことに何ら不合理な点はない。

3  補強証拠

原告らの自白には次のとおり補強証拠があり、原告らの自白の真実性を担保するものである。

(一)  原告ら共犯者の自白(相互補強)

本件は、五名の共犯者による強姦、殺人という複雑で激情的な要素を有する事案であること、原告らの一部は、客観的事実に反するアリバイ工作をしていたこと、犯行の経緯、時間、犯行現場及び犯行状況等を総合すると、原告らの供述にある程度の不一致あるいは変遷があったとしても、なんら不自然とはいえない。原告らが主張するように、原告らの取調べにおいて、暴行を継続することによって捜査側の意図する方向での虚偽の供述をさせたとするならば、共犯者間の供述調書で一部とはいえ不一致や変遷を残すことはありえないはずであるところ、その自供に不一致や変遷が認められることこそが、原告らの任意かつ真実の供述を得た捜査であることの証左ともいえる。

(二)  被害者の死体解剖結果の鑑定書(甲一一)

被害者の死因、姦淫行為の存在及び死亡時刻について原告らの自白を裏付けている。

(三)  被害者の母の供述調書(甲二〇二)、捜査報告書

被害者の本件犯行当日の犯行現場付近までの足取り、時刻などに関し、原告らの自白を裏付けている。

(四)  頭毛に関する鑑定書

被害者着用のオーバーコートに付着していた頭毛のうち一本は、原告A又は原告Bのものと推定され、同じくパンタロンに付着の頭毛一本は、原告Bのものと類似するとの鑑定書が存在した。

(五)  原告Cの手背部の傷、鑑定書、検査処理票

鑑定書(甲五二)によれば、右傷は二月九日の時点で受傷後一五日ないし二〇日と推定され、被害者の爪等によって引っ掻かれたことによっても発起可能であるとされていた。他方、被害者の解剖時に採取された両手の爪を検査した結果、右拇指爪、示指爪に血痕少量付着(ヘモグロビン陽性)が認められたとの検査処理票(甲四七)が存在した。

4 物証に対する検察官の判断

原告ら主張の以下の物証について、検察官は、原告らの犯行を否定するに足りる証拠価値を有するものでないと判断したものであるが、その理由は以下のとおりであり、合理性がある。

(一)  被害者の体内から検出された体液(膣内容液)の血液型について

被害者の血液型はA型である。被害者の膣内容液が、A型の血液型を示したとしても、次のような点を考慮すると原告らが被害者を姦淫していないとする証拠になりえない。

鑑定書(甲一一)では、被害者の膣内容液に認められた精液の血液型は不明と鑑定されている。その理由は、膣内の精液の量が少量であったため、これと被害者の体液とを区別して判定できなかったというものである。鑑定結果でA型が現れたのは、被害者の血液型が反応しているものとみられる。また、膣内に入れられた土砂が有する血液型物質の影響も否定できない。本件膣内容液は犯行後約一九時間後に終了した解剖後に検査されたものであり、死後約九時間経過の事例でも精液斑の証明が得られながら精液の血液型を証明できなかった例も存在する。膣内容液の採取箇所が土砂の少ない膣内の奥からの採取であるとの反論もあろうが、本件における膣内の採取個所を特定することは困難であり、膣内の奥であればそれだけ被害者の体液を採取する割合が多くなり、被害者の血液型を示す可能性が高い。

(二)  被害者着用のオーバーコート裏地に付着の体液の血液型について

右体液は、被害者の膣壁表面の細胞である偏平上皮細胞が多数混在する中の精液を鑑定したもので、その混合割合が不明であり、精液の量が少なければ膣分泌物の血液型が検出されるものであり、被害者の血液型であるA型を検出しても何ら不合理ではない。

(三)  被害者の両乳房から採取された体液の血液型について

検査処理票(甲二六一)には、右体液につき唾液付着と認め、血液型をA型であると記載されているが、右を唾液付着とした根拠は、プチアリン反応を示したことにある。しかし、同反応は、唾液に限らず、汗、リンパ液、尿にも反応するものであるところ、被害者から採取した体液には、被害者の汗やリンパ液等の体液も含まれており、この被害者の体液の血液型を検出した可能性があるのであって、原告らについて犯行との結びつきを否定する証拠価値をもたなかった。

なお、被害者は、暴行を受けて輪姦されたうえ、首を絞められて殺されたものであって、極限状態ともいうべき緊張下にあって発汗することは常識である。

(四)  立岩検察官は、公訴提起までに、鑑定等を行った専門家に右(一)ないし(三)の点を確認していた。

(五)  本件現場の足痕跡、指掌紋について

右については、対照可能なものはわずかであって、本件ビニールハウスや被害者の所持品等は、いずれも指掌紋が明瞭に残らない材質であり、また、足痕跡についても、地表が乾燥し、かなり堅く、足痕跡が残りにくい状況であるうえ、原告Aの指示によって原告らは自己の足跡を消しているものであって、右に関する鑑識結果等の書証は、原告らの本件犯行との結びつきを否定するに足りる証拠価値を有するものではない。

(六)体毛について

体毛のみの鑑定によっては個体識別が困難であることに鑑みれば、原告A又は原告Bの頭毛に類似するとの鑑定結果が得られたことは、原告らの犯行との結びつきを認める資料のひとつとして十分であるうえ、右以外にも鑑定経過において、原告A及び原告Bの陰毛、原告Eの頭毛と相似するものが認められたのであり、右の体毛等の点が原告らの犯行を否定するものではない。

(七)  原告Cの手背部の傷痕について

右は原告Cが自白したことによって、犯行時に被害者から引っ掻かれたものと判明したのであり、公判段階になって、原告らの言い分である原告Cと原告Dが力比べをした状況について検証がされたが、検証における手の組み方では、傷痕は爪の湾曲した形状からして手首からみて凹状になるべきところ、実際の原告Cの傷痕のうち、親指の下方の傷痕及び示指と中指の中間の下方の傷痕の二つの傷痕については、湾曲した傷痕であることが認められ、その湾曲の向きは手首からみて凸状を呈していることから、検証のような手の組み方で生じる傷痕とはみえないのであって、検察官が原告Cの本件傷痕を自白を裏付けるものと評価したことは何ら不合理ではない。

(八)  カッターナイフについて

原告らは、カッターナイフに関する原告Aの自白内容と実際に押収された物の形状等が異なる旨主張するが、ある物の形状を記憶に基づいて図に表す場合に、詳細な形状についてまで正確無比に再現しえないことがあることは経験則上明らかであって、異種類の刃物ではなく、カッターナイフという同一種類のものであるえ、柄の部分に黄色のプラスチック部分が存在するという最も特徴となる点を供述しているものと評価することも可能である。さらに、原告Aが犯行時に被害者を脅迫するのに使用したカッターナイフの形状や保管場所を供述し、それに基づいて、供述された保管場所からカッターナイフが押収されたことが重要である。

(九)  原告Eのサンダルと土砂について

原告Eからサンダルの提出を受けたのは、犯行から一六日後であり、同原告は、犯行後も右サンダルを日常使用していたのであるから、本件犯行現場の土砂の付着がないことは何ら不合理ではない。

(一〇)  アリバイについて

当初、原告Aから同原告と原告Eのアリバイ主張があり、畑田はこれに沿う供述をし、原告Cから同原告と原告B及び同Dのアリバイ主張があり、北口広江が右に沿う供述をしていた。しかし、右は、他の関係人の供述、他の原告の自白、客観的証拠に照らしても、また、原告らは後にアリバイ工作をしたことを認め、これを裏付ける関係者の供述があったことからも、当初のアリバイ主張は原告らの犯行を否定するものでなかったことは明らかであり、原告らに犯行当日のアリバイがないとした検察官の判断及び公訴提起に何ら違法、落ち度はない。

また、畑田に対し、逮捕、勾留による心理的、精神的影響力によって真実の供述を強引に変更させたものでもない。

六 争点

1  被告府の違法行為の有無

被告府の警察官の暴行等により、原告らが意に反する自白をさせられたのか否か。

2  被告国の違法行為の有無

検察官の公訴提起が違法であったか。

3  原告らの損害

第三  争点に対する判断

一  取調べにおける暴行等に関する原告らと取調警察官の供述の検討

1  緒言

原告らが本件刑事事件に関して自白するについて、取調べに当たった被告府の警察官らが原告らに暴行等を加えたか否か、原告らの自白は右暴行等によって意に反して強要された結果であるか否かについての直接証拠は、右暴行問題に関する直接の当事者である原告ら及び取調警察官らの本件における各供述及び本件刑事事件における各公判供述を記載した書証である。

そして、その内容は、原告らが暴行を受けるなどして自白を強要されたことを強調するのに対し、取調警察官らはいずれもこれを全面的に否定しているものである。

このように取調室における暴行等の有無については、取調べを行う側と受ける側の各供述を得ることは比較的容易であるものの、両者の言い分が真っ向から対立することが多く、客観的証拠が得られにくいために、その判定は極めて困難な場合が多い。ここでは右の点を十分念頭に置き、まず両者の供述を概観したうえ、関連する諸事情を検討し、総合してこれらの供述の信用性を判断していくこととする。

2  原告らと取調担当警察官の対応関係

各原告と取調担当警察官の対応関係は以下のとおりである。

原告名

取調警察官名

原告A

K、L、V、P、J

原告B

P、M、O、W

原告C

G、T、O、M、U

原告D

O、Q、N、S、V、X

原告E

G、T、H、J、I、Y

3  原告A関係

(一) 原告Aの供述

原告Aは、本件刑事第一審、刑事控訴審、刑事再審及び本件における本人尋問または証人尋問において、概ね次のとおり供述している。

(1) 畑田方において

① 「昭和五四年一月二七日午前五時、畑田方にいたところ、警察官が来て、玄関の方の部屋で正座させられ、踏みつけられたり、蹴られたりした。」(甲二八一―刑事第一審第一六回公判、甲二八二―刑事第一審第一七回公判もほぼ同旨)

② 「畑田の玄関口の部屋で、柔道の足払いみたいにされて何度か倒されて、手錠をはめられ、手錠をはめられたまま正座させられ、肩と頭に足を乗せて倒された。」(甲三二四―刑事控訴審第一二回公判)

「手錠をはめられ、あぐらをかいたら、警察官に『正座せえ。』と言われ倒された。」(甲一一九―刑事控訴審第二〇回公判)

③ 「畑田の玄関を入ってすぐの部屋で、足払いされたり、正座させられた。」(本件原告A本人尋問)

(2) 貝塚署において

① 「一月二七日、まず、貝塚署に行き、一階奥の部屋でK警察官から暴行を受けた。」(甲二八一―刑事第一審第一六回公判)

「K警察官から、『何でここに来ているか分かっているやろう。悪党。』などと言われて、髪の毛をいきなり引っ張られた。」(甲二八二―刑事第一審第一七回公判)

② 「椅子に座ってK警察官を待っていた。K警察官から、髪の毛を引っ張られて椅子から引きずり下ろされ、『正座しておけ。』と言われた。」(甲三二四―刑事控訴審第一二回公判)

③ 「貝塚署でも髪の毛を引っ張られた。一応座れと言われたので、椅子に座りかけたら、『椅子に座るな。』と言われて、髪の毛を引っ張られ、揺さぶりながら床に座らせられた。」(本件原告A本人尋問)

(3) 泉佐野署において

① 「逮捕後も否認していた。ずっとどつかれていた。特に、泉佐野署に行ってから、主にK警察官と、途中で代わった名前を知らない警察官に、髪の毛を引っ張られたり、髪の毛をつかまれて壁に後頭部をぶつけられたり、床に土下座させられたり、床に正座させられ、踏んだり蹴ったりされた。」(甲二八二―刑事第一審第一七回公判)

「ずっと髪の毛を引っ張られていた。事件の事実を知らず、答えられなかったので、『言わんかい。』と警察官から暴力をふるわれた。」(甲二八三―刑事第一審第一八回公判)

② 「最初から警察官の暴行を受けていた。その内容は、髪の毛を引っ張られ、髪の毛をつかんで前後左右に揺さぶられ、蹴られ、正座させられ、椅子ごと倒されるというものである。」(甲三二四―刑事控訴審第一二回公判)

③ 「警察官から髪の毛を引っ張られたり、押されたり、蹴られたりの暴行を受けた。」(甲二七〇―刑事再審)

④ 「自白するまで、髪の毛を引っ張られたり、床の上に正座させられたり、椅子に座っているのを蹴飛ばされて落とされるなどした。K警察官が髪の毛を引っ張り、その他は、L警察官が床に座らせたり、首を絞めたり、足の上を踏みつけたり、いろいろした。」(本件原告A本人尋問)

(4) 泉佐野署での自白に至る状況について

① 「一月二九日に勾留質問があり、勾留が認められた。刑事が『お前はやっていないと言っているけど、裁判官が認めたんだ。』などと言った。頭にきたので、黙ったりしていると、刑事が認めろと言って、髪の毛を引っ張ったり、殴ったりした。いやになって、『死んでしまったる。』などと言って、取調室の窓ガラスに頭突きをやろうとしてみたり、壁や机に頭をぶつけようとしたりした。その後、刑事に『わかりました。明日全部お話しします。』と言った。暴行に耐えられなかったのである。その翌日、『やった。』と言ったが、詳しいことは話せなかった。」(甲二八二―刑事第一審第一七回公判)

「一月二九日の勾留質問のあった晩に明日話すということになった。一月三〇日も当初は『関係ない。』と言った。すると警察官から髪の毛を引っ張られたり、首を絞められたり、正座させられた。そして、その日の昼前後に自白した。」(甲二九九―刑事第一審第三七回公判)

② 「自白した理由は、警察が『裁判所が勾留を認めたんだからお前が犯人や。』というふうに追い詰めたこと、暴力などから逃れたかったことによる。」(甲三二四―刑事控訴審第一二回公判)

③ 「勾留が決定された後、泉佐野署で、自分の言い分が全く受け入れられなく、『なぜやったと言えへんのか。』と警察官に髪の毛を引っ張られたり、暴力を受け、無期懲役や死刑などと言われ、やけくそになって、壁に頭をぶつけたり、ガラスに頭をぶつけた。ガラスは割れた。」(本件原告A本人尋問)

(5) 泉佐野署における自白後の状況について

① 「暴行は、最初はやられていたが、犯行を認めてからはあまりやられなかった。ただ、答えたことが他の原告のいうことと違っていたら、『話が違う。』と言って、髪の毛を引っ張られた。想像で答えたことが調書になり、後で訂正されたこともある。図面は警察に教えられて書いた。一月三〇日付けの員面は、自分が答えられないので、刑事がひとつひとつ言ってきて、はいはいと質問に答えていったものである。がま口については人になすりつけようと思って否認した。後に、がま口を捨てた場所の図面を想像して適当に書いた。警察が捜索しても見つからなかったので、K警察官ではなく、L警察官から蹴られたり、後頭部を壁にぶつけられたり、めちゃめちゃされた。なお、カッターナイフをしまった場所等については、適当に言って、図面も書いた。」(甲二八二―刑事第一審第一七回公判)

「自白した後は、自白するまでほどではないが、供述が他の原告らと食い違うと暴行を受けた。警察官からは、こうだろうと断定的に言われたことも、他の原告がこう言っていると言われたこともあるが、最初は『知らない。』と答えたものの、警察官に『知っているはずだ。』などと言われ、結局はいはいと答えていった。」(甲二八三―刑事第一審第一八回公判)

「強姦を認めた後も、がま口の窃取は否認していた。理由は、一番悪くなりたくなかったことのほか、がま口を出せと言われても出せないので否認していた。」(甲三〇〇―刑事第一審第三八回公判)

② 「自白内容は、どういうふうにやったか全く分からないから、刑事の言うとおりに、はいはいと答えた。強姦を一番目にしたとの点も、『知らん。』と言っていたが、暴力をされたことや、『他の者がAを一番と言っている。』などと言って刑事が言い分を聞いてくれなかったので認めた。がま口を取ったことも、最初、刑事は『Cが取ったのではないか。』と言っており、『そうだ。』と答えたが、後に、刑事は『お前が取った。』というふうに変わってきた。」(甲三二四―刑事控訴審第一二回公判)

「がま口を捨てた場所もわからないのに警察官が『出せ出せ。』と言うので、うそでもつかないとしかたがないので、あっちこっちと適当に言っていた。川を捜索等したが出てこなかったので、帰ってからL警察官から『おやじ(K主任)の顔をつぶされた。』と言われ、蹴られたりした。」(甲三二五―刑事控訴審第一三回公判)

③ 「がま口の図は、警察官が書いてそれを写した。捨てた場所もわからないので、適当に色々な場所を言った。近木川を捜索してもがま口が発見されず、泉佐野署において、L警察官に『おやじ(K主任)の顔をつぶされた。』と言われ、大声を出され、座っている椅子を蹴飛ばされて椅子から落とされた。カッターナイフの絵は、思いつきで書いた。取調べでは、警察官から、『他の者がこういうふうに言っているから、お前の勘違いじゃないか。』ということで訂正等が色々とあった。いわれるままに訂正した。その際、K警察官から、『なんで嘘言うんや。』と怒られ、髪の毛をつかまれた。警察官からは、誘導されて供述した。確かに、自分も適当に言ったことがあり、これは訂正されて、最終的には警察官の言うままに調書ができた。」(本件原告A本人尋問)

(6) 弁護人との接見状況について

① 「岡本弁護士の面会(二月二日)で畑田がアリバイの証言をしてくれていることを聞いた。」(甲二八二―刑事第一審第一七回公判)

② 「山本弁護士にも岡本弁護士にも暴行を受けていることを訴えた。弁護士に会った後自白を撤回しようとした。そうするとK警察官が怒って髪の毛を引っ張った。検察官に対して自白の撤回をしたことはない。取調警察官が検察官の取調室にも同席した。」(本件原告A本人尋問)

(二) K警察官の供述

原告Aの取調べに関与したK警察官は、本件刑事第一審及び本件における証人尋問において、次のとおり供述している。

(1)① 「暴行の事実は全くない。」(甲二一五―刑事第一審第二一回公判)

② 「当初は、否認のままで弁解録取しており、暴行を加える理由がない。泉佐野署の取調室は捜査の部屋の向かいにあり、その前が廊下になっていて、誰でもが出入りできる場所であり、原告Aが言うようなことができるわけがない。自白前の原告Aが頭をぶつけるなどしたことはあり、これを制止した後、小一時間ぐらい正座させたことはある。正座させたのはその一回だけである。取調室は、二メートル、四メートルくらいで真ん中に机があり、原告Aと机と挾んで向かい会って座り、横にL警察官が座っている状況であるので、机越しに髪の毛を掴んで引きずり回すということは当たらない。」(甲二一六―刑事第一審第二二回公判、本件証人尋問も同旨)

(2) 「原告Aに対して『他の者は言っておるぞ、お前正直に言え。』とか、勾留後、『なんぼ関係ないと言うとっても、こうやって留められるではないか、帰してくれないではないか。』という話をした。」(本件証人尋問)

(3) 「がま口の捜索未発見の件も、見つからなかったが、被疑者がそこまで話しているのだから暴行をすべき理由がないと考える。」(甲二一六―刑事第一審第二二回公判)

(4) 「捜査会議をしており、原告らの供述の矛盾の話題もあった。この矛盾は、原告Aにぶつけた。原告Aの供述は調べを進めると変わってきた。最終的には他の原告らの供述を原告Aにぶつけたことはあるかもしれない。原告Aは、自供があったとしてもすべて本当のことを話しているわけではない。自己に都合の悪いところは隠したり、人に置き換えたり、次々に変わっていく。原告らは怯えているとは思わない。だから、いい加減な供述ばかり繰り返していたのではないかと今から考えれば思う。」(本件証人尋問)

(5)① 「弁護人との接見後、二度自白を撤回し、いずれも再度自白に転じた。撤回の理由は、畑田がアリバイ証言をしてくれていること、他の原告らも否認し、アリバイを申し立てていること、がま口を取ったとされたら、強盗殺人で死刑か無期懲役になることを弁護士から聞いて、逃れたいと思ったとのこと、しかし、三度目の接見の後では自白は覆らなかった。」(甲二一五―刑事第一審第二一回公判)

② 「自白の撤回をした際に、叱ったり、大きな声をだすときもある。」(本件証人尋問)

4  原告B関係

(一) 原告Bの供述

原告Bは、本件刑事第一審、刑事控訴審及び本件における本人尋問において、次のとおり供述している。

(1) 貝塚署に連行される車中及び貝塚署において

① 「一月二七日午前七時四〇分ころに犯行を認めたが、午前四時四〇分くらいからそれまでの間、貝塚署での取調べで暴行を受けた。取調べはP警察官と二人の警察官から受け、『お前が首絞めて殺したんか。』などと言われ、『そんなん知りません。』と言うと、その名前のわからない二人の警察官から、頭、耳の上、耳の横などを拳で殴られたり、足や膝で太股などを蹴られたり、髪の毛をつかんで引っ張られ壁に頭をぶつけられたりなどの暴行を受けた。暴行を加えた警察官のうち、一人はその時に取調べをしたきりであり、もう一人は泉大津署で二日間くらい取調べをした。がまんできなくなって、やったと言った。初めは、自分が首を絞めたと言った。刑事は聞かないふりをして、『絞めてるやつはもう知ってんやぞ。みんな調べてんやからわかってんやぞ。言え。』と言うので、『A。』と言った。」(丙一四―刑事第一審第一三回公判)

「一月二七日午前四時半ころ逮捕され、連行される車のところで、警察官に『お前がやったんやな。』と言われ、『何をですか。』と言ったら、手で顔を殴られた。その後、貝塚署に着いて、事件を認めた午前七時四〇分くらいまでの間に殴られた。話をしなかったので、警察官に正座させられ、手錠をはめられ、姿勢が悪かったりしたら、胸のところを蹴って後ろへひっくり返され、『はよう起きんか。』と言ってわしづかみにされた。一番ひどい暴行を受けたのはこの時である。ここで、やったと言った。」(甲二七七―刑事第一審第一四回公判)

「逮捕後、貝塚署で、刑事に耳の上の所を手で一四、五回殴られたので、強姦の順序は知らないのに言った。」(甲三〇四―刑事第一審第四一回公判)

② 「一月二七日貝塚署に連行され、暴行を受けた。どんな事件かもわからないのに、ただ『お前がやったのか。』と言われ、否定しても黙っても暴行を受け、やけくそ、仕方なしにやったと自白した。その後に何の事件かわかった。その際、名前は出てないが、『ほかのやつは認めている。』と言われた。強姦の順番に関する当初の供述(A、C、B、D、E)は、自分の方から述べたものである。そのとおり調書がとられた。」(甲三三二―刑事控訴審第一八回公判)

③ 「逮捕されて、自動車で連行される車中、『お前がやったんやな。』と言われ、『何をですか。』と答えたら、運転していた警察官に顔の正面を平手で押されるようにはたかれた。貝塚署の部屋においては、起立したまま、正面、左右に三人の警察官に囲まれ、『お前がやったんやな。』と言われ、『何ですか。』と答えたら、正面にいたP警察官ではない警察官に左右の耳の上あたりの頭部を殴られ、髪をわしづかみにされて壁にぶつけられ、両足を蹴られた。その後、正座させられ、両手に手錠をはめられた。約三時間暴行を受けて、辛抱できなくなって、やったと言い、それが調書にされた。午前四時二〇分ころに弁解録取書を作成された記憶はない。右暴行で頭にこぶができていたと思う(枕をするときに痛かった)が、弁護士と会ったときには残っていなかった。」(本件本人尋問)

(2) 泉大津署において

① 「泉大津署に移ってから一〇日間の間に二、三回、調書を取るときに皆と全然食い違うと言って、取調べをしたP警察官から皮靴を脱いで殴る格好をされたり、机の下から蹴られたり、拳で顔を殴られたりした。泉大津署に行って調書を取る人が二人くらい変わったが、その最初の人にも、蹴られたり、殴られたり、髪の毛をつかまれたりされた。ひどいということでもなかった。何日か殴られた日があった。ほとんど刑事の言うとおりに答えた。調書を取るときも刑事が教えてくれた。その後の勾留延長があってからは、弁護士と接見した後、P警察官から『弁護士さんにどんな話したんや。それを言え。』と言われ、黙っていたら、皮靴を脱いで殴る格好をした。しかし、勾留延長後は実際に殴られたことはなかった。『CとEも首を絞めたやろ。』と刑事に言われた。『知らん。』と言った。しかし、後では、刑事が『お前だけ見てないておかしい。』と言うので、『AとCと二人で絞めた。Eは知らない。』と言った。結局、刑事がEも絞めたやろとしつこく言うので、『はい。』と答えた。」(丙一四―刑事第一審第一三回公判)

「一月二七日、貝塚署から泉大津署に行き、その後一〇日間に三度くらい暴行を受けた。一度に一回だけ殴られたこともあるし、一度に十何回蹴られたこともある。壁に頭をぶつけられたりもした。他の原告らの言っていることと違ったときに暴行を受けた。強姦の順番が違っていたこと、財布の中身を知らないと言ったこと、水車から現場へ行くまでの道が違ったことで三度暴行を受けた。泉大津署では、P警察官からは暴行を受けていない。強姦の順番について、最初(警察官が)言えと言うから、何されるかわからないので、想像で言った。後で警察に順番が違うと指摘された。図面は、刑事が書いたのと同じものを書いた。但し、現場付近はよく知っている。刑事に言われて合わせて言ったこともある。道順、帰りの道順、二色の浜で女の人をからかったこと、襲いそこなったことなど。陰毛を取ったことについては、刑事に『取ったやろ。』と言われ、『知らない。』と言ったが、『いやみんな見ているんや、お前抜いてるはずや。』と警察官に言われ、陰毛を抜いた動機を言わされた。」(甲二七七―刑事第一審第一四回公判)。

「P警察官からは、泉大津署では暴行を受けていないが、顔を三回殴られ、足を何回か蹴られたことがある。」(甲三〇四―刑事第一審第四一回公判)

② 「自白調書は、刑事から『強姦は誰が一番でお前は何番か。』などと調べられ、適当に、でたらめでやったと答えた。順番は刑事から聞かされた。調書は読み聞けをされていない。その後、供述が皆の言っている供述と全然違うということで、何か勘違いしているんやということで皆と合わした。図面は刑事が見本を書いてそれをまねて書いた。しかし中には自分で適当に言ったり書いたりしたものもある。現場付近の土地勘はある。アリバイがあることに気付いたのは、泉大津署に移ってから。アリバイは言わなかった。暴行を受けると思ったし、言っても信用してくれないと思った。首を絞めた者については、当初Aだけを供述していたが、泉大津署で追及されて、C、Eも絞めたと認めた。泉大津署に行ってからDと自分の強姦の順番が違うと指摘され、お前の勘違いやということで訂正された。この際、三回のうち、一回の暴行があった。すぐ訂正したのかもしれないが、訂正する前に先に手が出ていた。二回目の暴行は、財布の中身を知らないと言ったらあった。しかし、財布の中身は最後まで知らないことでとおした。中身についての警察からの誘導はなかった。三回目の暴行は、水車を出てから現場への道が皆の供述と違うということでされた。」(甲三三二―刑事控訴審第一八回公判)

③ 「泉大津署での暴行はあまりひどいものではなかった。」(本件本人尋問)

(3) 弁護人との接見状況について

① 「逮捕後一週間で弁護士と面会し、弁護士から『嘘を言ってはいけない。やったというと裁判所へ行ってからは絶対にひっくり返されない。やってないなら早くやってないと言わないといけない。』と注意された。警察官から『弁護士に何と言ったのか。』等と聞かれた。弁護士には、暴行を受けていることは話した(どの程度具体的に話したかとの質問には答えられず)。やってないということを警察には言わなかった。警察官に何をされるかわからないので、やったと言った。」(甲二七七―刑事第一審第一四回公判)

② 「弁護士にはやってないと言ったが、警察には言っていない。刑事から『どうせお前らがやったことは確かなんやからひっくり返すことはできないんや。』ときつく言われ、暴行を受けていたこともあって言えなかった。」(甲三三三、刑事第一審第三三回公判)

③ 「一週間しての岡本弁護士との面会で、やったと言った。P警察官が、弁護士の面会があることを知らせ、『ちゃんと正直に言わないと承知せんぞ。いい加減なことを言ったら、後で先生に話を聞くから。』などと言われた。もし、弁護士にやってないと言って、刑事がそれを聞いたら、後で何をされるかわからないと思った。」(甲三〇四―刑事第一審第四一回公判)

④ 「弁護士には最初からやっていないと言っていた。」(甲三三二―刑事控訴審第一八回公判)

⑤ 「弁護士の面会のとき、『やっていないが警察にはやったと言っている。』と説明した。暴行を受けていることも話したと思うが、はっきりしない。」(本件本人尋問)

(4) 検察官に対し

① 「検察官には事件をやったことを認めた。刑事もそばにいたので、やっていないと言ったら警察に戻って何をされるかわからないと思うと怖くてやったと言った。もうやったと言った後なので、やってないと言っても信用してくれないと思った。」(丙一四―刑事第一審第一三回公判)

「検察官には本当は(やってないと)言うつもりだったが、刑事が同席していたので言えなかった。一月二七日のことがひどかったので、それを思うと怖かった。」(甲二七七―刑事第一審第一四回公判)

② 「アリバイは、検察官にも裁判官にも言えなかった。刑事から、『やってないと言ったら承知せん。』と口止めされていたので。」(甲三三二―刑事控訴審第一八回公判)

③ 「検察官の弁解録取の前には警察官から『やったと認めたことをちゃんと言わないと承知せんぞ。』と言われており、しかも、検察官の取調室にP警察官が同室していたので、検察官にも自白した。」(本件本人尋問)

(5) 勾留質問について

① 「裁判官の質問を受けたときには、警察官は同席してはいなかった。裁判所であることはわかっていた。後がどうなるかわからなかったから、(やってないとは)言えなかった。」(甲二七七―刑事第一審第一四回公判)

② 「裁判官の勾留質問の際には、警察官は部屋にいなかったが、裁判官、検察官、警察官の区別がつかず、本当のことを言えなかった。」(本件本人尋問)

(6) 家裁送致時について

① 「鑑別所で他の三人に、『七年ぐらい入るようになるんと違うか。』と言った。」(丙一四―刑事第一審第一三回公判)

② 「鑑別所で他の原告らとアリバイがあるという話はしていない。家裁の裁判官に対して話した内容は覚えていない。事実も聞かされていないと思う。」(甲三三二―刑事控訴審第一八回公判)

③ 「鑑別所で調査官の面接を受け、家裁で裁判官の審判を受けたが、間違いとは言えなかった。警察と同類と思っていた。」(本件本人尋問)

(二) P警察官およびO警察官の供述

原告Bの取調べに関与したP警察官が本件刑事第一審の公判において、O警察官が本件における証人尋問において、次のとおり供述している。

(1) 「原告Bの逮捕には責任者として出向いた。貝塚署に連行する際、車内では自分は左後ろにいたが、運転手(誰か記憶にない)が殴ったことはない。原告Bは寝ていたが呼び出して被疑事実の要旨を告げた。原告Bは知らんの一点ばりだった。午前四時二〇分に弁解録取書を作成した。この時刻は、録取書に記載を開始した時刻である。その際、被疑事実を読み聞かせたら、原告Bの体に相当震えがあり、しばらくの間(二、三分間と思う)震えながら黙って涙ぐんでいたが、その後、そんなに時間がたたずに、『すみません。』と事実を認めた。車で連行する車内でも、原告Bは頭を下げて『すみません、すみません。』と言っていた。そして、原告Bが長く話を始めたので、直ちに供述調書の作成をした。昼前くらいに終わった。他の共犯者の供述は知らずに、原告Bの言うままに調書にした。昼すぎころに泉大津署に移監した(運転手の手配ができなかった)。貝塚署で、自分が横にいて、正面の警察官が耳の上を殴り、左の警察官が足を蹴飛ばすようなことはできないはずである。貝塚署に連れて来て、すぐに原告Bの真正面に座って弁解録取をしているので、自分がいったん部屋を出て帰ってきて、『皆正直に言うてるやないか、お前だけや。』などと言って、原告Bの髪の毛を引っ張ったりしたというような状況にない。」(P警察官―甲二二〇―刑事第一審第二一回公判)

(2)① 「その後、原告Bを調べていて、朝の最初に話が続かず、黙っていることがあった。カーテンで仕切った同室の覚醒剤事犯の被疑者から重い罪だとけしかけられていたためである。注意したがおさまらなかった。しかし、原告Bは反省しており、話を続けた。原告Bを殴ったことはなかった。実況見分での道順も原告Bが話した。強姦の順番も当初三番目と言っていたが、調べるにつれ、誰が話した、どこを押さえたと順次思い出して、『あ、四番目だ。』ということになった。そして、他の者の供述を聞いてみたらそれが正しかった。つまり原告Bが思い出したのである。他の原告の供述がこのようになっているのを自分が聞く前に、原告Bの方から訂正があった。泉大津署での暴行もない。」(P警察官―甲二二〇―刑事第一審第二一回公判)

② 「P警察官の補助として原告Bの取調べに関与した。警察官が言って、原告Bが『そうです。』という調べの状況ではない。他の原告の供述と違った際に暴行を受けたと言っているがそういうことはない。殴ったり、蹴ったり、顔を机に押し付けるということもない。共犯者との供述の矛盾が焦点になった。『思い違いではないか、なぜか。』などと聞いていった。供述は『こう言っているぞ、こうと違うか。』ということで聞く。それに対し、『そうです。色々考えてなるほどそうでした、勘違いしていた。』との原告Bの答えであった。『やっぱりもとのが正しい。』ということもあった。」(O警察官―本件証人尋問)

(3) 「岡本弁護士から取調べについて苦情を受けたことはない。」(O警察官―本件証人尋問)

5  原告C関係

(一) 原告Cの供述

原告Cは、本件刑事第一審、刑事控訴審及び本件における本人尋問において、次のとおり供述している。

(1) 貝塚署において

① 「一月二七日午前五時すぎに逮捕され、貝塚署に行った。取調べはG警察官から受けた。最初、『事件は知らない。』と言い、午前一一時ころにはアリバイを言った。その日の昼一二時ころには事件をやったと言った。認めた理由は、どつかれたのと、Eに会わされたこと。Eは、一一時ころ調室に入ってきて、警察が自分をみせた。そしてEが自分が殺したように言った。そこで、自分は、『皆そんなん言うてんやな。』と思って自分も言った。また、捕まって一時間か二時間してから、その日の夜に高石署に連れていかれる少し前までずっとどつかれていた。G警察官とか名前を知らない人がスリッパで頭を何十回とどついたり、腹を蹴ったり、正座させたり、歯ぐきを押さえたり、耳を引っ張ったりした。やったと言ってからも、皆の言うていることと話が違うということで続いた。アリバイがあると言っても、(警察官は)調べないし、聞こうともしなかったこともやったと言った理由である。貝塚署のときに認める調書ができているが、殺された場所など知らなかったので適当に言っていたら、皆の言うのと違うやないかと言ってどつかれた。本件ビニールハウスへ入った状況など聞かれてもわからなかったので黙っていたら、警察の方が言ってきて、どつかれるのが嫌で、はいはいと答えた。手のけがも見つけられた。Dと力比べをやってできたと言ったが全然信用してくれず、どつかれた。お前首を絞めたんやろうといわれ、違うと初めは言っていた。しかし、『お前だけ助かろうと思うな。お前が絞めたんやろう。』と言われ、『はい絞めました。』と言った。『その時に引っ掻かれた傷だろう。』と言われ、違うと言ったらどつかれるし、はいと言った。『お前一人でそんな度胸あるか。』と言われ、『Aと一緒に絞めた。』と言った。Aの名前を出したのは別に理由はなく、適当に言った。」(甲二七五―刑事第一審第一二回公判)

「緊急逮捕のときに容疑は聞かされていない。貝塚署に行ってからも、最初は高橋との喧嘩のことと思っていたが、一時間か二時間して本件容疑を聞いて、アリバイの主張をした。逮捕の日に否認から転じて認めた理由は、暴行を受けたことと、Eが途中で調べ室に入ってきて、『この子や。』とか言い、それで、『ほんまか。』と言い合いをしようとしたら、Eは他の方へ連れて行かれたことによる。手の傷は、警察官から『被害者の首を絞めたときにできた傷だ。』と言われ、否定していたが、途中で絞めたことを認めた。信用してくれないし、暴行を受けたので。」(甲三〇一―刑事第一審第三八回公判)

② 「逮捕の事実の説明を受けたのは午前一一時ころ。G警察官に『アリバイを作ってあります。』とは言っていない。『アリバイはある。』という言い方をした。否認したときに、『Eがお前がやったと言うよるんや。』と刑事に言われ、取調室にEを連れてきた。刑事に、『こいつ(自分のこと)がやったんやろう。』と言われ、Eは首を縦に振った。貝塚署での取調べは、G警察官、M警察官ともう一人であった。手錠をはめて、足を蹴ってきたり、一人が後ろから羽交い締めのような形で持ち、腹をどついたり、太ももを蹴ったり、耳を引っ張ったり、警察官が履いていたスリッパでたたいたりした。これは正午ころに自白するまで続いた。手の傷は、刑事に指摘されて手を後ろに回して隠したということはない。力比べでできたと説明した。」(甲三二七―刑事控訴審第一四回公判)

「逮捕の日、午前一一時に事実を聞かされる前にも暴行されていた。」(甲一七四―刑事控訴審第一九回公判)

③ 「自白した理由は、アリバイのことを警察官が信用してくれないし、Eが取調室に来て、警察官がEに対し、自分のことを『こいつがやったんやな。』と言い、自分に対し、『皆自白しているから正直に言え。』と言われたこと、ずっと暴行を受けていたことである。自白するまでの暴行は、G警察官など三人くらいで羽交い締めにされて、腹をどつかれたり、足を蹴られたりした。認めてからは、スリッパで殴ってきたり、正座をさせて太ももを蹴ってきたり、髪の毛を引っ張ったりした。以上は貝塚署のことである。手の傷を隠そうとしたことはない。Dとの力比べの傷と説明した。信じてもらえず、暴行を受けていたので、投げやりみたいになって調書のようになった。スリッパというのかサンダルというのかよくわからない。」(本件本人尋問)

(2) 高石署において

① 「一月二八日以後も高石署でほとんど毎日どつかれた。たたかれた日とたたかれてない日がある。M警察官とG警察官が、ひとりが後ろでつかんで動けないようにして、ひとりが腹をげんこつで殴った。頭をスリッパでどついたり、壁に頭をぶつけるなどもした。暴行はM警察官がした。『がま口知ってるやろ。』と言われ、知らんと言ったらどつかれるというように、財布、ナイフ、入口、道順などのことでどつかれた。2.2員面に添付の図面は、最初に別に図面を書かされ、後で、警察から場所が違うなどと言われて書き直した。現場に行って説明の後、手を合わせて拝んだが、刑事に言われてやった。じゃんけん、本件ビニールハウスに引き込んだ経緯、Eが被害者の顔を知っていると言ったこと、首を絞めたらゴロゴロいったということ、すべて警察官が言ってきた。犯行を認めたのは、(本当のことを言っても)信用してくれないし、反面、本当の犯人が出てくるのではないかという気持ちでいた。被害者の口を一人が開けさせて、一人が砂を入れたというのは、なぜわざわざそう言ったのか、覚えていない。がま口の絵は適当に書いた。途中で違うと言って別の紙に書き、同じように書けと言われて書いた。」(甲二七五―刑事第一審第一二回公判)

「強姦の順番については、検事からどうやって決めたのかと聞かれて、確か自分から適当に、ジャンケンで決めたと言った。犯行までの状況(女の子に声をかけたりした)は警察にこうやろと言われてそうなっていった。調書でEが首を絞めたと述べていることについては、覚えていない。道順の図面は、分からなくて書きようがなかったが、刑事が別の紙に書いて、同じのを書けと言われ、書かされた。図面の説明には、自分であてずっぽうで書いたものもある。説明で警察が口で言ってそれを書いたのもある。」(甲三〇一―刑事第一審第三八回公判)

② 「ジャンケンのことは刑事がそうだろうと言って聞いてきて、自分が認めた。」(甲三二七―刑事控訴審第一四回公判)

「ジャンケンで決めたことは、刑事に言われたから言った。」(甲三二八―刑事控訴審第一五回公判)

「警察官から『順番はどうやって決めたんか、ジャンケンかなんかで決めたんか。』と言われ、はいジャンケンで決めましたと答えた。順番は自分で答えそれが調書にされた。」(甲一七四―刑事控訴審第一九回公判)

③ 「G警察官はスリッパでの暴行を否定していたが、スリッパというかサンダルというか表でも履いている草履みたいなやつで、(代理人の尋問に応じる形で)サンダルのようなものをスリッパと言った。ほど毎日暴行があり、一〇日目以後はだんだん減っていった。一日三回くらい。刑事の誘導ではいはいと答えていたら、翌日、他のやつと違うということで暴行を受けた。高石署でもG警察官から蹴られたり、髪の毛を引っ張られたりした。G警察官とM警察官によりされたが、M警察官は、逃げようとする自分を羽交い締めにして押さえたりして抵抗できないようにしており、M警察官自身からはほとんど暴行はなく、G警察官が暴行をした。暴行では足を引きずったりということはあった。」(本件本人尋問)

(3) 検察官等に対し

① 「検察官の前でも認めた。高石署に帰ったらまたどつかれると思って、検事のところでも殺したようなことは言った。もっとも、検察庁から帰って警察官に叱られたり殴られたりしたことはない。検事には、手の傷は被害者に引っ掻かれた傷と説明した。それは、警察官に手をちゃんと見せて説明しろと言われていたからである。検察官の調書で初めて、Eも首を絞めたとの供述が出ているが、言ったことは覚えていない。なお、その時、ナイフを持っていたのは、自分ではなく、Aだと言った。二月一五日、検事にやっていないと言ったことがある。元平、桐山らとのことでアリバイの話をし、調べて欲しいと言った。その後、一時間か二時間後、また、やったと言った。そのとき、検事に『一〇年位入るようになると聞いていたんで、助かりたいと思ってやってないと言ったが、皆が二一日に酒を飲んだと口を合わせてくれたら助かると思って二一日に酒を飲んだと言った。だましてすみません。』と言って、泣いて謝った。鑑別所で皆と話して二一日に酒を飲んだことを確認し、皆と本当のことを言おうと決めた。それから拘置所に戻ってから検事の調べをうけたとき、(再度)やってないと言った。」(甲二七五―刑事第一審第一二回公判)

② 「検察に本当のことを言うと、また、嘘を言いはじめたと言って、G警察官とM警察官が、一人が両手を後ろに絡ませて押さえ、一人が膝で腹を蹴り、頭などを殴った。検事の調べで本当のことを言ったら、検事が途中で怒って帰り、留置場に戻され、G警察官とM警察官が戻ってきてかんかんに怒って、取調室に入れられ、正座させられ、G警察官が足の上に乗ってきたり、スリッパで頭をどついてきた。なお、鑑別所では事件のことは聞かれなかった。」(甲二七六―刑事第一審第一三回公判)

③ 「鑑別所の図書館のような所で、(原告A以外の三人と)酒を飲んだのは二一日やったなあと話した。警察で二一日と違うと言われたので、聞いてみたもので、皆そうやと言った。」(甲二九七―刑事第一審第三五回公判)

④ 「警察と検事とは同じようなものと思っていた。二月一五日に高石署で検事の調べを受けたときに、やってないと本当のことを言ったことがあった。検事の最初の取調べと裁判所での勾留質問のとき、一部否認となっている。それは、カッターナイフの点まで認めると、今度はナイフはどこにあるのかということを聞かれたらまた(警察に)暴行を受けると思って否認した。全部否認する勇気はなかった。Eも首を絞めたという供述については覚えていない。途中での否認は、刑事には何度か言ったが、ひっくり返すたびに暴行を受けた。検事が高石署に来ると聞いたので、最後に検事さんに話をして、もう一度調べてもらおうという気持ちになって言った。だんだん刑事と検事の違いがわかってきた。検事は、反省の色がない、もう一度考え直しなさいと言って帰った。そして刑事に正座させられ、暴行を受け、否認を覆した。」(甲三二七―刑事第一審第一四回公判)

⑤ 「Eも首を絞めた調書になっているが、Eの名前を出したこと自体記憶にない。2.11検面添付の図面は、検事の前で書いた記憶がない。検事に一旦否認して、反省がないと言われ、その日のうちに自白したことがある。」(甲一七四―刑事控訴審第一九回公判)

⑥ 「検事のところでは自白を続けたが、警察と検事は同じという頭があり、(本当のことを)言っても刑事に報告されてどつかれるだけだという頭があった。検事調べの部屋に警察官もいた。鑑別所、家裁でも否認していないが、大きい裁判になると聞いていたのでその時に本当のことを言おうと思っていた。最初は、真犯人が出てくるだろうと思っていたが、日にちがたつにつれて、(裁判所に)送られるというのを聞いていたので、本当のことを言って調べてもらおうと思って検事を呼んでもらった。検事は反省の色がないと言って帰った。G警察官とM警察官が来て、暴行を受けて、もうなんぼ言うても一緒やと思って、自白した。鑑別所が警察と違うことは知っていた。裁判が始まってから言おうと思っていた。拘置所に戻った後の検事調べでもやっていないとは言っていない。検事には手の傷は力比べとは言っていない。取調べをしていた刑事が同室にいたので、否定したら暴行を受けると思ったのと、来る車の中で、変なことを言うたら帰ってからわかっているやろなと刑事に言われていた。ナイフはAが持っていたとの趣旨で話しているが、自分かわいさでAを名指しした。鑑別所で話したことは覚えていない。鑑別所、家裁でも自分がしたと言っていた。」(本件本人尋問)

(4) 弁護人との接見状況について

① 「最初弁護士が面会に来たとき(岡本弁護士)には、やったと言った。(警察に言っても)信じてもらえないし、警察から、『今日は弁護士さんが来るが、同じようなことを言わないと後で知らんぞ。』と言われたので。水谷弁護士が高石署に面会にきたとき、やっていないと言った。弁護士から、『鑑別所に行ったらほんとのことを言ってもいいんじゃないか。』と言われた。」(甲二七六―刑事第一審第一三回公判)

② 「(水谷弁護士が面会に来たとき)弁護士にやっていないと言ったところ、『やっていないなら、やっていないと言え。』と言われた。面会の後、警察官に『やっていない。』と言ったが、信用してくれず、暴行を受けた。」(甲二九七―刑事第一審第三五回公判)

③ 「弁護士(どちらか特定した供述なし)にも暴行を受けていると言った。どういう暴行を受けているか具体的なことは言っていない。弁護士からは『やっていないなら頑張りなさい。』と言われた。どこを殴られたとか怪我はないかとか弁護士からは聞かれていない。」(本件本人尋問)

(二) G警察官の供述

原告Cの取調べに関与したG警察官は、本件刑事第一審、刑事控訴審及び本件における証人尋問において、次のとおり供述している。

(1)① 「当初、容疑をもって甲野を取り調べた。原告Eの出頭まではサイフのことなどは知らなかった。出頭した日には甲野とは会っていない。原告Eの当初の調べをした。その後は、原告Cの調べに当たった。原告Cは弁解録取で、『アリバイは作ってあります。』と言った。『作っている、と言ったら犯人やないか。』と言ってやったところ、『アリバイははっきりしています。』と訂正した。二一日のことを聞くと話した。しかし二〇日、二二日などの前後のことは全く覚えていなかった。原告Cが自白したきっかけは、アリバイの追及中、手に引っ掻き傷があり、原告Cが手を後ろに回したりしていたので、これを追及したところ、自供した。その際、被害者の怨念とか恨みが手に移っているというような話もした。当時、被害者の爪の中から血液反応があったので、班長から誰か顔、腕、手に傷を付けている者がいないか注意するように言われていた。原告Cは、午前一一時にアリバイの主張をして、どつかれたので、一二時に認めたと言っているが、原告Cの調べは昼前後には終えて、午後二時ころには高石署に連れていっているはず。一二時に認めて調書を作成ということはない。取調室にスリッパなどはなく、これで叩くことはない。腹を蹴ったり、正座をさせたり、歯茎を押さえたり、耳をひっぱったりしたこともない。二七日に、原告Eを同Cのところにわざわざ連れて行ったこともない。防犯の部屋で調べていたときに顔を見合わせて言っていたことはある。」(甲二一八―刑事第一審第二〇回公判)

② 「原告Cは最初否認していたが、一五分くらいで自供した。その間にアリバイ工作も話した。」(甲二一九―刑事控訴審第一三回公判)

③ 「貝塚署の大部屋で弁解録取をした。原告Cは、『アリバイは作ってある。』と言っていた。そのアリバイの二一日のことを聞き、前日と次の日のことを聞いたら全く答えられなかった。『その手どないしたんや。』と言ったら、手を下ろしたり、両手を交互に置いて隠したりし、しまいには後ろへ隠す状態であった。追及したら隠すばかりで正当な理由は言えなかった。開始から五〇分か一時間弱経って(高裁では一五分といったが、とんでもないことを言ったと思った。訂正する)、午前八時前ぐらいに、アリバイは言えない。手の傷は言えないと行き詰まって、『Dはどない言うてますか。皆どう言うてますか。』ということを言った後に自供した。状況は「取調べ状況報告書」(丙一)のとおり。昼過ぎまでかかって1.27員面(甲一六一)を作成した。自供後に皆が出勤してくるので、取調室に移っている。貝塚署から高石署に三、四〇分かかって移動し、午後一時四〇分に高石署に留置した。貝塚署でスリッパで殴られたと言っているが、警察の中でスリッパを履いた経験がない。サンダルを履いていたこともない。正座をさせて腰部を蹴ったということはない。耳を引っ張ったことはない。腹、顔面を蹴ったり、頭を平手で殴ったり、足蹴りにしたなどの暴行はありえない。検事調べ、裁判官の勾留質問、弁護士の接見、医師の問診、係官の身体検査などある。そのようなことができるわけがない。それらから何らの指摘もなかった。原告Cと同Eを合わせた点は、移動するときちらっと見た程度だと思う。」(本件証人尋問)

(2)① 「現場で手を合わせている写真については、『悪いと思うんやったら手のひとつでも合わせた方がいいんじゃないか。』というようなことは言った。原告Cが『夕べ、被害者が助けてくれ、助けてくれという夢を見てよく眠れなかった。』と言っていたことがある。暴行はしていない。補助者が原告Cをたたいたこともない。」(甲二一八―刑事第一審第二〇回公判)

② 「その後、高石署で原告Cの取調べを担当した。一月三〇日、『夕べ被害者の夢をみた、助けてくれ助けてくれと怖かった。』と言っていた。高石署でも、腹部の殴打、頭部にスリッパ、壁に頭、羽交い締め、髪の毛などの暴行が言われているが、一切ない。血液型は聞いていない。血液型の矛盾は不純物の関係と聞いていた。」(本件証人尋問)

(3) 「二月六日岡本、二月一四日水谷の各弁護士が面会。弁護士から取調べの苦情は聞いていない。」(本件証人尋問)

(4) 「検察庁での調べでは警察官の誰かが中に入っているが、高石署での検事調べでは、誰も入っていない。」(本件証人尋問)

6  原告D関係

(一) 原告Dの供述

原告Dは、本件刑事第一審、刑事控訴審及び本件における本人尋問において、次のとおり供述している。

(1) 貝塚署において

① 「貝塚署に連れていかれたとき、初めから警察官が手ぬぐいかタオルかハンカチか用意して、手に持って、どつく用意をしていた。一人が手のこぶしに巻いていた。大部屋に入れられ、刑事が二人、部屋にいた。『お前殺したやろ。』と言われた。びっくりして、声が出なかった。泉南署にいくまでの三時間以上、ほとんど黙っていた。同じ一人の警察官から、手ぬぐいを巻いた拳で顔を一〇発以上どつかれ、足で腹を蹴られた。その警察官の名前はわからない。その警察官はその後取調べをしていない。大部屋から小部屋に移ったが、大部屋で暴行した警察官と別の警察官がいた。また、大部屋で暴行した警察官が向こう脛を一〇回以上蹴った。そのときは、顔は殴られていない。(甲二七九―刑事第一審第一五回公判)

「大部屋では、二人の警察官がいて、うち一人の背が一七〇センチ程度、眼鏡をかけてスリーピースのスーツのようなものを着た刑事が右手にハンカチかタオルを巻き、左手には巻かず、両手を使って両方の顔を一〇回以上殴った。その日は腫れていた。『お前やったろ。』と言われても黙っていたので殴られた。大部屋のときは、右のほかに、正座させられ、後ろにひっくりかえされたりした。腹も腰も蹴られた。貝塚署で暴行を受けた後、逮捕当日の午前七時半ころ怖くなって認めた。午前七時四〇分ないし五〇分ころ小部屋に移され、椅子にすわった。内容を言えといわれたが、黙っていたので、膝小僧の下のあたりを蹴られた。」(甲二八〇―刑事第一審第一六回公判)

「貝塚署で(取調べ開始から)四〇分くらいで認めた。大部屋で、握り拳でどつかれ、足で腹を蹴られた。黙るとすぐどつかれた。一〇発以上殴られた。こかされて足を乗せられた。暴行を受けて気が動転して殺したことを認めた。自分がやっていないから最後には犯人がみつかるとも思った。やったと言ってから小部屋に行った。」(甲三〇三―刑事第一審第四〇回公判)

② 「貝塚署に連れて行かれ、大部屋に入れられて、警察官が何も聞かずに、すぐ、手にハンカチか手ぬぐいを巻いて殴った。初め椅子に座ったら、警察官に『お前どこに座っているねん、正座せい。』と言われ、ひっくり返され、正座させられ、『お前自分でやっていることわかってるやろう。』と言われて、どつかれた。二人の警察官のうち、一人がそうした。初めから手ぬぐいを出していたのではなく、途中から出して巻いて殴った。大部屋ではみんな合わせて二〇発以上どつかれた。足で腹を蹴られもした。午前七時三〇分ころ認めたが、恐怖感と何もわけがわからなかった。」(甲三三〇―刑事控訴審第一七回公判)

「逮捕後暴行を受けて、当日の午前七時か八時ころ認めた。その後書面が作られた。否認の内容の弁解録取書もこの後に作られた。」(甲一五五―刑事控訴審第一九回公判)

③ 「貝塚署で、警察官が手にタオルかハンカチをくくって、その警察官から顔を一〇発以上殴られ、蹴られたり踏みつけられたりした。殴られて怪我はしていないが、口の中が切れた。」(本件本人尋問)

(2) 泉南署において

① 「認めてからあまり経たないうちに、泉南署に行き、それからは、N警察官とk警察官に取り調べられた。貝塚署での取調べはこの二人ではない。泉南署での取調べでは、正座ばかりで、暴力は受けていない。但し、背中の上に足をのせて押し付けられたことはある。正座させられないときもあった。取調べでは、質問に黙っていると、椅子にずっと座って、背中の上に足をのせて押し付けられた。」(甲二八〇―刑事第一審第一六回公判)

② 「泉南署に移ってからは、正座させられた。警察官に殴られてはいないが、足に警察官の足をおいて、ぐっと押した。背中を足でやられた。」(甲三三〇―刑事控訴審第一七回公判)

「勾留後は、N警察官、k警察官の取調べを受けた。」(甲一五六―刑事控訴審第二〇回公判)

③ 「当日のうちに、泉南署に移ったが、推測で言ったり、五人の中で食い違ったときに、どつかれはしないが、正座させられ、腹とかを踏みつけられた。正座した太股のところに足を乗せられた。」(本件本人尋問)

(3) 供述状況について

① 「調書で内容が変っている部分は、警察官がみんながこう言っているぞと言って変わっていった。」(甲二七九―刑事第一審第一五回公判)

「泉南署での取調べは、質問に黙っていると警察官に背中の上に足をのせられて押し付けられ、内容を言われ、『そうです。』と答えるというように進んでいった。想像で答え、後日、警察官からこうと違うかと言われ、変更したものもある。」(甲二八〇―刑事第一審第一六回公判)

「取調べでは、想像して言った部分もある。『やっていない。』と言ったこともあるが警察官から殴られた。」(甲二九八―刑事第一審第三五回公判)

② 「警察官が言うのを『はいはい。』と言ったり、あてずっぽうで言って調書ができた。途中で、警察官に自白の撤回をしたが正座させられてまた自白した。」(本件本人尋問)

(4) 検察官等に対し

① 「検察官の弁解録取の前に警察官にこう言えと内容を言われた。裁判官の勾留質問でも認めた。警察官が中にいたので言えなかった。弁護士の面会では、やっていない、警察官に暴行を受けているといった。」(甲二七九―刑事第一審第一五回公判)

② 「検察官の取調べには、その同じ部屋にN警察官(○○と供述しているが、Nと供述する趣旨と解される)がいた。裁判官に対し、警察で暴行を受けていることは言わなかった。それは後で刑事にやられると思ったので。裁判官の勾留質問のときもN警察官が同室に入って長い椅子に座っていた。(後の供述では)裁判官の勾留質問のときには警察官は同室に入っていなかった。」(甲二八〇―刑事第一審第一六回公判)

③ 「拘置所へ移ってから検察官の調べを受け、『やっていない。』と言った。言ったとおりを調書にしてもらった。裁判官の勾留質問のとき、横に長い椅子があってN警察官(○○と供述しているが、Nと供述する趣旨と解される)が同室していた。」(甲二九八―刑事第一審第三五回公判)

④ 「検察官にはやっていないと言っていない。但し、裁判が始まる前の拘置所では検察官にやっていないと言った。」(甲三〇三―刑事第一審第四〇回公判)

⑤ 「検察官の取調べのときは横に警察官がいたので、やってないとは言えなかった。」(甲三三〇―刑事控訴審第一七回公判)

⑥ 「○○というのはNの間違いであった。」(甲一五六―刑事控訴審第二〇回公判)

⑦ 「岡本弁護士に暴行の話をしたら、『警察に言っておく。』と言われた。しかし、『またどつかれるので、言わんといて。』と言った。岡本弁護士が警察に言ったので、後で正座させられどつかれた記憶がある。検察官の調べでは横に警察官がいた。家裁でもやってないとは言っていないが、警察と同じと思っていた。暴行は受けていない。記憶がない。あてずっぽうで答えた。」(本件本人尋問)

(5) 「ぼくの今のきもち」と題する書面について

① 「警察署で死んだ人に合掌したのは、無理やりさせられたもの。泉南署で、殺して申し訳ないという趣旨の文書を書いたことがある。初め下を向いていたら、警察が下書きをして、書けというので、写した。しかし2.16付N警察官作成の報告書添付の『ぼくの今のきもち』という書面は自分の字ではない。」(甲二七九―刑事第一審第一五回公判)

② 「『ぼくの今のきもち』(甲八八添付)は、警察官が口で言ってそれを書いた。」(本件本人尋問)

(二) N警察官及びO警察官の供述

原告Dの取調べに関与したN警察官及びO警察官は、本件刑事第一審及び本件における証人尋問において、次のとおり供述している。

(1)① 「自分は、原告Dの緊急逮捕と貝塚署での取調べのみに関与した。弁解録取は、Q警察官が大部屋で取ったのかもしれないが、記憶がない。当初は貝塚署の大部屋で原告Dの話を聞き、取調べの途中で小部屋に移った。逮捕時にはアリバイ主張があったが、取調べのときにはなかった。緊急逮捕手続用の供述調書を急いで作成した。原告Dの言うままに作成した。」(O警察官―甲二二二―刑事第一審第二二回公判)

② 「自分は、弁解録取後の取調べを担当した。当初、Q警察官がいたが途中から一人で調書を取った。調書の作成は昼前に終わった。刑事裁判での供述は八時過ぎと言っていたが勘違い。八時過ぎまではメモを取っていたにすぎない。調書作成後、原告Dを泉南署に送った。原告Dの取調べ後は、原告Bの取調べの補助をした。」(O警察官―本件証人尋問)

(2)① 「タオルを巻いた拳で殴るとか、足で蹴るとか、正座させるというようなことはしていない。」(O警察官―甲二二二―刑事第一審第二二回公判)

② 「暴行の事実はない。Q警察官のそういう行為を目撃したものでもない。警察官が一方的に話し、原告Dがはいはいと答えるような取調べ状況ではなかった。」(O警察官―本件証人尋問)

(3)① 「原告Dは、当初、『知らん。』ということだったが、その後震えだして、ぽつぽつと自供をはじめた。認めるような状況に変わったきっかけは特に記憶していない。」(O警察官―甲二二二―刑事第一審第二二回公判)

② 「原告Dは、当初はアリバイを主張していた。原告Dに説得した。原告EはDが共犯者であると明言していること、ほかにも共犯者がおり、次々と逮捕されている様子であること、いずれは真実は分かるということ、お前も共犯者やろうということ、重大事件を起こして反省の気持ちはないのかということを説得していた。声が大きくなることはあったかもしれない。三〇分ちょっとしてから自供を始めた。体を震わせ、涙を流して自供を始めた。途中、小さな部屋に変わっている。アリバイ主張があったが何もしていない。虚偽の事実と思って聞いていた。嘘だろうと言った。事件に対してけしからんという気持ちはあった。」(O警察官―本件証人尋問)

(4)① 「自分は、原告Dが自白している状態で引継ぎ、泉南署で取り調べた。原告Dはあまりしゃべらないが、考えて話すタイプであると思う。」(N警察官―甲二二三―刑事第一審第二三回公判)

② 「自分は、甲野の取調べを担当した後、一月二八日から、原告Dを取り調べた。原告Dは、素直に供述していた。途中で否認したことはない。事件後にアリバイを作っておけと共犯者の間で言われていたとの供述をしていた。原告Dはしっかりした性格で他人の言うことに乗せられやすい性格とは思わない。調書作成においては、まずメモ(下調べと言っている)をとり、矛盾がないかどうか考え、そこをただし、その上で調書に清書する。一月二三日に被害者の両親と会って、がま口のようなものを持っていたということを知った。」(N警察官―本件証人尋問)

(5)① 「(原告Dにより、弁護士の面会後、やってないと言ったら正座させられるなどされたとの尋問がされたことに対し)そういうことはありません。自分が取り調べるようになってから、否認することは一度もなかった。本人の思い違いとか勘違いは問いただした。」(N警察官―甲二二三―刑事第一審第二三回公判)

② 「原告Dは、朝七時から夜九時まで正座させられるなどの暴行を受けたとしているが、朝七時から調べたことはない。出勤後であるから九時すぎか一〇時ころから始める。捜査中に整理していたメモ(丙九)からもわかる。正座させたことはない。供述を押し付けたことはない。蹴ってもいない。アリバイ主張に対し殴ったり蹴ったりされたとのことであるが、アリバイ主張自体そもそもない。そのような暴行をしていない。原告Dは、『ぼくの今のきもち』という文書も書いている。」(N警察官―本件証人尋問)

(6) 「『ぼくの今のきもち』は、『どういう気持ちか。』と聞いた際、事件や家族に対して言うので、『書けるか。』というと、『書きます。』というので、用紙を渡したたところ、原告Dが自分で書いた。文章の内容を指示することはせず、後ろを向いていたので、書いているものそのものは見ていない。書いたもの見て、意味がおかしい部分は指摘した。それは「は」と「わ」などであり、本人が訂正した。」(N警察官―甲二二三―刑事第一審第二三回公判)

(7) 「検事調べには自分も同席していた。はきはきとしており、悟ったようであった。現在は、検事調べのときは室外に出ているようだが、当時は、逃走防止とかの関係で、検察官が取り調べる部屋に警察官も入っていた、自分は原則として立ち会っていた。」(N警察官―本件証人尋問)

(8)① 「岡本弁護士から取調べについて具体的に暴行を指摘する形で注文をつけられたことは記憶にないが、無理な調べをやっていないかというようなことを聞かれた記憶がある。」(N警察官―甲二二三―刑事第一審第二三回公判)

② 「二月七日に岡本弁護士から無理な調べはしていないですかと聞かれた。」(N警察官―本件証人尋問)

7  原告E関係

(一) 原告Eの供述

原告Eは、本件刑事第一審、刑事控訴審、刑事再審及び本件における本人尋問または証人尋問において、次のとおり供述している。

(1) 甲野の関係について

① 「一月二六日に甲野と会った。事件のことを言われたが、『友達の家にいた。』と言った。喫茶店で、甲野に『殺すぞ。』と言われた。脇浜へ行った。事件のことを、しゃあないから言うてしまった。殺されると思ったので言った。甲野から殺されると思ったのは、顔を三、四回どつかれ、腹も三、四回どつかれ、ナイフ(後に包丁と訂正)を持ってきたからである。原告らの名前を出した。『四人は強姦して殺した。自分だけしなかった。』と言った。その日、四人と水車に一緒にいたから名前を出した。Dもそのときは一緒にいたと思っていた。他の原告らは、水車にはDはいなかったと言っているが、自分は、前の公判で、Dがいたと言った。その時はその記憶があった。二二日にはDも水車に一緒にいた。その後、甲野の家に行った。何か書いていた。書けと言われたので、名前を書いた。新聞記者が来た。甲野が包丁で右手人指し指を切って指印を押させた。無理やりさせられた。」(甲二九五―刑事第一審第三四回公判)

「一月二六日に喫茶店で、甲野から『事件をやったと言わんと殺す。』と言われた。脇浜に連れていかれ、包丁を胸のところに突きつけられた。家に行って甲野が自分の指をナイフで切って手帳に血判を押させた。」(甲三〇二―刑事第一審第三九回公判)

② 「甲野に脇浜に連れて行かれ、聞かれて、『やっていない。』と言うと、殴られたり、ナイフで脅かされた。家に行って手帳に書いた。手帳のうち、日付け部分と署名部分のほか『夏ちゃんを殺したのは四人で殺しました。』と書いた。ほかは甲野が書いたが、書いてある内容、誰とやったか、どのようにやったかについては自分が言った。殺されると思ったので、思いつきで言った。甲野に脅かされたのは、はっきりわからないが包丁みたいな気がする。甲野にナイフで脅かされた。殺すぞとは言われていない。他に恐ろしい態度をされたかは、わからない。」(甲三二〇―刑事控訴審第七回公判・証人として)

③ 「二六日脇浜に行った。がま口のことを聞かれたことは覚えていない……聞かれていないと思う。殺されると思って甲野に事件のことを話した。手帳の『夏ちゃん殺したのは……』という自分の筆跡のところは、甲野が言ってそれを嫌々書いた。原告らの名前は当時一緒に遊んでいたので出した。」(甲五―刑事再審)

「脇浜で、甲野に顔を五、六回殴られ、倒れた。その後、甲野はナイフを出して胸の方に突きつけて『言わんと殺すぞ。』と言われた。殺されると思ったので、やったと言った。甲野の家に行った。手帳に字を書いた。甲野が自分の手をナイフで切って、血の指印を押させた。」(甲二六八―刑事再審)

「甲野に『殺すぞ。』と言われた。……覚えていない。甲野から五、六回げんこつで殴られた。倒れて起き上がり、また殴られと繰り返した。」(甲二六九―再審)

④ 「甲野には、脇浜で左右の顔をげんこつで殴られた。ナイフを胸の方へ向けられた。甲野の家で書いたことがある。原告らの名前は、自分から言った。文章は甲野が考えた。」(本件本人尋問)

(2) 貝塚署において

① 「警察官の暴行は、捕まってから四日ぐらいしての一月三〇日ぐらいころからである。一月二六日に警察に行ったとき名前を知らない警察官に顔をどつかれた。取調室では警察官が五、六人入ってきて、『お前ビニールハウスやったん違うか。』と聞いてきた。『やってない。』と言った。警察官が『もうこっちでちゃんとわかっているんやから早く言わんかい。』と言い、黙っていたら、どついてきた。仕方がないから『やりました。』と言った。原告ら四人の名前を出したのは、二一日の夜に水車にこの四人といたからである。『この四人が強姦し、自分はしていない。』と言った。さらに、AとCが首を絞めて殺したと言った。警察が怖くて、仕方がないから自分の思うとおりに言った。死体に砂をかけたことを言った。大体で言った。甲野がサイフなかったかと聞いていたので、警察の調べで、「Aががま口を取った。』と言った。大体で嘘を言った。足跡を消したことも、仕方ないから大体で言った。」(甲二七三―刑事第一審第一〇回公判)

「逮捕の前の取調べで警察が怖かったので嘘を言った。自分でAらの名前を言った。大体でめちゃくちゃ言った。時間は、自分の勘で言った。カッターナイフも大体で言った。Aが取った財布が緑色のがま口だというのも自分の見当で言った。貝塚署の小さい部屋で、最初は二〇分位黙っていたところ、警察官に『もうこっちでちゃんとわかってんや。』と、どつかれた。そしてじゃべった。しゃべりだしてからもどつかれた。部屋には四、五人いた。逮捕後も調べが続いた。やった者を順番に言っていった。最初は、自分はやってないといったが、どついたりされ怖かったので、自分もやったと言った。髪の毛を引っ張られたり、壁にぶつけられたり、蹴られたりどつかれたりした。」(甲二七四―刑事第一審第一一回公判)

「一月二六日に警察に行った。警察官は、『やったんやろ。』と言ったが、『やってない。』と言った。」(甲二九五―刑事第一審第三四回公判)

「一月二六日に警察に行った。甲野は調べを受けるところにはいなかった。貝塚署に甲野に連れて行かれたとき、甲野に脅かされたと警察に言った。怖くて殺されると思ったからやったと言った。警察は何もしてくれなかった。後から甲野を呼んで警察が聞いていた。警察官に対して最初は『やっていない。』と言った。警察官に顔をどつかれた。」(甲三〇二―刑事第一審第三九回公判)

② 「貝塚署で警察官には『やっていない。』と言った。平手で顔を殴られ、髪をつかまれて頭を壁にぶつけられ、足も腿も踏まれた。二人の警察官からされた。そして三〇分位でやりましたと言った。」(甲三二〇―刑事控訴審第七回公判・証人として)

③ 「警察に行って、『やったやろ。』と言われ、やってないと言った。警察官は、げんこつで顔を五、六発殴った。何されるかわからないから、やったと言った。その日はそれ以外何もされていない。」(甲二六九―刑事再審)

④ 「甲野に警察に連れて行かれることになったとき、警察で何かされるかと思って怖かった。貝塚署に行って二階の小さい部屋に入った。『やったのと違うか。』と言われ、『やってない。』と言った。甲野に怒られたことを警察に言った。どのように言ったかは覚えていない。警察官にどういうふうに言われて暴行を受けたか覚えていない。顔をげんこつで殴られたり、髪の毛をつかんで机にぶつけられた。それ以外の暴行ははっきり覚えていない。殴られたりして、一応怖かったのでやりましたと言った。Cと部屋で顔を合わせたことははっきり覚えていない。なぜ他の四人の名前を挙げて巻き添えにしたか、今は覚えていない。」(本件本人尋問)

(3) 和泉署において

① 「三〇日ころ、顔をどついたり、髪の毛を引っ張られたりした。その後代わった警察官からも髪の毛を引っ張られたり、どつかれたり、蹴られたりした。毎日ぐらいされた。『ちゃんとわかってるんやから正直言わんか。』と言われた。二月の最初とその後、検察庁に行った帰りの車でも、まだ正直に言っていないとどつかれた。何を嘘だと言われているのか知らない。」(甲二七三―刑事第一審第一〇回公判)

「I警察官も、知らないので黙っていると、どついたり、髪の毛を引っ張ったりした。現場に行って説明したときも、しゃあないから、うそのことを説明した。警察にもこの辺と違うかと言われ、言うとおりにした。本件ビニールハウスへの出入りについては、最初に自分から大体で言った。大体のあてずっぽうで言った。がま口の絵も大体で書いた。被害者を知っていると言ったらAが殺せと言ったということは、勘で言った。殺した後、畑から鞄を取ってきてまた畑に放ったということは警察が言ってきた。(本件ビニールハウスへの出入りの方法も含め)自分で大体考えて言った。畑の足跡を消して逃げたことも、大体で言った。なんか知らんけど、どついたりたたいたりしてきた。Cが首を絞めた位置関係なども自分の見当で話した。2.10員面添付図面の本件ビニールハウスからでるときやぶったなどとの記載は、自分で考えて書いた。」(甲二七四―刑事第一審第一一回公判)

「オーバーの色については、『茶色』と言ったら、警察官から『そんな服着てない。』と言われ、赤というのは警察の方から言った。それで殴られた。サイフのことでも殴られた。2.1員面添付図面(さいふ)は何枚も書き直させられた。警察がこういうのだと絵を書いてくれた。2.10員面添付図面(現場地図)も先に刑事が紙に書いた。それを見て書いた。強姦して殺すまでの原告らの行動について、警察が言ってきた。サイフも警察が取ったやろうと言ってきた。がま口を取ったということは自分から言った。……はっきりしない。強姦の順番は、自分から言った。被害者を連れてくるときに『Aがカッターナイフを背中に突きつけた。』と自分から言った。警察に『遠いし、暗いし、見えるか。』ということを言われたが、それでも『いや見えた。』と言った。『声を出したら殺す。』という被害者を脅かした言葉については、警察が言ってきて、かつ警察は、自分にこんなこと聞こえるはずがないと言ってきた。」(甲三〇二―刑事第一審第三九回公判)

② 「一月二七日からの取調べでは、本件ビニールハウスに入ったことは警察に言われた。犯行前に二色の浜に行ったということなどは自分から言った。皆と話が食い違うときに暴行を受けた。被害者とは面識がないとは言った。2.2員面添付の見取り図は、刑事が書いてそれをまねして書いた。2.10員面添付見取り図は刑事に言われるままに書いた。同調書のがま口の図は、自分が書いた。あてずっぽうで書いた。2.12検面添付図面は自分が書いた。被害者を知っているかと聞かれ、知らないと答えたら暴行を受けた。」(甲三二〇―刑事控訴審第七回公判・証人として)

③ 「話が違うとき、暴行を受けた。」(甲二六八―刑事再審)

④ 「二七日過ぎに留置場に入ったが、それから二、三日してから暴行があった。鑑別所に送られるまで毎日あった。調書をとる人が代わったが、前の人も後の人も暴行をした。顔を殴られたり、二、三回机に髪の毛を引っ張ってぶつけられ、二、三回頭を壁にぶつけられ、一、二回後ろから背中を蹴られた。顔を殴るときには、座っている自分の隣に来て一度に二、三回、毎日殴られた。ほかの友達と話が違うと言って暴行された。警察の車の中でも顔を殴られた。(検察庁への)行きも帰りもされた。」(本件本人尋問)

(4) 検察官に対し

① 「鑑別所から拘置所に移ったときに、Cと会い、『お前なんで名前を出したのか。』と言われた。自分は何も言えなかった。Cは、『あほが。』と言っていた。拘置所に移ってからも検事にやったと言った。」(甲二七四―刑事第一審第一一回公判)

② 「検察庁の検事の取調べのときは警察官が後ろに同室していた。他の原告らと鑑別所で『やっていないと言おう。』と言ったが、その後拘置所に戻って検事の調べを受けたときには言わなかった。その時には警察官はいなかった。なぜ言わなかったか説明できない。」(甲二九五―刑事第一審第三四回公判)

(5) 勾留質問について

「裁判官の勾留質問の際、室内に警察官はいなかった。」(甲二九五―刑事第一審第三四回公判)

(6) 弁護人に対し

① 「浜本弁護士の面会のとき、警察に殴られると言った。やってないとも言った。(何と言われたか覚えていない。)」(甲二七四―刑事第一審第一一回公判)

② 「弁護士(浜本)との面会でやってないと言った。(やってないと)言えと言われて、刑事に言ったら殴られた。」(甲三〇二―刑事第一審第三九回公判)

③ 「浜本弁護士の面会で暴力を受けていることは言った。弁護士が言ったことは覚えていない。」(本件本人尋問)

(7) 家裁送致時について

① 「鑑別所の風呂で、Cが『裁判ではやってないということを話そう。』と言った。ほかの原告にもCが言っていた。皆『やっていないと言おう。』と言っていた。」(甲二九五―刑事第一審第三四回公判)

② 「鑑別所で、自分が他の者の名前を出したことについて厭味を言われたことは覚えていない。」(甲五―刑事再審)

(8) 控訴しなかった理由等

① 「父と祖母がつらいので、控訴しなかった。学校の成績は一番悪かった。特殊学級すれすれだったが特殊学級には行かなかった。」(甲三二〇―刑事控訴審第七回公判・証人として)

② 「本件の以前に(別の件で)警察に呼ばれ、家裁に行った経験はある。」(甲五―刑事再審)

③ 「控訴してもだめと思って控訴しなかった。控訴しても勝ち目がないと思った。」(本件本人尋問)

(二) 取調警察官の供述

原告Eの取調べに関与したG警察官は本件刑事第一審及び本件における証人尋問において、H警察官は刑事再審において、I警察官は刑事再審及び本件における証人尋問において、J警察官は本件における証人尋問において、それぞれ次のとおり供述している。

(1)① 「当初、容疑をもって甲野を取り調べた。原告Eが出頭した日には甲野とは会っていない。原告Eから自分とU、Z(各警察官)が聞いた。原告Eは、どもりながら『甲野のおっちゃんの姉ちゃんを殺した。』と言った。すぐにこの返事が返ってきた。二〇分ほど黙っていたことはない。『自分は強姦していない。』とは言っていたが、『全くやってない。』とのことではなかった。誰がやったとか、犯行の状況の話を聞き、原告Eは、がま口を取った話もした。このことは初めて聞く話だった。誘導はしていない。原告Eの髪の毛を引っ張ったり、壁にぶつけたり、どついたり、蹴ったりしたことはない。原告Eは、涙を流すでもなかった。すらすら話すでもなかった。その後、原告Eを調べていない。当時、被害者の爪の中から血液反応があったので、班長から『誰か顔、腕、手に傷を付けている者がいないか注意するように。』と言われていた。」(G警察官―甲二一八―刑事第一審第二〇回公判)

② 「当初の取調べで、『ほんまにやったんか、どないしてやったんや。』と聞いたら、『甲野のおっちゃんのねえちゃんを殺した。』と認めた。緊急逮捕までの三時間くらいで概略を聞いた。原告Eは、犯行時刻も言い、がま口を原告Aが取ったこともその色がグリーンであることも話した。ただ、自分は姦淫をしていないと言っていた。髪の毛を引っ張ったり、頭を壁にぶつけるといった暴行はしていない。(G警察官―本件証人尋問)

(2)① 「一月二七日昼すぎ、G警察官の後に貝塚署で原告Eを取調べた。二月三日まで取調べを担当した。その後はI警察官が取調べを担当した。原告Eの髪の毛を引っ張るとか、顔を殴るなどの暴行を加えたことはなく、補助者がするのを見たこともない。原告Eは、『甲野からえらい責められた。僕はついて行っただけやと、強姦はしていないし、殺しにも手をかけていないと言い張った。僕がやったと言えば、後で甲野からどのようにされるかわからないので今まで言えなかった。もう刑事さんにははっきりと申します。』ということで原告Eも関与したとの自供をしていった。お前もやったんじゃないかとの追及はした。『強姦したんじゃないかと質問されて、やってないと言ったら暴行を受けた。』と原告Eが言っているとしても、そのようなことは一切していない。原告Eは、一月二七日の調書で強姦、二月三日の調書で殺害について、関与を認めた。ただし、一月三〇日、三一日の取調べで、殺害行為への関与の自供があったように思う。最後まで筋道を立てて調書を流そうと思って、当日には調書にしていない。共犯者の供述内容を一応知った上で調べをしている。他の共犯者との供述との不一致については分かる。供述を押し付けたことはない。がま口の留め金を『ポッチリ』との(独特の)表現で原告Eが説明した。原告Eは表現力が弱く、一見して知能指数が低いと感じた。おとなしい。最初緊張していて無口であった。緊張をほぐすようにもっていって、調べについては原告Eからも話し掛けて普通のような状態になっていた。こうじゃないかという聞き方はしたが、誘導にならないようにした。二七日午前のG警察官の取調べでは、原告E自身としては、強姦も殺害も否認していたのに、なぜ午後の取調べで(強姦について)自供したのかの点については記憶がない。そのときが初めての自白であることは知っていた。なぜ自白に転じたのか分からない。記憶に残っていない。激しく追及したわけではない。強い言葉で尋ねたこともない。甲野にナイフを突きつけられたということはわからなかった。聞いた覚えがない。2.2付員面の図面はどういうふうに作成したか覚えていない。教えていないが、「水車」という漢字などは書いているのなら教えたのに間違いないと思う。調書を作るときに原告Eが違うと言って問いただしてきたことも度々あった。原告Eは、文章的に言わずに、単語がぽつと出たり、返事がなかなか返ってこないということが多かった。」(H警察官―甲二二七―刑事再審)

② 「原告Eの取調べは補助者として関与した。逮捕当日、貝塚署でH警察官と取調べをし、H警察官と和泉署でも取調べをした。その後、I警察官の補助者もした。原告Eは、知能が劣るように見られた。後に、心証をとるということで、I警察官らと取調べを交替した。『一月二七日の調べで髪を引っ張られたり、頭をたたかれた。』と原告Eが言っているようであるが、そんなことをしていない。二八日以降、供述の食い違いなどで髪の毛を引っ張ったり、頭を机にぶつけたりということは、自分もH警察官もしていない。犯行を否認したことはなかった。スリッパでたたいたり、正座をさせたことも、足で踏みつけたりもしていない。」(J警察官―本件証人尋問)

(3)① 「二月五日から一七日まで原告Eを取り調べた。眼鏡はかけないし、補助のT警察官もかけていない。原告Eは、知能程度がやや劣る、口下手で表現力が弱い、はっきり表現しない性格、聞いたことによく考えないで即答するような面があった。断片的に話し、よく聞くとかなり詳しいことをしゃべるが、筋をとおして一から十まで説明できるタイプではない。暴行を加えたことはない。当初は、三、四回大きい声を出したことはある。しかし、大きな声を出したり怒ったりして調べるとむしろ萎縮して全然話しにならないという性格であることがわかったので、じっくりと時間をかけて聞いてやるようにした。以後は大きな声を出す必要はなかった。検察庁では、検察官に取調室から出ていてくれと言われて廊下にいた記憶がある。検察庁の帰りに、『検察官に正直に話したか。』というぐらいは言っているはずである。二月五日浜本、八日に岡本、一〇日に浜本の各弁護士が原告Eの面会に来た。その日のうちに取り調べた結果は、持ち寄って捜査本部に帰り、各被疑者の供述を検討する。誰がどういう供述をしているかは大まかにわかっている。原告Eの供述が違っておれば、翌日再確認する。『もう一度よく考えて見たらどうか。』と追及した。誰がこう言っているとか、水を向ける取調べはしていない。そのようにしても原告Eは、姦淫の順番について、『ジャンケンではない。序列がきまっておった。』として頑として譲らなかった。図面を書かせているが、すぐには書き出さないので『下書きでいいからいっぺん書いてみよ。』と言って、上手ではないが鉛筆で書かせ、再確認した後で清書ということでボールペンで書かせた。説明をさせてそのことを書かせた。内容を教えたことはない。最初否認していた理由を聞いた。『甲野のけんまくから自分がやったと言えば何をされるかわからないと感じて、自分はやっていないと言った。』と言っていた。調書にも取ってある。がま口の絵も書かせた。三回か四回紙を変えた。」(甲二二八―I警察官―刑事再審)

② 「足の怪我をしていて休んでいた。二月五日から和泉署で原告Eの取調べをした。原告Eは、知能程度が少し劣る感じがし、呑み込みが悪かった。否認は一度もなかった。髪の毛を引っ張ったり、頭を手で押さえて机にぶつけたりなどの暴行をしていない。原告Eは、『Iから足で背中を蹴飛ばされたり、顔面右頬を手拳で殴られた。』と言っているようであるが、そのような事実はない。取調室はコンクリート床であり、正座させることはない。スリッパやサンダルで取調室に入るのは規則違反でスリッパなどでたたくことはない。足の怪我は完治しておらず、包帯を巻いてびっこをひいていた(蹴飛ばせる状況にないとの趣旨)。浜本二回、岡本一回と弁護士の接見が三回あった。一度も取調べ状況について苦情はなかった。大きな声を出したことは三、四回ある。有罪心証をもっている。犯行日、外泊しない原告Eがその日だけ外泊しており、祖母も原告Eを追及し、原告Eが泣いていた。」(I警察官―本件証人尋問)

8  暴行等に関する前記各供述の評価

(一) 原告らの暴行に関する供述について

(1) 原告Aの供述

原告Aの右各供述は、これを全体的に観察すれば、畑田方においては、正座させられ、足による暴行(踏む、蹴る、肩と頭に足を乗せて倒す)を受けたというものであり、貝塚署においては、K警察官から髪の毛を引っ張られ、椅子から引きずり下ろされたというものであり、泉佐野署においては、一月三〇日に自白するまで、K警察官とL警察官から髪の毛を引っ張られて揺さぶられたり、壁に後頭部をぶつけられ、正座させられ、蹴られ、足や膝を踏みつけられ、首を絞められ、自白後においては、あまり暴行をされなかったが、答えたことが他の原告の言うことと違っていたら、髪の毛を引っ張られたり、がま口が捜索で見つからなかったとき、蹴られたり、後頭部を壁にぶつけられたりしたというものである。

右供述は、大筋においては、一貫しているものといえ、また、泉佐野署で自白した状況については、前記のとおり、警察官とのやりとりを含め、比較的具体的に供述されている。

右がま口に関しての暴行について、被告府は、本件刑事控訴審で「殴られた」と供述している点をとらえて、原告Aの供述は一定していないと主張するが、右供述の前後をみると(甲三二五―刑事控訴審第一三回公判)、むしろ質問の不適切さが原因と解され、また、被告府は、右がま口の捜索に関して、原告Aが本件において「椅子を蹴飛ばされて落とされた」と供述していることも一定しない点であると指摘しているが、これも「蹴飛ばされた」点では一貫しており、本件では、右供述に続いて「髪の毛をつかまれた」(本件原告A本人尋問)と供述しており、これは、前記本件刑事第一審での「後頭部を壁にぶつけられた」(前後の状況から、これは髪の毛をつかんでぶつけた趣旨と解される)との供述と必ずしも矛盾しないのであって、右被告府の主張は当たらない。

しかし、原告Aは、右判示のような暴行を受けた旨の供述をするものの、全体として型にはまった表現にとどまっており、右暴行の事実が真実であるならば、時間の経過や同原告の表現力を考慮に入れても、少なくともいくつかは具体的な前後の事情に裏付けされた暴行の場面について供述されてよいと考えられるのであるが、具体的で迫真性のある供述がみられない。本件刑事第一審公判におけるK警察官に対する原告A自身による尋問の内容も、十分に迫真性があるとまではいいがたい。そして、子細に検討すると、畑田方における暴行についての供述は、本件刑事控訴審以後、足払いされたことが供述されるようになるなど必ずしも一貫していないとも解される部分があり、貝塚署における暴行についての供述も、本件刑事第一審、刑事控訴審、本件と次第に暴行の態様に関する供述が誇張されていることが窺われ、泉佐野署における自白に至るまでの暴行に関する供述についても、本件刑事控訴審になって以後、蹴られて椅子ごと倒されるなどの供述が出たり、暴行の態様において、次第に誇張された供述となっていることが認められる。

(2) 原告Bの供述

原告Bの右各供述は、要するに、貝塚署に連行される車中においては、平手で押されるようにはたかれたとの趣旨と解され、貝塚署においては、P警察官ではない警察官に左右の耳の上あたりの頭部を殴られ、髪をわしづかみにされて壁にぶつけられ、両足を蹴られ、正座させられ、両手に手錠をはめられ、姿勢が悪かったりしたら、胸のところを蹴って後ろへひっくり返されたという趣旨であり、泉大津署においては、最初の勾留の一〇日間の間に二、三回、調書を取るときに皆と全然食い違うと言って、取り調べをしたP警察官から皮靴を脱いで殴る格好をされたり、机の下から蹴られたり、拳で顔を殴られたりし、調書を取る人が二人くらい変わったが、その最初の人にも、蹴られたり、殴られたり、髪の毛をつかんだりされたが、泉大津書での暴行はあまりひどいものではなかったというものである。

右供述は、後記のとおり一貫しない部分もあるが、大筋においては、右の趣旨と解される。

被告府は、右車中における暴行に関し、原告Bが当初「平手で殴られた」としながら「押されるようにはたかれた」と訂正した不自然さを指摘するが、必ずとも指摘は当たらない。

また、被告府は、原告Bの緊急逮捕手続書(甲一二〇)及び弁解録取書(甲一二一)によれば、一月二七日午前四時一五分の引致後、午前四時二〇分からの弁解録取において、すでに詳細に被疑事実を自白したことになっており、P警察官も原告Bが取調べ開始後二、三分で自白した旨供述していることに照らし、約三時間にわたって暴行を受けて自白させられたとの趣旨の同原告の前記供述は信用できない旨主張する。しかし、逮捕直後の弁解録取書をみるに、原告Aは否認(甲一〇二)、原告Cも否認(甲一五八)、原告Dは否認とも自白ともはっきりしない供述(甲一三八)といずれもごく簡潔な記載のみであるのに対比し、原告Bの右弁解録取書(甲一二一)は詳細でかつ自白の内容となっており、突出した感は免れず、むしろ、午前四時二〇分から二、三分ではなく、相当程度の取調べがあって後に、原告Bが自白した可能性も否定しきれないのであって、右の点から直ちに同原告の右供述の信用性を否定する根拠とするのは相当ではないと解される。

しかし、原告Bは、右のような暴行を受けた旨の供述をするものの、原告Aの供述と同様、いささか定型的であり、具体性や迫真性がやや乏しく、本件刑事第一審公判のP警察官の証人尋問における原告B自身による尋問の内容も、十分な迫真性があるとまでは言えない。しかも、子細に検討すると、同警察官の暴行が貝塚署であったのか、泉大津署であったのかについて、同原告の供述は変転しており、泉大津署での暴行については、いずれにせよ重大なものではなかったことが窺われる。

(3) 原告Cの供述

原告Cの右各供述によれば、要するに、貝塚署においては、スリッパないしサンダル様のものでたたかれ、羽交い締めのようにされて腹を殴られたり、正座させて太股を蹴られ、耳を引っ張られるなどし、自白に至ったこと、自白後の貝塚署及び高石署においても他の原告らとの供述が食い違うときなどに、同様の暴行が続いたというものである。

しかし、原告Cの供述は、その趣旨は概ね右のとおりであるが、細部まで完全に一致しているわけではない。特に、同原告は、暴行を受けた態様につき、「スリッパ」でたたかれたのか「サンダル」でたたかれたのかについて供述が変転しているが、暴行についての中心的な部分における変転であり、同原告の供述の信用性を減殺するものというべきである。また、自白した時刻に関して、同原告の供述によれば一月二七日午前一一時ないし正午ころというのであるが(これは長時間にわたる暴行によって自白させられたとの主張を裏付けようとする趣旨と解される)、丙五号証(留置人名簿、成立に争いがない)によれば、同原告は、同日午後一時四〇分には高石署に留置されているのであって、同原告の主張よりも相当早い時期に自白に至ったとしなければ、供述調書の作成に要する時間等からみて無理があり、同原告の右供述は信用できない。さらに、強姦の順序を決めるのに「じゃんけん」をした点を原告C自身から供述したのか警察官から誘導されたのかなどの点につき供述に変動があるし、G警察官とM警察官の暴行の有無等について、供述の混乱と解される部分がなくはない。加えて、原告Cの右暴行に関する供述自体も、具体性や迫真性の面で必ずしも十全とはいえない。

(4) 原告Dの供述

原告Dの右各供述は、全体としてみれば、貝塚署においては、右手にハンカチかタオルを巻いた警察官から顔を一〇発以上殴られ、正座させられ、後ろにひっくり返され、腹、腰を蹴られたり、足を踏みつけられたりし、小部屋で脛を蹴られたというものであり、泉南署においては、特段の暴行は受けていないが、正座させられ、背中に足をのせられたというものである。

右供述は、趣旨として、概ね右のように解されるが、子細に検討すると、右判示のようにタオルかハンカチかあるいは手ぬぐいかはっきりせず、また、暴行を加えた警察官の特定ができず、時間の供述や警察官がハンカチかタオルを出した時期の供述に齟齬があり、「背中の上に足をのせて押し付けられた。」(刑事第一審)、「足に警察官の足をおいて、ぐっと押した。背中を足でやられた。」(刑事控訴審)、「正座させられ、腹とかを踏みつけられた。正座した太股のところに足を乗せられた。」(本件本人尋問)というように、変化が見られ、暴行の態様が誇張されてきている。加えて、原告Dの供述には、全体に、都合の悪い質問に対する供述の歯切れの悪さや場当たり的な供述態度が窺われなくもないし、同原告の右暴行に関する供述自体も、全体として、具体性や迫真性の乏しいことは否めない。

なお、被告府は、貝塚署で殴られた回数が刑事第一審では一〇発以上、刑事控訴審では二〇発以上と供述に変遷があると指摘しているが、後者では、「みんな合わすと二〇発以上どつかれた。」との供述もあり、その直後に「蹴られたのとどつかれたのと合わせて二〇発以上」と供述しているのであって(甲三三〇)、全体の趣旨としてみれば、この点を矛盾というには足りないと解される。

(5) 原告Eの供述

原告Eの右供述中、貝塚署における暴行に関する部分は、「警察官の暴行は、捕まってから四日ぐらいしての一月三〇日ぐらいころからである。」(刑事第一審第一〇回公判)と供述する一方で、「一月二六日に取調室に警察官が五、六人入ってきて、黙っていたら、どついてきた。仕方がないから『やりました。』と言った。」(同)、「貝塚署の小さい部屋で、最初は二〇分位黙っていたところ、警察官にどつかれた。そしてしゃべった。最初は、自分はやってないと言ったが、どついたりされ怖かったので、自分もやったと言った。髪の毛を引っ張られたり、壁にぶつけられたり、蹴られたりどつかれたりした。」(刑事第一審第一一回公判)、「一月二六日に警察官に対して最初は『やっていない。』と言った。警察に顔をどつかれた。」(刑事第一審第三九回公判)、「平手で顔を殴られ、髪を捕まれて頭を壁にぶつけられ、足も腿も踏まれた。二人の警察官からされた。そして三〇分位でやりましたと言った。」(刑事控訴審)、「警察官は、げんこつで顔を五、六発殴った。何されるかわからないから、やったと言った。その日はそれ以外何もされていない。」(刑事再審)、「顔をげんこつで殴られたり、髪の毛をつかんで机にぶつけられた。それ以外の暴行ははっきり覚えていない。殴られたりして、一応怖かったのでやりましたと言った。」(本件本人尋問)というものであり、暴行を受けた時期、手拳か平手かの態様、暴行内容など一定するところがない。原告Eの知的能力、表現力の程度等(前示の各証拠、乙三三の2―鑑別記録)を考慮しても、右暴行に関する供述の信用性には疑問をもたざるをえない。

和泉署における暴行については、「一月三〇日ころ、顔をどつかれたり、髪の毛を引っ張られたりされた。その後代わった警察官からも髪の毛を引っ張られたり、どつかれたり、蹴られたりした。毎日ぐらいされた。」(刑事第一審第一〇回公判)、「I警察官も、知らないので黙っていると、どついたり、髪の毛を引っ張ったりした。」(刑事第一審第一一回公判)、「皆と話が食い違うときに暴行を受けた。被害者を知っているかと聞かれ、知らないと答えたら暴行を受けた。」(刑事控訴審)、「話が違うとき、暴行を受けた。」(刑事再審)、「一月二七日昼過ぎに留置場に入ったが、それから二、三日してから暴行があった。鑑別所に送られるまで毎日あった。調書をとる人が代わったが、前の人も後の人も暴行をした。顔を殴られたり、二、三回机に髪の毛を引っ張ってぶつけられ、二、三回頭を壁にぶつけられ、一、二回後ろから背中を蹴られた。顔を殴るときには、座っている自分の隣に来て一度に二、三回、毎日殴られた。ほかの友達と話が違うと言って暴行された。警察の車の中でも顔を殴られた。(検察庁への)行きも帰りもされた。」(本件本人尋問)というものであり、他の原告らとの供述の食い違いなどを理由に、引き続き殴る、髪の毛を引っ張る、蹴るなどの暴行がされたという趣旨では概ね一貫しているといえるが、暴行の態様が次第に誇張されてきている。

原告Eについては、前記他の原告ら以上に、右暴行に関する供述自体が全体として型にはまった表現にとどまっており、同原告の知的能力、表現力の程度等を考慮に入れても、具体性や迫真性に欠ける面があることを否定することはできない。

(6) 原告らの供述の全体的評価

以上のように、原告らの暴行を受けたとする供述は、その場面について、前後の事情や暴行の態様が具体的かつ詳細に語られていると評価するには必ずしも十分であるとはいえず、いささか型にはまった表現にとどまっているきらいがあり、かつ、供述ごとにその表現が変転しており、一部では加害者の特定が不十分であったり、変動もみられる。しかも、本件刑事第一審、刑事控訴審、刑事再審、本件訴訟と段階を踏むにつれて新たな態様の暴行が追加されたり、表現が誇張される傾向が全体的に認められる。

しかし、他方、原告らの右各供述は、それ自体において明らかに虚偽と断定できるような矛盾があるわけではないこと、各供述は前後一五年間にも及ぶ間になされたものであることや、原告らの知的能力が必ずしも十分なものではなく(乙三二ないし三五の各2―鑑別記録)、また供述全体からみられるとおり表現力も乏しいことなどを考えれば、供述に多少の変動があったとしても必ずしも不自然とはいえず、その真実性を前面に否定することはできない。

(二) 取調警察官の供述について

右のような原告らの供述に対し、原告らを取り調べた警察官らの供述はいずれも明確に暴行を否定するものではあるが、原告らも主張するように、暴行を受けたとの原告らの訴えに対し、必ずしも有効な反論があるとはいえない。もっとも、暴行を加えていないことを積極的に証明することは不可能に近いものであり、現実には、単に否定するほかには、具体的に反論のしようがない面もあることも事実である。そのような中で各警察官の供述は、概ね捜査の状況を踏まえて、原告らが自供した際の状況などを具体的に述べているのであって、そのすべてを否定できるような明白な矛盾点があるともみられない。

しかし、取調べを担当した警察官が自ら暴行の事実を認めることは、その立場からして容易に期待しうるものではないことからすれば、次のような事情があることは留意されなければならない。すなわち、(イ)原告Cの自白に至る経緯等に関するG警察官の供述は具体的であるが、その根拠をなすのは同原告の手の甲にあった傷であるところ、後に検討するとおり、右傷が被害者によってつけられたものか否かについては疑問の余地があり、これが否定されると同原告の自白の契機に大きな疑問が生じること、(ロ)原告Cが自白するに至った時間について、G警察官は、本件刑事控訴審では一五分と供述していたが、本件での証人尋問においてこれを二時間と変更していること、(ハ)原告Eが出頭した時点までには、N警察官が被害者の母親から事情聴取した結果により、被害者ががま口を持っていたことが判明していたことが認められる一方、本件の捜査については必要に応じて捜査会議がもたれ、R捜査班長から捜査方針等について注意がなされており、例えば、被害者の爪の中から血液反応があったことに関し検査結果が示され、被害者のうちに手などに傷をつけている者がいないか注意するように指示されていたことが認められるのであるが、このような捜査会議の様子からみて、被害者のがま口がなくなっていたというような重要な事実は捜査員の共通認識となっていたと容易に想像されるのに、G警察官は、がま口の存在については原告Eの供述で初めて聞いたと供述しており、いささか不自然に思われること、(ニ)N警察官及びO警察官の右供述を見ても、原告Dが自白に至った経緯について、十分に明確な説明がないこと、(ホ)H警察官の供述については、刑事再審公判で証人となるに際し、供述調書を予め読んだことや検察官と事前に会ったことなどについて、公判で明白に虚偽の事実を証言しているうえ、原告Eが自白した事情、状況についての説明がほとんどできていないこと、(ヘ)I警察官も、検察庁での取調べの際、警察官が同室していたか否かについて、担当検事も他の警察官も同室を認める供述をしているのに否定する供述をしていること、(ト)K警察官は、それまでの暴行の事実を明確に否定し続けていたが、本件での証人尋問において、原告Aが自白直前に暴れた際に、これを制止し、その後、小一時間くらい正座させたことを認めたこと、(チ)原告Aは、弁護人との三度の面会後、二度まで自白を撤回しているが、K警察官は、その際に叱ったり、大きな声を出すこともあったと述べる一方、その度に再び自白に戻った経緯についての説明が必ずしも十分合理的なものとはいえないこと、などの事情が存在し、信用性について疑問を拭えないものも少なからず存在する。したがって、各警察官の供述を直ちに採用しうるかについては慎重にならざるを得ない。

9  原告らの弁護人らに対する訴え等について

(一) 緒言

右にみてきたように、原告らの供述と取調警察官側の供述のみを対比しても、それだけではいずれの言い分が正しいのか判定することは困難な状況にあるといわざるをえない。そこで、原告らが暴行を受けたと主張する捜査段階の当時において、弁護人らに対し、原告らがどのように訴えていたか、検察官、勾留質問時の裁判官、家裁での調査官等に対する供述の状況などについて検討することとする。これらはいずれも自白の強要に関する間接的な事情であるが、暴行の有無が問題とされる以前の訴えの状況を知りうるものとして重要である。

(二) 弁護人に対する訴えの状況

(1) 証拠(丙一三)によれば、原告らには、捜査段階において、五人の私選弁護人が付され、それぞれ二回ないし三回の接見が行われたことが認められる。

そのうち、岡本弁護士の証人尋問の結果及び右丙一三号証によれば、次の事実を認めることができる。

岡本弁護士は、原告Aとは二月二日、原告Bとは一月三一日と二月一四日、原告Cとは二月六日、原告Dとは二月七日、原告Eとは二月八日に接見している。

原告Bとの接見においては、第一回目は、同原告は、事件は身に覚えがないとしつつ、警察の取調べに対して自白しているとのことであり、頭を壁に押しつけられるとの趣旨の訴えがあったが、それ以上の具体的な訴えはなく、傷もなかった。同弁護士は、接見の帰りに取調警察官に対し、同原告の訴えを言い、そういう取り調べをしないように言った。同原告との第二回目の接見においても、警察の取調べに対し相変わらず認める供述を続けているとのことであり、ときどき供述が他の者と合わないときに大声を出されるとか怒鳴り散らされるなどと訴えてはいたが、暴行を受けているとの訴えはなかった。

原告Eとの接見においては、同原告が知恵遅れの感じが見て取れ、事件は身に覚えがないと言っており、警察で怒鳴られたり色々されるとのことを言ったが、具体的に聞いても、上手に答えられなかった。

原告Dとの接見においては、同原告は、しっかりしているとの印象であり、事件は身に覚えがないと言っていたが、事実を認めているとのことであり、暴行について、具体的に聞いてもうまく説明できず、同弁護士としては半信半疑であった。取調警察官に申し入れをしたことは明確には覚えていない。

原告Cとの接見においては、同原告は、「自分たちは(犯行を)やった。間違いない。」と答え、具体的にした質問に対し、被害者の服を脱がした状況等を答えていた。同原告は、暴行については、大きな声で怒鳴られるとか、壁に頭を押しつけられるようなことを言った記憶であるが、同弁護士としては具体的な内容は記憶にない。

原告Aとの接見においては、同原告は、やっていないと言い、取調べに対して認めていないということであった。同原告はひどい暴行を受けているような訴えをしていたが、正座した上から膝を踏まれたり、蹴られたりという内容であった気がするが定かではない。同弁護士としては、接見の帰りに取調警察官に対し、同原告の訴えを伝えて、暴行や脅しをしないようにして欲しい旨言った。

原告らが暴行を訴えていたことから、弁護人らの間でも暴行は話題になっていたが、原告らの訴えが具体的でなく、傷もないのに対し、取調警察官は否定しており、現実に暴行が行われているかどうかもわならないし、どんなに激しい暴行か全くつかめない状況であり、当時は半信半疑で、弁護人らとしても心証はとれない状況にあった。

(2) 右のように原告らは、不十分とはいえ、捜査段階から暴行を受けていたことを弁護人に訴えていたものであり、その点は重視しなければならないが、少なくとも弁護人が接見した時点まで傷が残るようなものでなかったことは明らかであり、原告らの訴えが弁護人に対してさえ、それほど具体的、詳細なものではなく、弁護人らの間においても半信半疑の状態であったことは、その暴行の態様においても、原告らが刑事事件の公判及び本件において主張するような執拗かつ高度のものではなかったのではないかとの重大な疑問を抱かせるものといわなければならない。

もっとも、原告らと右弁護人らは本件事件以前には面識はなく、短時間の接見でどの程度の信頼関係が築けていたか定かでないうえ、接見前に、弁護人との面会で「ちゃんと正直に言わないと承知せんぞ。」などと警察官から釘をさされていた疑いもあること(甲三〇四―原告B供述)や、接見後の原告Aや同Bに対する前示のような取調べからも推認されるように、取調べを担当していた警察官が、接見状況を聞き出し、撤回した自白を再度翻らせるような取調べをしていたことなどを勘案すれば、原告らがどの程度弁護人を信頼し事実を訴え得たか疑問があるから、この点にも留意しなければならない。

(二) 検察官等に対する供述の状況

原告らが、捜査段階において、取調担当検察官(立岩)に対しても、勾留質問を担当した裁判官に対しても、そしてまた、家庭裁判所調査官や大阪少年鑑別所の係官に対しても、警察官の取調べにおいて暴行を受けたことを訴えたことを認めるに足りる証拠はない。

右は、原告らが主張するような暴行が捜査段階の当時に本当にあったのかについて、疑問を生じさせる事情というべきである。

もっとも、原告らから検察官に対して暴行の訴えがなかったのは、取調室に警察官が同席していたこと(前記一3ないし7に掲記の証拠及び証人立岩)も考慮すると、直ちに右のことが暴行の存在を否定することにはならないとも解される。また、勾留質問の裁判官、家庭裁判所調査官、少年鑑別所係官についても、その手続きにおいて、どれほど積極的に原告らに対して右問題点について聴取したかは不明であり、原告らが各機関の違いについてどの程度の認識をもっていたかも不確かなところがあって、この段階で暴行を受けているとの訴えがないことにより、暴行が存在しなかったものと断ずることは相当ではない。

10  外形的痕跡

原告らが負傷していたことや暴行の痕跡が残っていることが目撃されておれば、暴行が存在した重要な事情となりうるものであるが、原告らの供述によってもこぶができた(原告B)とか、足をひきずった(原告C)、口の中が切れた(原告D)という程度であり、長く痕跡が残るようなものではなく、現に弁護人との接見や少年鑑別所における検査においても、負傷ないし痕跡が発見された状況は認められない。

11  小括

以上、捜査段階において警察官から原告らに対して暴行が加えられたとする原告らの各供述を検討する限りでは、これを不自然なものとして排斥することはできないが、さりとて全面的に信用することまではできず、取調警察官らの供述や右判示の9及び10の事情も総合すれば、直ちに暴行の存在を認めるには十分でないというほかない。

そこで、以下、暴行の有無に関してはより間接的である証拠及び事情の検討に進むとともに、原告らが請求原因とする自白を強要されたとする事実につき、暴行のほかの態様による強要の事実の有無をも検討する。

二  原告らの無実性の検討

1  緒言

一般に、警察官の暴行等により、被疑者(被告人)が意に反する自白をさせられたのか否かを検討するにあたって、被疑者(被告人)が無実であること(自白した犯罪を行っていないこと)の証明は、その肯定のための不可欠の要件とは解されないが、無実であることが証明できたり、無実である可能性が高いと認められるならば、捜査段階での自白が虚偽であり、自白の過程で何らかの強制力が働いたことを窺わせる有力な事情となる(なお、逆に新たな証拠等によって犯罪に関与したことが証明された場合でも、直ちに暴行等の可能性が否定されるわけではないが、この場合には賠償されるべき損害について格別の考慮を要しよう)。他方、刑事裁判において無罪であったことだけから、当然に被疑者(被告人)であった者が無実であるとみることができないことはいうまでもないから、他の場合と同様、その判定のためには関係証拠を検討していかなければならない。

しかるところ、本件においては、一で検討したように、原告らと取調警察官らの供述等を比較するだけでは、暴行等による自白の強要があったのか否かについて必ずしも判然としないから、その判断をするうえで、無実性の検討が重要になると考えられる。

そこで、本項では、物証関係を中心に右の点を検討する。

2  被害者の膣内容液について

(一) 血液型の形式の一つであるAOB式は、赤血球の中にある型物質(抗原)に抗体を加えた結果生ずる凝集反応により、0、A、B、ABの四型に分類されるが、この型物質は、赤血球以外にも、唾液、精液(精子以外の液性成分である精漿)、膣液、胃液、尿、その他の分泌物等にも存在し、特に前三者の中には濃厚に存在する。そして、約八割の人においては、これらの体組織から型物質が検出されるが(検出される人はどの分泌物からも検出される)、残りの約二割の人においては検出されない。そこで、前者を分泌型、後者を非分泌型と称する。この両者の間には、判然とした境界はなく、分泌型にも型物質の少ない人もおり、これを弱分泌型という。血液型検出の強さは、凝集阻止価(凝集反応を阻止する倍率)で示される(甲二六三ないし二六五)。

(二) 鑑定受託者四方一郎は、一月二二日午後四時三〇分から同七時四〇分までの間に被害者の解剖をした際、最初に外側から膣内容液をガーゼに採取し、最後に膣壁を切開して、一番奥の内容液も同様に採取し、両者を被検資料として鑑定した(甲九四―四方本件刑事第一審証言)結果、前記のとおり、右膣内容液から精虫が発見され、かつ、右膣内容液の血液型はA型の分泌型であった。ところで、原告らの血液型は、原告AがB型の分泌型、同BがB型の分泌型、同DがA型の非分泌型、同CがAB型の分泌型、同EがAB型の分泌型である。そして、原告Dの場合は、四倍に希釈すると凝集が阻止されるが、その他の原告らの場合は、いずれも五一二倍に希釈しても凝集を阻止しなかったことが認められ(甲二五八―松本鑑定)、右倍率は極めて強い分泌型であることを示している(甲二六五―船尾本件刑事再審証言)。

なお、被害者の血液型はA型の分泌型であることは前記のとおりである。

(三) 右のように被害者の膣内容液から精虫が発見されながら、原告ら(Dを除く―同人は非分泌型であり、残存体液の存否にかかわらず検出される可能性はない)の血液型が何れも検出されなかった結果については、以下のような可能性があると指摘されている。

(1) 膣内の精液の量が膣液に比較してごく少量であった場合(膣内に射精された量が少ない、膣内の半ばまで詰められた土に精液が吸収された、膣内の奥から採取することによって膣液の割合が多いことなど)は、精液と被害者の体液とを区別して判定することができず、被害者の血液型のみが反応することがある(甲九四―四方本件刑事第一審証言)。

(2) その存在及び特性について検査はされていないが、膣内に入れられた土が有する血液型物質が判定に影響することがある(甲二六四の1―船尾鑑定)。

(3) 土の中の細菌あるいは死後細菌の増殖などにより、型物質が破壊されたり、細菌由来の物質の影響が反映することがある(前同)。

(4) 本件膣内容液は犯行後約一九時間後に終了した解剖後に検査されたものであるところ(甲一一―四方鑑定)、死後約九時間経過後の事例でも精液斑の証明が得られながら精液の血液型を証明できなかった例も存在し(甲二六五―船尾本件刑事再審証言)、二〇時間以上経過するとその検出は非常に困難となる(甲九六―勝連本件刑事控訴審証言)。

(四) そこで、これらの可能性の有無・程度について検討する。

(1) (三)(1)について

健康な女性の通常の膣の分泌量は0.5cc程度であり、性的興奮によって増加するが、若い健康な男性の精液量は二ないし五cc程度とされており(甲二六五―船尾本件刑事再審証言)、健康な五人の青年が全員射精したとされる本件刑事事件においては精液量が少ないとは考えにくく、また、精液のみが土に吸収されたとするのは不自然である。さらに、膣の奥の方は精液が少ないというのも一つの仮定でしかなく、実際の被検資料は外と奥の二か所で採取し、そのいずれでも同じ結果がでている。そして、前記のようにDを除く原告らの血液型は分泌型であるだけでなく、凝集阻止価が非常に高いことからすれば、精液が混在しながら、被害者の血液型のみが反応したとする可能性は極めて低いといわざるをえない。

(2) (三)(2)について

膣内の土については何ら検査はされておらず、一つの可能性の指摘にとどまる。

(3) (三)(3)について

本件の場合、ビニールハウス内とはいえ、寒冷期の夜間における出来事であり、土の湿度や環境温度が低く(犯行当時―一月二一日午後一二時―の戸外の気温は摂氏4.3度、湿度は五五パーセント―甲七三)、かつ、膣内容液の採取まで二〇時間前後しか経過しておらず、腐敗などの状況も認められないから、細菌の増殖や活動による影響は少なく、考慮するに値しないと考えられる(甲二六五―船尾本件刑事再審証言)。

(4)(三)(4)について

時間の経過と精液の血液型の証明の点については、生体膣内における精子、精液の証明期間に比べ、被害者の死の直前または直後に膣内に注入された精子、精液は、より長い期間にわたって血液型反応を示すとされており、死後一か月以上の死体からも証明できた例があるとの研究結果(甲二六三―宮内鑑定書)や船尾鑑定人の死体における経験例では、死後二日で膣内容液中の精液の血液型が証明された例(甲二六四)や四日で証明された例(甲二六五)もある。他方、前記のように死後九時間程度でも精液の血液型が証明できなかった例もある。右事件は、一酸化炭素による心中事例であるが、不検出の原因は明らかでない(甲二六五)。また、二〇時間以上経過するとその検出は非常に困難になるとする法医学会での報告もある(甲二六四の2―関東法医懇話会における千葉大学木村康・中村学報告)。但し、右の木村らの報告は、死体例三二例と生体例三九二例に基づく研究であり、死体例の検出期間を示すものとはいえない(甲二六三、二六五)。

右のように、死体例における精液の血液型検出可能性は時間の経過とともに減少していくが、その検出可能期間は必ずしも一定していないものの、本件の場合、五人が全員姦淫して射精したことが前提とされており、環境温度などから腐敗などの影響が小さいと考えられる状況にあったこと、姦淫後二〇時間程度で膣内容液が採取されていることなどからすれば、原告ら(Dを除く)の血液型の影響がまったく見られなかったことは相当に不可思議というべきである。

(5) 右各事実を総合評価するに、原告ら五人がいずれも被害者を姦淫して射精したとの事実を前提にしても鑑定結果のような判定が出る可能性を全く否定してしまうことはできないが、その可能性は相当に小さかったはずである。そうすると、非分泌型であるD以外の原告らが被害者を姦淫して射精したとする前提事実には大きな疑問が残るといわざるをえない。

3  被害者のコートに付着した体液について

(一) 被害者が着用していた赤色のオーバーコート(以下「本件コート」という)の裏地には袖中央付近に手拳大の体液様の斑痕が二箇所あり、この体液様斑痕からは、扁平上皮細胞に混じって精子が一個確認され、液性部分の血液型はA型の分泌型であった(甲二二―勝連鑑定)。

(二) 右の点について、勝連は、多数の扁平上皮細胞が混合している中に精子を発見したものであり、右細胞は被害者の膣壁表面の細胞であると考えられることから、膣液に精液が混ざった状態での血液型検査であるが、混合割合において、精液の量がごくわずかであれば、膣液の分泌型しか検出されないことはあると述べている(甲九六―勝連本件刑事控訴審証言)。

(三) しかるところ、本件コートは被害者が姦淫された際にも着用し体の下に敷いていたものであり、実況見分(甲九)によって認められる被害者の体と本件コートの位置関係とコートの裏に付着した斑痕の位置と右鑑定の結果を考慮すれば、右斑痕は、本件犯行の際に、被害者の膣液と姦淫者の精液が膣内から流出する等して付着したものと推認するのが相当である。そして、扁平上皮細胞は男性器にも存在し(甲二六五)、本件では男女いずれのものか判別したとの証拠はないから、これだけから膣液が圧倒的に多かったと断定することはできず、先にも述べたように、本件刑事事件の場合、健康な五人の青年が全員射精したことを前提としているのであり、一般的な精液量からみても、右斑痕に含まれる精液量がごくわずかであったと考える合理的な理由がない。しかも、D以外の原告らの血液型がすべて分泌型であるだけでなく凝集阻止価が非常に高いことからすれば、右原告らの血液型の反応が現れないことは極めて不自然というべきである。さらに、本件コートに付着したのは姦淫直後と推定されるところ、体内に存在する膣内容液と違い、体外に流出し衣類などに付着して乾燥した場合は、精液からの血液型の検出は長期にわたって行うことができるとされており(甲二六五)、この点でも右原告らの血液型の反応が現れないことは不自然である。

そうすると、右斑痕から被害者と同型の血液型しか検出しなかったことを合理的に説明することは困難というべきであり、D以外の原告ら四名の本件犯行への関与の可能性は、あるとしても極めて低いものと考えるのが相当である。

4  被害者の両方の乳房から採取された体液について

(一) 大阪府警科学捜査研究所の技術吏員泉政德は、被害者の両乳房の周囲を拭ったガーゼ片の検査結果について、唾液付着の証明が得られ、その血液型はA型の判定を得たと報告している(甲二六一―泉政德作成の検査処理票)。

(二) 原告らの捜査段階の各供述によると、A以外の原告らは、いずれも自ら被害者の乳房を噛んだり、なめたり、吸ったりしたと供述し、原告Bは、D及びEについて、原告Cは、他の原告全員について、原告Eは、C及びDについて、右のような行為を目撃した旨の供述をしている(甲一二六、一三一、一四六、一五一、一六一、一六三、一六五、一六九、一七〇、二三六、二三九、二四三)。

(三) そうすると、被害者の両乳房に付着していた唾液は、原告ら(非分泌型のDを除く)のものであるはずであるが、その血液型を示していない。この点について、泉は、右ガーゼ片の検査の結果がプチアリン反応を示したので、検査処理票に唾液付着と記載したが、同反応は、唾液に限らず、汗、リンパ液、尿にも反応するものであり、被害者の左乳嘴には咬傷があるからリンパ液の浸潤が考えられるうえ、被害者の汗等の体液もガーゼで拭き取っている可能性があり、これらの被害者の体液の血液型を検出した可能性があると説明している(甲二六七―泉本件刑事控訴審証言)。

(四) しかし、他方、泉は、右検査結果は唾液中に含まれるデンプンを分解する酵素を証明することによってなされるものであるところ、右酵素は非常に強い酵素であり、一〇〇〇倍から二〇〇〇倍に薄めても陽性を示すから、汗やリンパ液とともに唾液の存在も推定できるとも述べており、前記のとおり、D以外の原告らは、分泌型でいずれも凝集阻止価が高く微量の液でも血液型が検出されやすい(甲二五八)とされていること、噛まれたことにより被害者のリンパ液が混在した可能性が否定できない左乳房のみならず、右乳房からも同様にプチアリン反応が出ており、左右とも同じ血液型を示していることも併せみれば、被害者の乳房に犯人の唾液が付着していた可能性は高く、それにもかかわらずA型の血液型しか検出されていないことは、暴行を受けて輪姦されたうえ首を絞められて殺されたものであって冬とはいえ発汗があった可能性を否定できないにしても、原告A、同B、同C及び同Eの関与の可能性を低めるものである。

5足痕跡について

(一) 本件刑事事件においては、前記のとおり、被害者の遺留品があった高菜畑や本件ビニールハウス内の死体の周辺、東壁及び北壁の破れの周辺に多数の足跡が残されており、一月二二日午後二時から同五時までの間に、高菜畑内の被害者の着衣等が遺留されていた付近から五個(Ⅰ群)、着衣等の遺留場所から東壁の破れに向かう途中の葱畑内から二個(Ⅱ群)、同ハウスの東壁の破れの外側から七個(Ⅲ群)、同ハウス内の死体の周辺から二二個(Ⅳ群)、同ハウス内の北壁の破れ付近から一〇個(Ⅴ群)、北壁の破れの外側から一個(F)及び原告らの供述によれば本件刑事事件と関係がないと思われる高菜畑の北東角から五個の合計五二個(甲五〇には五三個の鑑定結果が記載されているが、添付の採取足跡位置見取図によれば備考欄の採取番号27は採取されていない)の足痕跡が石膏で採取され、鑑識された。その結果は次のとおりである。

Ⅰ群 (五個)〜全部対照不能

Ⅱ群 (二個)〜全部対照不能

Ⅲ群 (七個)〜二個は波型地下たび痕であり関係者の地下たびと一致

二個は警察官のもの三個は対照不能

Ⅳ群(二二個)〜一九個は右地下たび痕

三個は対照不能

Ⅴ群(一〇個)〜全部右地下たび痕

F  (一個)〜模様なしの右足短靴痕 25.5cm 対照不能

高菜畑北東角(五個)

〜三個は山型・菱型混合、大きさ不明、対照可能

二個は右地下たび痕

結局、原告らの供述する行動範囲からみて本件刑事事件と関係があり、かつ、対照可能な足痕跡はFの一個のみであったが、原告らが当時履いていたとされる履物とは一致しなかったことが認められる(甲九、四八、五〇)。

(二) 本件現場付近において、犯人による可能性がある足痕跡の数は、右状況からわかるとおりその数は少なく、特に犯人以外によらないことが明らかなものとして対照可能なものは一個(または四個)であり、五名の犯行であるとすれば、いささか不自然な感がある。

しかし、原告らの供述によれば、本件犯行後、Aの指示で足跡を消したというのであるから、右状況は不合理であるとまではいえない。もっとも、原告らが供述する行動範囲のすべてについて綿密にこれを実行したような形跡が窺われないことや、原告らの供述によれば、原告Eのものである可能性が高い対照可能のFが、同原告が当時履いていたとされるつっかけ草履と異なる点は、自白供述の信用性の観点からは軽視できない。

6  指掌紋について

(一) 指掌紋については、一月二二日午後二時から同三時三〇分の間に、本件ビニールハウスの南面の東側の戸から指紋が二個、被害者の遺留品等から指紋三三個及び掌紋一個が採取されている。

そのうち、本件ビニールハウスから採取された二個の指紋及び遺留品等からの指紋二五個が対照不能であり、対照可能であった残る八個の指紋のうち六個は、本件刑事事件との関連が明らかとなっていない高菜畑の北東角の畝上に放置されていた月刊誌「ロードショウ」三月号に付着したものであり、他の二個は、被害者の所持していた赤色布製手提バック内にあった週刊誌「女性セブン」に付着していた指紋であり、いずれも原告らのものとは一致しなかったことが認められる(甲四八―司法警察員武内勝春復命書、四九―現場指紋等採取及び鑑識結果通知書)。

(二) 被害者の遺留品のうち、ショッピング用紙袋及び赤色布製手提バック内にはそれぞれ青色ポリ袋に詰められた衣類、食品類、雑誌(女性セブン)等が入っており、これらの在中品は、被害者及びその母親が本件犯行の少し前に詰めたものであるが(甲二〇二―1.31付乙山秋子員面)、右雑誌以外から対照可能な指掌紋が検出されていないことからすれば、対照できるような指掌紋が付着しにくいものと思われる。

また、本件ビニールハウスの戸についても、その所有者らがしばしば触れているはずであるのに、それらの指掌紋も検出されていなことからすれば、これも付着しにくいものと推定される(証人R)。

したがって、原告らの捜査段階の供述によれば、原告C、同E及び同Aの三名がこれらの遺留品に触れており、原告Eや同Cらが本件ビニールハウスの戸に触れているとされているが、その指掌紋が検出されなくともあえて異とするに足らない。

7  履物及び着衣に付着した土と現場の土の同一性について

原告Bを除く原告らが本件犯行当時着用していたとされる衣類及び履物について、土砂の付着の有無と犯行現場付近の土壌との異同について鑑定したところ、原告Eのつっかけ草履に砂が付着しており、犯行現場付近の土壤との比較検査がなされたが、相違するとされている。また、原告Cのブーツの底部及び靴下、原告Aのズボンの右裾部、原告Dのスリッパの底部にも極微量の土砂の付着が認められたが、僅少のため現場土壤との異同の判定はできなかったことが認められる(甲一八―大阪府警科学捜査研究所技術吏員藤本・木村の鑑定結果の回答)。

しかるところ、右の鑑定の対象とされた原告らの着衣・履物等は、原告C分が一月三〇日、原告E及び同D分が二月六日、原告A分が二月八日にそれぞれ任意提出されたものであり(甲一三、一五、八三、八五)、本件犯行時から相当の日時が経過していることからすれば、右のような結果はやむをえないともいえる。

8  犯行現場等から採取された体毛について

(一) 被害者の赤色オーバーコートから体毛六本が採取され、これと原告らの頭毛及び陰毛との比較検査(肉眼的検査・血液型検査・顕微鏡検査)が実施されている。その結果、右コートから採取された毛は、人頭毛五本と人陰毛一本であり、頭毛のうち一本は染毛であり、その血液型はB型であって、被害者(A型、染毛がない)とは明らかに異なるのに対し、原告A及び同Bは、いずれも染毛かつB型であり、この両名いずれかの頭毛と推定され(なお、右鑑定書中の考察においては、さらに右両名中いずれに近いかを検討すると、原告Aのものではないかと認められる所見であるとされている)、その他の頭毛及び陰毛については、いずれも被害者のものであっても特に矛盾はないと判定されている(甲四六―大阪府警科学捜査研究所技術吏員瀧川昭二の鑑定結果)。

(二) また、被害者のパンタロンに付着した毛一本と現場の高菜畑から採取された毛一二本についても同様の検査がされ、その結果は、パンタロンに付着した毛一本を含め人頭毛が一〇本、人陰毛が三本であり、その血液型は、パンタロン付着の一本のみがB型で、その余はすべてA型であり、右血液型と肉眼的及び顕微鏡所見を総合すると、パンタロン付着のものは原告Bの頭毛と類似すると判定されている(甲四六―瀧川の鑑定結果)。

(三) 右結果は、原告A及びBの本件への関与を疑わせるものであり、特に、右被害者のオーバーコートに付着していた頭毛は、染毛という特徴まで類似するとの認定であり、右原告らとの結びつきの可能性は比較的高いものと解される。

しかし、瀧川の本件刑事第一審証言(甲九三)によれば、体毛の鑑定においては、血液型を確定的に判定することはできるが、同一の血液型の体毛については、肉眼的観察(光沢、硬さ、形状)や顕微鏡による検査を行って総合的に判定するものの、高度の確率で同一性を認定できるものではなく、本件刑事事件の場合も、オーバーコートに付着した体毛については、血液型の同一性のほかには、原告Aと同Bが染毛(暗赤褐色)しており、原告Aの場合はすべての頭毛が染色されているのに対し、原告Bの染色状態は悪く、染毛が半分程度しかなかったことや、両者を比較してみると硬度において原告Aの方が類似性があったことから前記の判定をしたものであり、また、パンタロンに付着の頭毛については染毛でなかったことから、B型の二人のうち、染色状態が悪く、染められていない毛もある原告Bの方が該当性があるから、そのような判定をしたというものである。

しかるところ、毛髪鑑定の精度が右のようなものであることに加え、オーバーコートやパンタロンなどには電車の車内等の人込みなどでも他人の毛髪が付着することも想定でき、かつ、前記頭毛は特異な染色でないこと、本件刑事第一審において、犯行現場から採取された体毛、高菜畑で採取された体毛、前記オーバーコート付着の体毛及び原告らの頭毛、陰毛との固体識別の可能性について鑑定を命じられた松本秀雄は、種々の検査結果を総合して、最終的には異同の決定(固体の識別)は困難であると判定している(甲二五九)ことを総合すれば、右瀧川鑑定に依拠して、原告Aと同Bが本件に関わっている可能性が高いとみることは到底できないといわざるをえない。

9  カッターナイフについて

本件において、被害者を拉致する際に原告Aが所携のカッターナイフを使用したとされており、同原告の自供に基づいてその自宅からカッターナイフが押収されている(甲五三―捜索差押調書)。

しかし、自宅にカッターナイフを所有していることは稀なことではないし、また、右自供内容と押収されたカッターナイフを対比すると、その大きさのほか、柄が黄色のプラスチックか、柄が金属で先端部分に黄色のプラスチックが付いているにすぎないかなどでも異なっており、本件犯行と原告Aとを結びつけるには問題もある(もっとも、単に自宅に所有している場合と異なり、犯行に使用するなどのために実際に所持している場合には、その形状等についての記憶がかなり正確なはずである、と常にいえるかは疑問である)。結局、原告らの無実性に関して、否定にも肯定にもそれほど強い証拠とはなりえないものと解される。

10  原告Cの手の甲の傷について

(一) 本件事件では、被害者の右手拇指と示指から少量の血痕の付着が認められた(甲四七―検査処理票)ことから、取調警察官において、被害者が抵抗して爪で犯人に傷を付けている可能性があるとして注意を払っていたところ、原告Cの右手背に二個と左手背に三個の楕円状の傷痕が発見され(甲五一―実況見分調書)、これがきっかけとなって、同原告が自供するに至ったとされている。

(二) 鑑定人四方は、二月九日に大阪府警から嘱託を受け、原告Cの右傷痕(瘢痕)について、その色調及び性状からみて受傷後一五ないし二〇日位を経過したものと推定され、鈍体による擦過作用によるものであるが、その擦過面は、爪のような形状を呈するものによるとみるのが適当であり、被害者の爪などによって掻かれたことによっても発起可能であると鑑定している(甲五二)。

(三) しかるところ、原告Cは、一月二一日にDと「指相撲のように」両手を組み合わせて力比べをした際にできたものであると弁明し、本件刑事控訴審において、実際に両名が手を組み合って、そのような傷ができるかについて検証が実施されているが(甲二六二)、その結果によれば、原告Cの説明する原告Dとの力比べによっても発起可能と推測され、右弁明には一理があるものと認められる。

これに対し、鑑定人四方は、本件刑事再審公判において、原告Cのいうような力比べで前記のような傷ができるとは考えにくい旨の証言をしているが(甲九八)、被害者の爪の形状を十分把握していないふしがみられ、一般的に爪で掻かれたことによっても発起可能というにとどまり、具体的にどのような状況であれば発起可能か、被害者のどの爪が成傷原因となっているかなどについて厳密に検討されたというわけではないことが窺われる(甲九四)。

右を総合すると、原告Cの手背の瘢痕が被害者の爪によってできたものと断定することができないだけでなく、その可能性はそれほど高くないと判断される。

11  小括

以上の判示を総合して検討するに、

第一に、被害者の膣内容液、オーバーコート付着の体液、乳房から採取された体液のいずれからも精液または犯人のものと思われる体液が発見され、したがって原告らが犯人であるとすればその血液型(原告Dを除く)が検出される可能性が高い状況が存在したのに、鑑定の結果、いずれも否定されている。このような鑑定結果については、各別にみれば、前記のようにそれぞれにその理由の説明ができなくはないが、その可能性はいずれも低く、まして三つの検査のすべてから右原告らの血液型が検出されていないという結果が重なる確率は極めて低いものと考えらえれる。この結果は、右原告らが本件犯行に関与したことを断定できないとするにとどまらず、同原告らが本件犯行に関与していない可能性が高いことを示すものというべきである。なお、原告Dは、非分泌型であるから、右各鑑定との関係ではいずれとも決することができないが、本件刑事事件は、原告ら五人がいずれも被害者を姦淫し、射精したとの構図で起訴され、原告Dの関与を前提に各種の立証が試みられたものであり、Dを除く原告ら四名の不関与は原告Dの不関与をも意味するというべきである。

第二に、足痕跡については、原告らの供述を前提とするならば、原告らのいずれの足痕跡も発見できなかったことはやや不自然にも思われるが、この点はさほど決定的な要素とはいえない。原告らの指掌紋がまったく検出されていない点も同様である。

第三に、原告らの履物及び着衣に付着した土と現場の土の同一性が確認されなかったことは、原告らと本件犯行の結び付きを否定的に解する一要素になりうるが、さほど決定的な要素ではない。

第四に、犯行現場から採取された体毛、カッターナイフの押収、原告Cの手の甲の傷は、それぞれ原告らの一部の者と本件犯行を結び付ける可能性のある物証の一つであるが、同時に右結び付きを否定する説明も比較的容易であり、いずれも原告らの犯行を断定する価値を有するものではない。

以上のように、本件事件に関する物的証拠は何一つ確実なものがないが、それにとどまらず、右第一の点における不存在の集積は、原告らの本件事件への関与を積極的に否定するに足りるものとも評価しうるから、原告ら全員が本件事件に関与していないこと、つまり無実である可能性は高いというべきである。

なお、原告らは本件犯行当時のアリバイを主張し、その点からも原告らの無実は明白であるとする。しかし、原告らのアリバイ主張については、本件刑事控訴審等で争われてきているが、本件刑事事件における証拠のほか本件で新たに調べた証拠を総合考慮しても、本件刑事控訴審判決と同様に当裁判所も、原告らの右主張については全くの虚偽とまでは断言できないが、同時にアリバイの成立を認めるにも足りず、結局、アリバイの点は原告らの無実性を検討するについて決定的資料と解することはできないものと考える。

三  捜査段階における原告らの供述

1  諸言

原告らが主張する自白の強要の有無を検討するうえで、捜査段階における原告らの供述内容及びその変遷は、二に述べたことがらとともに、間接的ではあるが重要な意味を持つから、以下、本件犯行との関係で主要な事項についての原告らの供述内容、その相互の関係及び変遷について分析、検討する。

2  輪姦の順序の取決めに関する供述

原告Aは、他の原告らに対し、自分が最初にいくことは言ったが、他の原告らがどうして決めたかは知らないと供述している(甲一一二―2.12員面)のに対し、原告D及び同Cは、Aを除く四人でじゃんけんをして決めたと言い(甲一四三―Dの2.3員面、甲一五〇―同2.6検面、甲一五一―同2.13検面、甲一六二―Cの2.2員面、甲一六四―同2.5検面、甲一七〇―同2.11検面)、原告B及び同Eは、じゃんけんによって姦淫の順序を決めたことはないと述べている(甲二四三―Eの2.12検面、甲一三一―Bの2.13検面)。

じゃんけんをしてその順序を決めたかどうかというようなことをたやすく忘れるとは考えにくく、右のような供述の食い違いはいささか不自然である。

3  原告Eの本件ビニールハウス侵入に関する供述

(一) 原告E

原告Eの侵入経路に関する供述を日をおって整理すると以下のとおりである。

1.27 ビニールハウスの東南側の当初から開いていたビニールの穴から入り、南東側付近にある戸を内側から開けて他の四人を中に入れた〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕。

1.27、2.2 ビニールハウスの東側中ほどのビニールを破って中に入り、開き戸を開けに行ったが開かないので、その穴から外に出て戸を開けた。ビニールに向けて真っ直ぐ突き刺すと「プスー」とちいちゃい音がして破れた〔甲二三二―1.27員面(H警察官に対するもの)、甲二三五―2.2員面〕。

2.9、2.12 ビニールハウス東側中ほどに穴を開けて入り、南側の戸を中から開けようとしたが開かず、北側に戸があるかも知れないと思って行ったが戸が見つからず、北側のビニールを破って外へ出て南側に回って戸を開けた(甲二三九―2.9員面、甲二四三―2.12検面)。なお、右2.9員面で、原告Eは、ビニールの破損及び侵入状況について、「東側のビニールの壁のところで二本の指先をビニールにギューと押しつけると、穴が開き、その破れ目に両手を突っ込み、両方に開けるようにして穴を開けてそこから頭を突っ込み、這うようにして入った。そして、本件ビニールハウスの北側の壁のビニールも東側の壁のビニールを破ったと同様の方法で破り、そこから頭を突っ込み、這うようにして外へ出た。」と極めて具体的に供述している。

(二) 原告C

右の点に関する原告Cの供述も時系列に従って整理すると次のとおりである。

1.27 Eがビニールハウスの東南側付近に直径五、六〇㎝の破れ穴を見つけて「俺ここから入って開けたるわ。」と言って足の方から体を入れて入り、南側の戸を中から開けてくれた(甲一六一―1.27員面)。

2.2 Eはビニールハウスに行き東側のところで何かバリバリという物音をたてて、しばらくして元の道路のところに帰って来て自分らに開けてきたと言った(甲一六二―2.2員面)。2.3 本件犯行後、逃走する際、Eは「俺、家あっちやから向こうから帰るわ」と言って、ビニールハウスの北側の方へ一人で走って行った。自分は、ビニールハウスの内側から棧を横にかけて絞め、死体のすぐ横の破れ目から、頭から外にでようとして頭を破れ目に突っ込んだときくらいに、ハウスの北側から「バリッバリッ」という大きな音が聞こえたので、Eが北側から逃げたと思った。二色の浜駅に自転車を取りにいく途中、永江医院を曲がったところ辺りでEが「チャリンコ取りに来た。」と大声を出して走ってきた(甲一六三―2.3員面)。

2.8 Eはビニールハウスの東側をバリバリ両手で破り頭の方から入ったのがよく見えたが、その後、しばらくして前よりもっと大きな音でバリッバリッと音がして、ハウスの踏切寄り(北側)から走り出て来て、東側を回って、南側にある入口を外から開けた〔甲一六五―2.8員面(図面添付のもの)〕。

2.11 Eは、ビニールハウスのビニールを破って出たり入ったりして戸を開けた。犯行後は、Eが一番最後に戸を閉めて逃げた(甲一七〇―2.11検面)。

2.13 (実況見分に立ち会った後の供述)Eがビニールハウスの東南付近を両手で破り、頭から入ったことを思い出した。現場で刑事さんがハウスが破れる音が「バリッバリッ」と本当にしたんかと聞かれ、ハウスを見ながら思い出してみますと、もっと低い音で「ブスーッ」というような音だったように思う。北側を破ったのも、Eが北側から出てきたから判った(甲一六七―2.13員面)。

(三) 原告Eが右のように供述を変更した原因について、実況見分に立ち会った際に、現場の状況から誤りに気づいたと述べたような供述調書が作成されているが(甲二三九―2.9員面)、同原告が立ち会った実況見分当時にはビニールの破れ跡はなくなっていたのであって、現場で間違いに気づいたという説明は十分首肯できるものでないし、次第に供述が詳細になっていっているのも奇異であり、日常の生活でしばしばあることではない右のような特異な体験について、これほどまで供述が転々とすることは異常というべきである。また、二か所の破れはその形状が同一ではなく、破り方に差があるのではないかと思われるが、同原告は、単に同じようにして開けたというのみであり、その点においても、右供述には疑問が多い。

原告Cの供述についても、右のように相当具体的に情景描写をまじえながら供述しているにもかかわらず、前言を翻す理由を特には述べることもなく、たやすく供述を変遷させており、その不自然さは原告Eの供述の変遷より甚だしい。特段罪責に影響を及ぼすとも考えられないことについて、このような不合理な供述の変転がみられることからすれば、右原告らの供述は、到底自己の体験を語るものとはみられない。

その原因は、推測する以外にないが、右原告らの供述の変化を時系列的にみれば、取調警察官側が同原告らに対し、客観的状況、すなわち、本件ビニールハウスの戸は南側に二か所と北側に一か所あり、外側から閂を下ろしていること、本件ビニールハウスの所有者が少なくとも一月一九日まではなかった(甲二九二)というビニールの破れが二か所あったこと、死体のあった場所から北の方に走ったような痕跡があったこと、に符合する説明を求め、同原告らが推測に基づいて、適当に情景描写をしながら説明し、双方の供述の相違を追及されながら、次第に一つの帰結に収斂させられていったとみてもあながち的外れではなかろう。

4  被害者を捕まえる直前の行動に関する供述

(一) 原告A

原告Aと同Cの二人が被害者を拉致したことは原告ら全員の供述の一致するところであるが、その直前の両者の行動について、原告Aは、一貫して、自分とCはビニールハウスに入らず、他の三人だけビニールハウス内に待たせておいて、二人で駅前の方や畑の方に行ったり戻ったりしながら女を探し、永江医院の前付近に立っていたとき、難波方面からの電車が到着し、降りてきた被害者が二人の前を通り過ぎ、左折して近木川住宅の方向に曲がって行ったので、後を追って捕まえたと供述している(甲一〇六―1.30員面、甲一〇八―2.3員面、甲一一六―2.6検面等)。

(二) 原告C

これに対し、原告Cの供述は、Aと二人で被害者を追いかけて捕まえたという点では一致しているが、被害者を捕まえる前に本件ビニールハウス内に入ったか否かについて転々とした供述をしているほか、その直前の状況については以下のような供述をしている。

1.27 他の原告らとともにビニールハウスの中で東側市道を通る女がいないか待っていると、被害者が駅の方から来たので、Aと私は、「おい、ええ奴来よった。やってもたろ。」と言って、私が一足先に走り出て、被害者の後ろから「姉ちゃん、今ひまけ。」と声をかけたが、相手にされなかった。そのときAが後ろから走ってきて被害者の背中にカッターナイフを突きつけた(甲一六一―1.27員面)。

2.2 原告ら全員が一旦ビニールハウスに入ったが、AがD、B、Eの三人に見張りするように言い、自分について来いと言ったので、私とAがビニールハウスを出て、二人で三、四〇分女が来ないか探した。私が永江医院の北側の駐車場付近におり、Aが高菜畑の南東角付近にいたとき、被害者が歩いてきたのでAと合図をし、私が道路(東側市道)上で被害者に「どっか喫茶店に行けへんけ。」と声を掛けたが無視され、Aに手で合図すると同人が飛び出してきて同女を捕まえた(甲一六二―2.2員面)

2.5 Aと一緒にビニールハウスを出て女が通るのを待っていた。駅の方から被害者が歩いてきたとき、Aは「お前行ってこい。」と言って、畑の隅に隠れた(その後は2.2員面とほぼ同じ)(甲一六九―2.5検面)。

2.8、2.11 Aと私が二人で永江医院の前の道路に立っていると前を被害者が通ったので、二人で付いて歩き、左右から同女を捕まえた〔甲一六五―2.8員面(図面添付のもの)、甲一七〇―2.11検面〕。

2.15、2.5検面(甲一六九)でAが隠れていた旨述べたのは、二人で付けて行って捕まえたことが思い出せなかったので、いい加減なことを言った〔甲一七一―2.15検面(五枚綴りのもの)〕。

(三) 原告B

これに対し、原告Bは、2.6検面までは、右原告両名とまったく異なり、原告ら五人で二色の浜駅の近くをうろうろしていて被害者を見つけ、AとCがあとをつけ、残りの三人も少し遅れてつけていき、永江医院を曲がった先でAらが被害者の手を押さえ、あとの三人は大工安工務店の付近まで先回りしており、その付近で合流し、どこでやるか相談して、本件ビニールハウスに連れ込むことになったと供述していた(甲一三〇―2.6検面)。しかし、その後、何ら理由を説明することもなく、これをまったく翻し、AとCの二人だけで被害者を捕まえ、他の三人は本件ビニールハウスの中から見ていたと供述を変えている(甲一二六―2.9員面等)。

(四) 右のように原告Cの供述は、ここでも変転し、二月二日に図面まで書いて説明した内容を何ら合理的な理由も述べずに変更しており、原告Bの供述の変更も不可解である。当初は、三者ともに適当に供述し、次第に原告Aの供述に一致するように誘導された疑いを拭いがたい。

5  原告Aのカッターナイフ所持及びこれによる脅迫状況に関する供述

(一) 原告Aがカッターナイフを所持しているのに気づいた時期

(原告E)

1.27 原告らが二色の浜駅からビニールハウスに着いたころ、Aが「俺カッターナイフを持ってる、これで脅すぞ。」と言っていた〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕。

2.2、2.15 Aが被害者をビニールハウスに連れ込んだとき、背中に突き付けていたのがカッターナイフであることが判った(甲二三五―2.2員面、甲二四一―2.15員面)。

(原告C)

1.27 最初に原告ら五名がビニールハウスに入ったとき、Aが長さ一五センチ位のカッターナイフをズボンの後ろのポケットから出して、「これで脅したろ。」と言った(甲一六一―1.27員面)。

2.15 Aが被害者の背中に突き付けたとき初めてカッターナイフを見た(甲一六八―2.15員面)。

右原告両名の当初の供述が変化した理由は判然としないし、同原告らも首肯できるような説明はしていない。思うに、被害者を拉致するのに刃物〔最終的には各原告ともカッターナイフと供述するようになっているが、前記のように原告Eは朝日の記者には「ナイフ」と述べており、その後も「ナイフのようなもの」と述べていることもある(2.12検面)。また、原告Bも「カッターナイフのようなもの」(甲一二五―2.3員面等)とか「ナイフみたいなもの」(甲一三〇―2.6検面等)とあいまいな供述していることもある〕を使ったとの原告Eの当初の供述に始まり、そのような構図ができ上がったが、原告Aが被害者を拉致する前に本件ビニールハウスに入ったか否かについて、原告らの供述が変転し、その点が判然としないうえ、原告A自身は一貫して被害者を連れ込む以前には入っていないと述べており、したがって、原告Aの供述に従う限り、原告Eらの言うように本件ビニールハウス内で原告Aがカッターナイフを示すことはありえないことになるし、実際にも原告Aを含め、他の原告らからは、本件ビニールハウス内で原告Aがカッターナイフを見せて、これで脅すと言った旨の供述が得られなかったことから、その点の供述の不整合を修正するような誘導の結果、原告Eと同Cの供述が変化したのではないかと推認される。

(二) 被害者にカッターナイフを突き付けた者

被害者にカッターナイフを突き付けた者について、最終的には原告らの供述は原告Aということで一致している。

しかし、原告Bは、当初、Cが東側市道でいきなりカッターナイフを被害者に突き付けたと供述していたが(甲一二四―1.27員面)、その後、AかCのどちらかがカッターナイフのようなものを被害者に突き付けていたと変わり(甲一二五―2.3員面、甲一二六―2.9員面)、最終的に検察官に対して、Aがナイフみたいなものを被害者に突き付けていたと供述するに至っている(甲一三一―2.13検面)。

ここにも原告ら間の供述の相違を次第に大勢の方向に収斂させてきていることが読み取れる。もっとも、原告Bのこの点の供述の変化は、兄である原告Aを庇おうとする意識のあらわれとみる余地もないではない。

(三) カッターナイフを突き付けた部位

この点についても、Aは自供の当初からしばらくは被害者の顔にカッターナイフを突き付けたと言っていたが(甲一〇六―1.30員面、甲一〇七―2.1員面、甲一〇八―2.3員面)、その後、身体(甲一一六―2.6検面)と言ったり、腰(甲一一〇―2.9員面、甲一一七―2.14検面)と言ったりしている。実行行為者である原告A自身の供述がこのように変化した原因は明らかでない。

また、原告Cも背中〔甲一六一―1.27員面、甲一六九―2.5検面、甲一六五―2.8員面(図面添付のもの)〕から脇腹(甲一七〇―2.11検面)と供述が変わってきており、原告Bは、横腹に突き付けたというのが(甲一二六―2.9員面)、後には、被害者に見せびらかして脅していたというように変遷している(甲一三一―2.13検面)。

右程度の変遷は、動きのある状況での認識としてやむをえない面も否定できないが、原告らの自己体験に基づく供述であることに疑問を抱かせるものでもある。

なお、この点に関する原告Eの供述は、背中に突き付けた点については一貫しているが、その様子について、同原告は、当初、Aが東側市道で被害者の後ろに回ってカッターナイフを背中に突き付け、「声出したら殺してまうど。ついてこい。」と言って脅していたと述べていたところ〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕、その後、何ら理由を示すことなく、被害者を本件ビニールハウスに連れてくるまでは、Aが同女の背中に突き付けていたのは、ピストルか出刃包丁かナイフか分からなかったが、同女を本件ビニールハウスに連れ込んだときにカッターナイフであることがわかったというように変化している(甲二三五―2.2員面、甲二四三―2.12検面、甲二四一―2.15員面)。右は、現場の状況からみて、本件ビニールハウス内から見えたり聞こえたりするか疑問があることから、取調警察官の示唆で供述が変更されたのではないかと推察される。

6  被害者を本件ビニールハウス内に連行した状況に関する供述

(一) 右の点についても、最終的には原告らの供述は、AとCが被害者を高菜畑に連れ込み、そこで下半身を裸にし、その状態で本件ビニールハウスに連れてきたということで一致しているが、そこに至る経過は以下((二)ないし(六))のとおりである。

(二) 原告E

1.27 AとCが被害者を捕まえ、高菜畑の中で押さえつけてズボン、パンティなどを脱がせ、その後ビニールハウスの中に連れてきた〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕。

同日 ビニールハウスの中で原告ら五人で女が来るのを待っていたら、被害者が通りかかったので、AとCが飛び出して被害者を同ハウス内に連れてきて丸裸にした〔甲二三二―1.27員面(H警察官に対するもの)〕。

2.2 高菜畑の中で、被害者の腰から下が全部裸にされたのが見え、AとCが被害者をビニールハウスに連れて来た(甲二三五―2.2員面)。

(三) 原告C

1.27 Aと二人で被害者を捕まえ、高菜畑に連れ込み、Aがカッターナイフで脅して、被害者に自分でパンタロン、パンティストッキング、パンティを脱がせ、Aもズボンを下げて、その場で姦淫しようとしたが、暴れたのでビニールハウスに連れて行った(甲一六一―1.27員面)。

(パンティなどを脱がせた状況以外は概ねその後も同じ)。

(四) 原告D

1.27 AとCが被害者をビニールハウスに連れてきたので、取り囲んで寝かせ、ズボンやパンティストッキングやパンティを皆で脱がせた(甲一四一―1.27員面)。

2.3 AとCが被害者を捕まえ、高菜畑で脱がせ、下半身裸の状態でビニールハウスに連れ込んだ(甲一四三―2.3員面)。

(五) 原告B

1.27 AとCが高菜畑に被害者を連れ込み、素早く裸にさせ、ビニールハウスに引きずり込んだ(甲一二四―1.27員面)。

2.9 高菜畑で被害者が倒れて揉み合いとなり、これを見て加勢しようとしたが、Aが怒ると思ってハウス内で待っていたところ、AとCが被害者を連れて来たので、畦道の途中まで迎えに出た(甲一二六―2.9員面)。

2.13 被害者が畑の中で逃げたので自分も捕まえなければいけないと思って、ビニールハウスを飛び出して逃げる被害者の方へ走って行ったところ、AとCが被害者を捕まえてズボンやパンティを脱がせ、その時自分も被害者の陰部に触ったが、Aらはその場では姦淫しないで被害者をビニールハウスの方に連れて行った(甲一三一―2.13検面)。

2.15 (押収されている被害者のパンタロンを示されて)

AとCが畑の中で逃げた被害者を捕まえたとき、自分が加勢して脱がしたパンタロンに間違いない(甲一二八―2.15員面)。

2.15 自分は、畑の中で逃げた被害者のところへ行き、Aらがパンタロン等を脱がせたとき、そばにいて陰部を触ったように思っていたが、今日現場に行って考えてみたら、畑の中までは行っていないような気がするので、被害者の陰部に触ったのは、Aらが下半身裸の被害者をビニールハウスのそばに連れて来たときではないかと思う(甲一三二―2.15検面)。

(六) 原告A

1.30 Cと二人で被害者を捕まえ、高菜畑に連れ込み、パンタロンやパンティを脱がせ、その場で姦淫しようとしたが、騒がれたのでビニールハウスに連れ込んだ(その後の供述も概ね一貫している。甲一〇六等)。

(七) 以上のような原告らの供述の変遷をみると、当初、本件ビニールハウス内に被害者を連れ込んだ後に被害者のパンティ等を脱がせたとしていたのが、高菜畑にパンタロンやパンティストッキングとパンティを一緒に脱がせて放置してあった現場の状況に合致させ、かつ、高菜畑での行為についての実行行為者である原告Aと同Cの供述に一致させる方向で供述が変化してきていることが窺える。このような供述の変遷のうちでも、原告Bの変転ぶりは顕著である。Aが怒るから本件ビニールハウス内で待っていたと述べながら、次には加勢するために飛び出し、高菜畑で被害者のパンタロンを脱がせたときそばにいて被害者の陰部を触ったとまで述べるに至っていたのが、現場を見た後には再転して、下半身を裸にされた被害者が本件ビニールハウスに連れて来られるのを迎えたというのであり、他の原告らの供述と整合させるための供述の変化である疑いが濃い。

7  被害者殺害の契機に関する供述

(一) 被害者を殺害するようになった点について、原告らの供述は、最終的には、原告Eが最後に姦淫した後、他の原告らに被害者を知っていると告げたところ、原告Aが「いてもうたれ、殺せ。」と言ったのが契機となって殺害するに至ったという点で一致している。そして、右供述は、原告Eが自身の姦淫行為を認めた後の供述(甲二三三他)及び原告Aが自供を始めて以来一貫して(甲一〇六他)述べているところに沿うものである。

しかし、他の原告らの供述は必ずしも一貫したものではない。

(二) 原告E

原告Eも、最初は、Aらが被害者を本件ビニールハウスに連れ込んできたとき、よく見ると「甲野のおっちゃんの嫁さん」であることがわかったと述べ、自分を除く四人が姦淫した後、被害者が立ち上がったところ、Aが「こいつ、殺してしまえ。」と言ってCと一緒に首を絞めたと供述していたものであり〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕、最終的な供述とは大きく異なる。もっとも、原告Eは、同日、右供述を変更し、自分も姦淫したことを認めるとともに、最後に自分が姦淫をしたときに甲野の嫁であると分かり、Aに話すと「そんなら殺してしまえ。」ということになったと供述し〔甲二三二―1.27員面(H警察官に対するもの)〕、その後は同旨の供述をしている(甲二三六―2.3員面、甲二四二―2.6検面、甲二四三―2.12検面)。

(三) 原告D

原告Dは、当初、強姦したときは手足を皆で押さえていたのであまり暴れなかった被害者が、終わって手を離して思い思いに手で被害者の身体を弄んだときに同女がものすごい勢いで抵抗して暴れ、声を出してもがくので、皆で同女の口を必死で押さえ、Aが「殺してしまえ。」と言ったと述べていたが(甲一四一―1.27員面)、その後、Eが姦淫しているとき皆に聞こえるように「この女、知っている奴や。」と言い、全員姦淫を終わって、被害者がビニールハウスの入口の方に行きかけたとき、Aが「殺してしまえ。」と言ったとか(甲一四三―2.3員面)、Aらが被害者を本件ビニールハウスに入れたとき、Eが「知っている顔や。」と言ったと思うが、そのことについて他の原告らは何も言わなかったと思うと言いつつ、全員が姦淫した後、Aが「ミー(Eのこと)が知っている顔やから殺せ。」と言ったと述べるに至り(甲一五〇―2.6検面)、以後は概ね右供述を維持している。

(四) 原告B

原告Bも、当初は、原告らの強姦が終わると、Aが後でバレたら大変なことになると思ったのか、「殺してしまえ。」と言った旨供述するだけで、被害者と原告Eとの面識については何ら触れていなかったが(甲一二四―1.27員面)、その後、原告ら全員の姦淫が終わり、被害者が服装を直しかけていたとき、Eが「俺この女知ってるわ。」と言い出し、Aが「知っとんやったらいてしまわんかえ。」という様なことを言ったと供述するに至っている(甲一二六―2.9員面)。

(五) 原告C

原告Cは、当初から、全員が姦淫した後、誰か覚えていないが「こいつ知ってるわ。どないしよう。」と言ったのがきっかけであると述べ(甲一六一―1.27員面)、その後、知っていると言ったのはEであると供述している(甲一六三―2.3員面)。そして、原告Eの右発言に対し、当初は、自分が「殺してしまえ、そしたら見つからへんわ。」と言ったと述べていたが(右1.27員面)、その後、Aと自分の二人で怒鳴ったと供述を変更し(右2.3員面)、二月五日以降は、Aが「知ってるんやったら殺してまわんかい。」などと一人で怒鳴った旨、再度供述を変えている(甲一六九―2.5検面、甲一六五―2.8員面、甲一七〇―2.11検面)。

(六) 右のような供述経過をみるに、人を識別できる程度の明かりはあった現場で、四人が姦淫する間、被害者の右手や胸の辺りを押さえつけていた原告Eが、最後に自分も姦淫しながら、その後に初めて被害者が近所に住んでいる甲野の妻とわかったというのはいささか不自然であるし、原告Aが自供するまでは、原告Dや同Bは、被害者の殺害と原告Eの面識とを関係づけていなかったものであり、それを変更した理由について、原告Dと同Bは何ら説明をしていない。

また、原告Eの発言を受けて、殺害を命じた者について、原告C以外はすべて原告Aであると述べているのに、原告Cがなぜ右のように極めて不利益な供述を当初したのか不可解である。

8  被害者殺害の実行行為に関する供述

(一) 被害者は、頸部を扼圧されて窒息死したものであり、解剖時の所見によれば、前頸部に二条の線状の皮下出血があったところ、検察官の冒頭陳述(甲三四五)によれば、Aが被害者の上に馬乗りになって、両手指で首を絞め、続いてCがその左側に来て、Aとともに両手指で首を絞め、その後Eも同女の左肩のあたりから中腰の姿勢で一緒に両手指で首を絞めたということになっている。そして、原告らの最終的な供述を総合すれば、概ね右のような趣旨となる。しかし、原告らの供述が右冒頭陳述のとおりに完全に一致したわけでないだけでなく、その供述過程には看過しがたい変遷がある。

(二) 原告E

原告Eは、最初、「AとCが一緒に被害者の首を絞めた。」と言い〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕、次いで、「Aが被害者に跨がるようにして両手で首を絞めつけ、僕も女の左肩のところにしゃがむようにして両手でAの両手の上から絞め、他の三人は手足を押さえていた。」と述べていたが(甲二三六―2.3員面、甲二四二―2.6検面)、その後、「Aが被害者の体の上に乗って両手で首を絞め、Cも被害者の頭元の方に回り、そこから両手を出して首を絞め、僕もAに力を貸してやる様な格好で首に両手を持っていったが、二人が先に首を絞めていたので、僕の手は首を絞めているAの手を押さえるような格好でした。」と供述するに至っている(甲二四〇―2.10員面、甲二四三―2.12検面)。

(三) 原告C

原告Cは、当初、私が「殺してしまえ。」と言うなり、被害者の首を両手で輪にするように絞め、体を乗りかかり絞めると、被害者がものすごい力で私の両手に爪を立てるように掴みかかって暴れるので、Aが私の手の上から両手で絞めたと述べ(甲一六一―1.27員面)、次には、私とAの二人が「殺してしまえ。」と怒鳴って被害者を仰向けに押し倒し、私が被害者の腹の上に馬乗りになって、体を首の方に乗りかかるようにして力一杯絞めたら、被害者が両手で私の手を掻きむしり、ものすごい力で爪を立てて暴れ出したので、Aが頭の方に座って私の手の上から両手で絞めたら、被害者の体の力が急に抜けたので死んだと思って手を離したが、AがEに「もっと絞めー。」と怒鳴ったので、Eが被害者の頭元に座って両手で首を絞めたと述べていたが(甲一六三―2.3員面、甲一六九―2.5検面)、その後、Aが被害者に馬乗りになって両手で首を絞め、「お前らもやれ。」と言ったので、私も被害者の頭の方から、Aの絞めつけた手の上から両手でのしかかって絞めた後、同女が死んだと思って手を離すと、Eが私がやったように同女の頭の方から首を絞めたと供述するに至っている〔甲一六五―2.8員面(図面添付のもの)〕。そして、最終的には、Eの行為については見ていないと供述を変えている(甲一七〇―2.11検面)。

(四) 原告B

原告Bは、当初、Aが「殺してしまえ。」と指示すると同時に、AとCの二人がいきなり被害者の首を絞めたと述べ(甲一二四―1.27員面)、次いで、A以外の四人で被害者の手足などを押さえ、Aが馬乗りになって、両手で喉を押さえ、体の重みをかけて力一杯首を絞めたが、被害者がものすごく暴れたので、Cが被害者の右の腹辺りにのしかかってAと一緒に両手で首を絞め、被害者が動かなくなった後、AがEに「ミーも絞めんかい。」と言ったように思うと述べ(甲一二六―2.9員面)、その後、Aが被害者の胸の上に跨ぐようにして首を絞めたので死んだと思ったが、Aが同女の上から降りた後、Cも同女の胸を跨ぐようにして首を絞めたと述べたり(甲一三〇―2.6検面)、Aが被害者の胸か腹に跨がって首を絞めていたが暴れるので、Cが横から一緒になって首を絞めたが、そのときAはCにも首を絞めさせるため、自分の身体を右か左か覚えないが横へずらしてCと並ぶようにして首を絞めていたなどと供述している(甲一三一―2.13検面)。

(五) 原告D

原告Dは、当初、Aが「殺ってしまえ。」と言って自分で被害者の首を絞め、他の者は手足などを押さえつけていたら、コトンという感じがして被害者が動かなくなったので吃驚したと述べて(甲一四一―1.27員面)、次には、Aが「殺してしまえ。」と大きな声を出し、皆で被害者を畑に押し倒し、左手をA、右手をC、左足をB、右足を私が押さえ、すぐにEがAと代わり、Aが被害者の腹の上に馬乗りとなり、「首絞めてやる。」と叫んで力まかせに押さえ、一分もたたないうちに被害者の足の力が抜けたと述べていたところ(甲一四三―2.3員面、甲一五〇―2.6検面)、その後、Cも被害者の頭の方でAと一緒に両手で首を絞めていたと供述するようになったが(甲一四六―2.10員面)、再度これを翻し、怖くて下を向いていたから、A以外の者の行動についてははっきり分からないと述べるに至っている〔甲一五一―2.13検面、甲一五二―2.16検面(二枚綴りのもの)〕。

(六) 原告A

原告Aは、最初に自供したときには、Eが「俺、こいつ知ってるわ。」と言ったので、「知っとんやったらいてしまえ。」と言うなり被害者に飛びかかり、ひっくり返し、両手で首を絞めたところ、必死で暴れるので、CやEも私に加勢して首を絞めたと述べ(甲一〇六―1.30員面)、その後は、Eが首を絞めたかどうか分からない旨供述して同人を除外し、私が被害者の腹に馬乗りになり両手で首を絞めると、Cも私の左側にきて私の手の上から首を絞めた旨供述している(甲一一六―2.6検面、甲一一〇―2.9員面、甲一一二―2.12員面、甲一一七―2.14検面)。

(七) 本件のように多数の者が殺害行為に及んでいる場合に、殺害実行中の緊迫した状況下での各人の行動をすべての原告が正確に認識し、かつ、記憶しているとみることには無理がある。

しかしながら、原告A、同C、同Eの三名は実行行為者と目されているのであって、自己の行為についての供述を大きく変遷させることは、自己の罪責を慮っての弁解が崩れたとか、共犯者を庇うなどの合理的な事情がない限り、不自然というべきであるところ、右にみたとおり、実行者三名の供述も二転三転しており、いずれもその理由を何ら説明していない。

原告Eが一旦は原告Aと同Cの実行を述べながら、原告Aと同Eだけに代わり、最後は三人(しかし、原告Eの手は原告Aの手と重なっている)になった理由はわからないが、取調警察官側に、被害者の前頸部に二条の線状の皮下出血があったのに適合される意図があったことを疑わせる。

原告Aの供述の変遷にも同様の疑いがある。

原告Cの供述はさらに理解しがたいものである。すなわち、同原告は、自分が最初に被害者の首を絞めたとか、馬乗りになって絞めたのはAではなく自分であるなど、他の原告らが誰も述べていない自己に極めて不利なことを当初から供述している。原告Cが同Aを庇おうとしているような様子は他の供述の全体を観察してみても窺われないのに、なぜそのような供述をしたのか甚だ疑問である。思うに、原告Cの右供述は、被害者が必死に抵抗し、同原告の手に爪を立てて掻きむしったという供述と対になっており、同原告を取り調べたG警察官は、同原告の自白の契機は、同原告の手の甲の傷であると述べている。そこから窺われることは、原告Cが先ず被害者の首を絞め、その抵抗にあって爪を立てられたという構図である。しかし、取調警察官は、前記の冒頭陳述にもあるように、最終的にはその構図は採用しておらず、原告Cの供述も一転して、原告Cと原告Aを入れ換えるものに変形している。原告C自身にとって極めて不利なこのような構成を同原告自らが進んで自白したと考えることは到底できない。原告Cの手に傷があることから同原告を被害者殺害の実行行為の主役と考えたG警察官による自白の強要が強く疑われる。

殺害については、実行行為者とされていない原告Bや同Dの前記のような供述の変遷も自己の記憶に基づいての供述としては極めて不自然な変遷が少なくなく、軽視できないものがある。

9  被害者の荷物などを持ち運びした状況に関する供述

(一) 前記実況見分の結果(甲九―1.22実施)が示しているとおり、本件においては、被害者の所持していたショッピング用紙袋、布製手提バッグ、ビニール製手提袋が東側市道脇に遺留され、同じ所にあったショルダーバッグは通行人に拾得され、高菜畑の中には被害者の着衣が散乱するという特異な現場状況が存在する。そのうえ、原告Aがショルダーバッグ内から被害者のがま口を窃取したとされている。これらの状況についての原告らの供述は、以下のとおりである。

(二) 原告A

原告Aは、当初、被害者の着衣はDが菜葉畑の方に捨てに行ったはずで、また被害者の紙袋等はCがどこかに隠したはずであると述べ(甲一〇六―1.30員面)、次いで、Cが被害者の足の方に落ちていたショルダーバッグを拾い中を見ていたが、本件ビニールハウス内になかった紙袋などと一緒にCに隠すように言い、Cはショルダーバッグを持って出て行ったと供述(甲一〇八―2.3員面、甲一〇九―2.4員面)していたところ、その後、被害者の死体とともに荷物も埋めてしまった方がよいと考え、Eに被害者の服や荷物を取ってこいと言い、Eは、手提げの紙袋など二つ三つとパンタロンなどを両手に抱えるようにして持って来たと供述し(甲一一〇―2.9員面、甲一一一―2.10員面、甲一一七―2.14検面)、埋めることができなかったその荷物の処分については、Eにどこかに隠しておくよう指示したと述べていたが(甲一一二―2.12員面)、指示した相手については、後にCかEであったと変更している(甲一一七―2.14検面)。

(三) 原告E

原告Eは、当初、Aが「あのカバンの中に何かないやろか」と言って一人で高菜畑の中に入って行き、被害者のカバンや紙袋を両手で抱えて持って来て、カバン中からがま口を取り、その後Cに荷物を元のところへ持って行かせたと述べていたが〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕、その後、Aから荷物や服も一緒に埋めるからと言われて、畑の中から被害者の荷物は自分が、パンツなどはBが持って来たところ、Aが自分の持っていたカバンを取り、その中から財布を取り出した後、自分とBに、持って来たものを元の所へ置いてこいと言われたので、自分が持って来た荷物を畑の道路寄りに置いてきたと言い(甲二三六―2.3員面)、更に供述を変更して、Aに言われて自分が畑から荷物を探して持ってくると、Aがハンドバッグかカバンかからがま口を取った後、同人から被害者のズボン、パンツも取って来いと言われて取ってきたが、土が固くて埋められなかったため、Aに元の所へ持って行けと言われたので、ズボンやパンツは元あった所に放り投げ、ハンドバッグなどは東側市道と高菜畑の境のコンクリートの上に置いたと述べている(甲二四〇―2.10員面、甲二四三―2.12検面)。

(四) 原告C

原告Cは、当初、AがDに被害者の荷物を持って来させ、カバンの中からがま口を取り出した後、Dに持って行かせたと述べていたが(甲一六一―1.27員面)、その後、AがEに被害者の荷物を取ってくるように命じ、Eが取って来たと改めており、また、Eにパンティやズボンも取ってくるように言いつけ、Eは畑の中をうろうろしてパンタロンやパンティストッキング等を持ってきたが、Aから言われて自分がカバン等を畑と道の境のところに置き、パンティやパンタロンはEが畑に放かしたと供述し、自分がAに言われて荷物を置いた場所を図面に記載していたところ〔甲一六三―2.3員面(右図面が添付されている)、甲一六九―2.5検面〕、さらにはこれを覆して、Eが荷物もパンタロンなども持って外へ出たと供述するに至っている(甲一六六―2.9員面、甲一七〇―2.11検面)。

(五) 原告B

原告Bは、当初、誰ともいわず、単に畑の中に散らばっている荷物をかき集めたと述べていたが(甲一二四―1.27員面)、その後、AがEに「女の荷物全部取ってこい、バレてしまうぞ。」と言いつけ、Eが本件ビニールハウスから出て、茶色の鞄の様なものと紙袋を持って戻り、Aが荷物を調べており、その後、AとCが荷物を持って出て行ったのでどこに置いたかは判らないと述べ(甲一二六―2.9員面)、次には、Eが持って来た荷物をAとEが畑の方に持って行ったと供述を一部変更している(甲一三一―2.13検面)。

(六) 原告D

原告Dは、最初、全員がビニールハウスから逃げた後、AとCが畑の中の被害者の荷物を集めてどこかに持って行ったと述べていたが(甲一四三―2.3員面)、その後、AがEに被害者の荷物を取ってこいと言い、Eが畑の方から荷物を持って来たように思うが、その荷物を誰がどうしたか覚えていないと供述している(甲一五一―2.6検面、甲一四六―2.10員面)。

(七) 右のような事柄については、多数の者が関与している場合、他人の行動を認識していない場合や思い違いなどが生じやすいことは通常ありうることである。しかし、殺人という重大な行為をした後に本件ビニールハウスを出て、高菜畑の中から被害者の手提袋などの荷物や脱がした着衣を集めたり、それをまた捨てたりした者自身がその記憶を大きく変遷させることは理解しにくい。

しかるところ、右にみたように、原告Eは、①Aが荷物を取ってきた、②Bが着衣、自分が荷物を取ってきた、③自分が荷物と着衣を別々に取ってきたと三転する供述をし、捨てた者についても、①Cが荷物を捨てた、②自分が荷物を捨てた、③自分が荷物も着衣も捨てたとこれも三転している。また、原告Cは、荷物を捨てた者について、①D、②自分、③Eと三転する供述をしている。これは自己の行為に関する部分だけを取り上げたものであるが、それ以外の原告らの供述の混乱ぶりも軽視できないものである。そして、原告らは、これらの行為について、自己の体験としてかなり具体的な供述をしているにもかかわらず、簡単にこれを覆し、それも度重なるものであるのに、その理由を説明していない。ことに原告Cなどは図面まで記載して説明していたことを、数日ならずして安易にこれを覆している。

なお、原告らの供述を全体的にみれば、殺害後、被害者の荷物や着衣を一旦集めたのは、犯跡を湮滅するために、死体とともに埋めようと意図したもののようにみえるところ、土が固くてそれが実現できなくなった後、何故に、最初に被害者のパンタロン等を脱がせた位置にまで持って行って捨て、荷物は東側市道脇の人目につきやすいところ(現に通行人がショルダーバッグを拾得しており、甲野らも通行中にこの荷物を目撃している)に置いたのか、右の意図との関係からみてもまったく理解しがたいことであり、原告らからは首肯しうる説明はまったくない。

このような供述の混乱、理解不能な放置状況が生じた原因は不明というほかはないが、現場の状況を前提として、取調警察官から説明を求められた原告らが、それぞれに思いつくままに体験に基づかない供述をし、尋問される度に適当に答えていたのではないかとの疑いを拭いがたい。

10  原告Aのがま口窃取に関する供述

(一) 原告Aは、被害者からがま口を窃取したとして起訴されており、同原告は二月一〇日に初めてこれを自供している。原告E、同B及び同CもAががま口を窃取し、あるいは所持していた旨の供述をしている。その概要は以下のとおりである。

(二) 原告E

原告Eは、先に述べたように、甲野から追及され、被害者の所持していたがま口をAが盗ったがAが独り占めしたから内容は判らないと述べており、その後の貝塚署での取調べでも、当初、Aが被害者のカバンの中から一〇cm位の大きさの緑色のがま口を見つけ、黙って右ズボンのポケットに入れて奪ったと供述し〔甲二三三―1.27員面(G警察官に対するもの)〕、その後も、Aが被害者の荷物を調べ、がま口のような物を見つけてそれを盗ったといい(甲二四二―2.6検面)、さらに、Aがハンドバッグ(カバンと別のもの)から底の方が一〇センチ位の三角な形をした緑色のがま口を取り出し、「これ、わいもろとくわ。」と言って自分のズボンのポケットに入れたと供述して、そのがま口の図面を書いている(甲二四〇―2.10員面〔右図面が添付されている〕)。

(三) 原告B

原告Bは、当初から、本件犯行現場から逃げた際、Aが女物の緑色のがま口を持っているのを見たと述べていたが(甲一二四―1.27員面)、その後、本件犯行現場から二色の浜駅へ帰る途中、Aが、自分私やDに縦・横五ないし六cm位の手の掌に丁度乗る位の青っぽい財布を見せて「あの女が持っとった財布や、持ってきたんや。」と言ったのを覚えていると供述している(甲一二六―2.9員面、甲一二七―2.10員面、甲一三一―2.13検面)。

(四) 原告C

原告Cは、当初、Aが被害者のカバンを開けて一〇cm位の大きさの緑色のがま口を見つけ出して、「これ、俺がもらっとく。」と言って、ズボンのポケットに入れたと供述し(甲一六一―1.27員面)、次いで、Aがカバンの中からグリーン色のがま口を出して、自分に手で合図し、側に言ってみると、Aが丸い型で幅一〇cm位のグリーン色のがま口を持っており、「これ俺がもろとくわ、黙っておいてくれ。」と言って見せたうえ、ズボンの後ろポケットに入れたと供述し、その図面を書いている〔甲一六三―2.3員面、甲一六九―2.5検面、甲一六六―2.9員面(右図面が添付されている)、甲一六八―2.15員面〕。

(五) 原告D

原告Dは、Aが被害者の荷物を持って来させて見ていたとは述べているが(甲一四六―2.10員面)、それ以外にはがま口に関する供述は一切していない。

(六) 以上のような他の原告らの供述に対し、原告Aは、当初、Cがショルダーバッグを開いてがま口を見ていたが、そのままバッグに入れ他の荷物と一緒にどこかに隠したはずだとか(甲一〇六―1.30員面)、Cが被害者の足の方に落ちていたショルダーバッグから一〇×一五cm位のがま口を取り出し見ていたので隠しとけと言ったと供述していたが(甲一〇八―2.3員面、甲一〇九―2.4員面)、後に、ショルダーバッグに直径一〇cm位で真丸ではなく、底の方が少し広くなった青色のがま口が入っており、中を見ると現金が入っていたので、そのがま口を自分のズボンの右ポケットに入れたが、EやCも見ていたと思う旨供述し、原告E同様にそのがま口の図面を書いている〔甲一一一―2.10員面(右図面が添付されている)、甲一一七―2.14検面〕。

(七) 右のとおり、この点に関する原告らの供述は、がま口を窃取したとされる原告Aとそれ以外の原告との間で大きく食い違っており、その限りでは、原告A自身も述べている(2.10員面、2.14検面)ように、責任が加重されることを恐れて同人が虚偽の供述をしていたに過ぎないとみる余地がある。

しかし、原告A以外の原告らの供述を子細にみると、それぞれに疑問がないわけではない。

原告Eは、甲野から追及を受けた段階からがま口をAが盗ったと言い続けており、その点では一貫しているが、甲野に強要された疑いがあるし、取調警察官に対する供述についても、原告Eの供述からすれば、右がま口を詳細に見る機会があったとは考えられない同原告が、被害者の母乙山秋子(甲二〇二)の書いた図面と極めて類似した図を画いている点において、取調警察官の誘導が疑われる。

原告Bの供述は、原告A及び同Dと全く符合しないし、原告Aがなぜわざわざ盗ったものを見せる必要があったのかも疑問である。

原告Cの供述も、原告Aががま口を盗るのをなぜわざわざ原告Cに告げるのか理解できない。

しかも、原告Aの供述についても、がま口の存在自体は否定せず、当初は、Cのせいにしようとしながら、一転して、EやCが見ている前で窃取したと供述を変えており、そうであれば否認を続ける意図が理解できないことになり、その自供内容には不自然さがある。

(八) これらの供述の疑問点に加え、自白し、それが任意のものであるとすれば、投棄場所についてだけ虚偽の供述をするとは考えにくいのに、原告Aの示す投棄場所は必ずしも発見の困難な場所ではないにもかかわらず、捜索をしてもがま口が発見されなかったことは、右供述の真実性に疑問をいだかせる要因となることは否定できない。

すなわち、原告Aの供述によれば、同原告は、在中金を取り出したうえ、空のがま口を逃走途中、近木川に架かる昭永橋のうえから川原に捨てたというのであるが(甲一一一―2.10員面)、右投棄場所は川の中ではなく、土手になった川原であるところ、捜査員らは現場において原告Aに指示させたうえ捜索しているが、結局発見するに至っていない(甲六八―2.20付実況見分調書)。仮に同原告の供述するとおりであるとすると、投棄場所が橋の下の川原であり、がま口がせいぜい10cm程度の小さいものであり、しかも空であることからすれば、通行人等に拾得される可能性は低いと考えられ、綿密な捜索にもかかわらず発見されなかったことは不自然である。

11  原告Cの手の瘢痕に関する供述

(一) 原告Cは、前記のとおり、被害者の首を絞めたとき、同女から両手の甲に爪を立てて引っ掻かれたと供述している〔甲一六一―1.27員面、甲一六三―2.3員面、甲一六九―2.5検面、甲一六五―2.8員面(図面添付のもの)甲一七〇―2.11検面〕。

原告Aは、本件犯行後自転車で逃げるときCが「手がヒリヒリする、かじられた。」と言っていたので、被害者の首を絞めるときに爪で引っ掻かれたことが判った旨供述し(甲一一七―2.14検面)、原告Dは、犯行の翌日の一月二二日にCとBと自分の三人で風呂に入ったとき、Cが両手の表側を二人に見せながら「しみるかのぉ。」と言うので見ると、最近できたような引っ掻き傷があり、Cは「あの時の傷や。」と言っていたと述べ(甲一四六―2.10員面)、原告Eもほぼ同旨の供述をしている(甲一三一―2.13検面)。

(二) 先に検討したように右の瘢痕を被害者の爪により生じたものと断定することには問題があり、原告Cが被害者の首を絞めたときの供述の変遷やその後原告らがいずれも右供述を翻していることからしても、右各供述の真実性には疑問がある。

12  小括

以上に検討してきた原告らの供述は、本件犯行との関係で重要な事項に限定し、かつ、多数者の犯行などによくみられる他者の行為に対する誤解や記憶違いなどが生じやすい事項を除外したものであり、原告らの供述の混乱、変遷は、他にも、姦淫の順序や逃走経路など、数多くの場面でみられる。

右に分析した主要な部分に限ってみても、原告らの取調警察官に対する各供述には、①特異な経験として短期間のうちに忘れるとは考えにくい事項について原告らの間の供述が一致していないもの(輪姦の順序の取決め)、②誤解することなど想定しにくい特異な自己体験についての供述が二転三転しているもの(原告Eの本件ビニールハウス侵入状況の供述、被害者の後を自分もつけて行き先回りしてAらと合流したという原告Bの供述、本件ビニールハウス内で被害者を皆で取り囲んで着衣を脱がせたという原告Dの供述、高菜畑の中まで逃げる被害者を追っかけてAらが裸にした被害者の陰部に触ったという原告Bの供述、被害者の遺留品を集めたり投棄した状況に関する原告Eと同Cの供述)、③具体的に情景描写までして供述し、あるいは図面を記載するなどして説明していたことを変更しているもの(本件ビニールハウスへのEの侵入状況に対する原告Cの供述、被害者を捕まえる前のAの行動に関する原告Cの供述、被害者の荷物を捨てた点についての原告Cの供述)、④認識困難なことがらをいかにも見たり聞いたりしたように説明したり、さらにそれを変転させているもの(被害者を拉致する際のカッターナイフの突きつけや脅迫言辞の認識に関する原告Eの供述、被害者の荷物の投棄についての原告Cの供述)、⑤他の原告らが述べていないにもかかわらず自己に不利な供述をしているもの(殺害の実行行為についての原告Cの当初の供述)、⑥内容的に不自然な供述をしているもの(Aが盗ったがま口を見せたとする原告Bの供述、Aががま口をとる際にその旨を告げたとする原告Cの供述、がま口窃取を否認する原告Aの弁解)など、容易に看過しがたい問題点が極めて多い。

被告国は、本件が五名の共犯者による強姦、殺人という複雑で激情的な要素を有する事案であることから、犯行の経緯、犯行現場及び犯行状況等について、共犯者間の供述にある程度の不一致あるいは変遷があったとしても不自然といえないと主張する。たしかに不一致や変遷が一定程度にとどまる限りは、右はもっともな指摘であり、木をみて森を見ないような些細な供述の齟齬をあげつらうことはかえって真実を見誤る危険があることは十分に留意されなければならない。

しかしながら、前記のような原告らの供述の変遷、変転、相互の供述の食い違いは、程度の問題として許容される範囲内にあるとはいいがたい。

それに加え、本件刑事事件においては、これほどまでに供述が変転しているのに、捜査段階における供述調書には、その理由についてほとんど記載がないことも不可思議といわなければならない。原告らが首肯しうるような弁明をしなかったから記載しなかったのか、取調警察官がその点の追及をしていなかったのかは明らかでないが、いずれにしても合理的な理由のない供述の度重なる変転は、原告らの供述が自己の体験に基づかないものである疑いを示すものであるし、少なくとも自白の強要の存在を窺わせるものである。すなわち、そのような自己の体験に基づかない事実、客観的に認識しえないような事実、あるいは何度も変更しなければならないような記憶の鮮明でない事実をこれほどまでに供述し、そして、最終的には外形的に明らかな事実と概ね合致し、かつ、最初に逮捕された原告Eの供述あるいは主犯とされた原告Aの供述にほぼ一致するようにほとんどの供述が収斂していっていることを直視すれば、そこに取調警察官の誘導や押し付けなどの契機を見出すことはさほど困難なことではない。

13  秘密の暴露について

なお、自白の真実性を判断するにあたっては、いわゆる秘密の暴露が自白に含まれているか否かが重要である。そして、被告国は、原告Eの甲野に対する自白において、Eが被害者に砂をかけた事実を告白している点は、秘密の暴露に該当すると主張している。しかるところ、甲野は、一月三一日付の員面(甲三六)において、Eから聞いた話だけしか知らないとの前提で、被害者に砂がかけられていたことを述べている。しかし、被害者の母である乙山秋子は、同日付員面(甲二〇二)において、「私は娘が殺されたということを警察の人が知らせてくれ、………冬の寒い時、夜中に裸にされ強姦され、裸のまま寒中の中に放られ砂をかけられていたということを聞き………」と供述しており、一月二二日の実況見分で被害状況を認識していた警察官が砂をかけられていたことを被害者の母親に告げていることが認められるところ、母親にのみ右事実を告げ、内縁とはいえ被害者の夫である甲野に右事実が伝わっていなかったと断定することまではできないから、右事実を秘密の暴露と評価することは困難である。

また、被告国は、原告Eが逮捕当日に、被害者の所持品の中からAがグリーンのがま口を盗ったという自白についても、少なくとも取調警察官との関係では秘密の暴露にあたると主張する。しかし、N警察官は、一月二三日に被害者の所持品について両親から事情聴取しており(丙九)、がま口がなくなっていた事実を把握していたことは承認しつつ、どんな形状であったかなどについては現在記憶していないと述べている(証人N)。被告国は、N警察官の右証言をとらえ、かつ、本件犯行が猟奇的なものであり、財物窃取を目的とした犯行ではなかったことから、N警察官は「グリーン」のがま口であると個別具体的な特徴まで認識していなかったものとして、右のような主張をするものである。しかしながら、右事情聴取から一三年後の本件での証言時に記憶していないからといって、その当時も捜査していないといいえないことはいうまでもないし、本件犯行が右のような特殊な事案であったとしても、被害品の大まかな特徴程度のことについて事情を聴取していなかったとは考えにくく、被告国の右主張も採用できない。

その他、本件においては、原告らの供述中に秘密の暴露に該当する事実はいずれも認められない。

四  被告府の違反行為について(争点1)

1  暴行等の有無に係る供述の検討

原告らは、被告府の公務員である警察官らから本件刑事事件の取調べにあたって暴行等を受け、これにより意に反する自白をさせられたと主張する。

そこで、まず一において、右事実の有無を判断するため、原告らの取調べをした警察官らの行為に関する原告らの言い分を整理・検討したが、その結果は、原告らの本件刑事公判及び当裁判所での供述は、不自然なものとして排斥することはできないが、さりとて全面的に信用するに足りるものとも認めがたいものであった。他方、取調警察官らの供述は、小一時間くらい正座させたことを認め、弁護人との面会後の自白の撤回に対し叱ったり大きな声を出したことを認めるなど、原告らの主張に沿う部分もわずかだが存在するとはいえ、信用性について疑問を拭えない部分もあるものの全体としてみれば、原告らの主張するような暴行を否定する趣旨は明確であり、また、右否定を虚偽と決めつけるだけの矛盾点などは見出せない。

したがって、原告らと取調警察官らの供述の対比からは、暴行の可能性は窺われるものの、原告らの主張を認めるまでには至らない。

2  間接的な証拠の検討

そこで、次に二及び三において、間接的に取調べの実態を知る手掛かりとして、本件に関する物証の検討、評価をし、また、原告らの取調警察官に対する供述の内容の分析を試みた。

その結果は、先に詳述したとおりであり、物証の検討からは、本件刑事事件は、原告ら五名が全員姦淫して射精したとして構成されており、多数の遺留品や証拠物の存在する事件でありながら、原告らのいずれについても、本件犯行との結びつきを認めうる物証が発見されず、原告らの本件犯行への関与を断定できないとするに止まらず、むしろ、本件刑事事件における具体的状況に照らすと、物証の不存在の集積からは、原告らの不関与を積極的に肯定する余地があり、無実である可能性が高いと評価された。

また、原告らの取調警察官に対する供述の分析からは、その自白の信用性が小さい(秘密の暴露を見出すこともできない)ことが明らかとなり、取調警察官の誘導や押し付けなどが疑われた。

3  無実性を疑わせる事情の検討

検察官が依拠する前記各証拠を別にしても、原告らの有罪を窺わせる事情が存在しないわけではない。すなわち、①原告らは、取調警察官に対して自白しただけでなく、勾留質問での裁判官、家庭裁判所の調査官や少年鑑別所の係官などに対しても自白し(乙三二ないし三五の各枝番2)、②原告Cは、私選弁護人である岡本弁護士との接見において、当初、犯行を認める趣旨の供述をし(証人岡本)、③また、原告Eは、懲役一〇年という重い刑の宣告を受け、他の原告らが全員控訴しているにもかかわらず、一人控訴せず服役していることなどがあげられる。

しかし、①については、前述のとおり、原告らが関係機関の違いについてどの程度の認識をもっていたか不確かなところがあり、警察官による取調べの影響の払拭がなされていたかについても、これを明確に否定できない。

また、②については、当初の接見は原告Cと弁護人との面識がない状況で行われたものであり(証人岡本)、信頼関係も十分に確立されていなかった段階のものであると推認され、しかも、原告Cの供述によれば、警察官から弁護人との接見に関して釘をさされていたのではないかとの疑いもある。したがって、右の二点から原告らの本件犯行への関与を推認することはできない。

これに対し、③については、原告Eは、祖母が高齢であり、控訴して争うよりも早く服役して出所する方がよいと思ったとか、親族に控訴せずに服役するように言われたとかの趣旨の説明をしているが、刑期が長いことから考えても、無実であるのであれば、本件刑事第一審判決に直ちに従って服役するというのは容易に理解しえないところがあり、この点は、原告Eのみならず、同原告が共犯として名指しした他の原告らについても、その無実性に大きな疑問を投げかけるものである。とはいえ、原告Eには、原告らの中でもとりわけ知的能力の程度が劣り、表現力にも乏しく、最初に甲野に自白したなどの事情があり、それらの影響もあってか、同原告の親族らは、本件刑事事件の捜査及び審理の当時から、同原告の犯行への関与を疑っていたふしがあり、そのような状況に追い込まれていたことと、警察官の取調べの態様、本件刑事第一審判決が有罪と認定したことなどがあいまって、同原告が周囲の勧めに従って服役したと解することもでき、同原告の無実と矛盾するものとまで断定することはできない。

したがって、原告らの無実の可能性についての前記認定判断は、これらの事情によっても動かされるものではない。

4  まとめ

以上のとおり、暴行等の有無に係る原告らと取調警察官らの供述からは、直ちにその事実を認めることはできないが、少なくともその可能性は窺われるうえ、物証の検討からは、原告らが無実である可能性が高いと評価され、暴行等による自白の強要が推認されるということができ、また、原告らの自白供述の変遷等からも、取調警察官の誘導や押し付けなどが疑われ、右推認を裏打ちするものとみることができる。

原告らの自白の契機は、必ずしも暴行のみとは限らず、例えば、原告Aの場合、前記認定の事実経過にみられるように、否認を続けていたが、共犯者とされる他の四人が全部自白していることを告げられて追及されたことや、否認しているにもかかわらず裁判所が勾留を認め、警察官からも否認しても無駄であるなどと言われたことに自暴自棄になって自白するに至ったと解する余地もある(もっとも、右事実は、他の契機の存在の可能性を示すものにすぎず、暴行の存在を否定する事情となるものではない)。また、原告Eについても、警察に連行される前の甲野の態度(甲野自身、「Eが私に殺されると思って……表情が手に取るように判りました。」と述べている―甲一七九)が強く影響していた可能性も否定できない。

しかし、原告Aや同Eについての右のような事情は、いずれも初期の自白の誘因としては重要であるが、先に検討したような自白の変遷に影響を与えているのは専ら取調べを担当した警察官であるといわざるをえないし、その他の原告らについては、警察官の取調べ以外に考慮するべき事情はない。

そして、原告らが自白し、途中で一時自白を撤回したり、自白内容を変化させつつも、結局においては自白を維持し、最終的に公訴事実に係る事実の自白をするに至った最も大きな原因は、警察官の取調べにおける対応にあったといわざるをえず、その主要なものは、原告らがこもごも供述するような暴行を含めた自白の強要であったと推認する以外にない。

そうすると、原告らの取調べをした前記各警察官には、原告らに対し、暴行を加えるなどして、意に反する自白を強要した点において違法な行為があったと認めるのが相当である。もっとも、先に検討したように、暴行等に関する原告らの供述は、各場面について、前後の事情や暴行の態様などの説明がいささか画一的であったり、本件刑事裁判から民事裁判までの一五年にも及ぶ長期間にわたる数度の供述の過程において、供述内容の変動や誇張などもみられることやその他先に認定したような諸事情を考慮すれば、原告らが主張するほどの暴行があったことまで認めるのは妥当でなく、いささか割り引いて考えざるをえない。なお、本件刑事事件は、捜査機関の解釈によっても有罪に結びつく物証が乏しいのであるから、有罪立証は被疑者の自白による相互補強に頼ることになりがちであるが、その危険性はしばしば指摘されるところであって、その取調べにおいては、任意性、信用性を維持しつつ行うように留意すべきであった。加えて、本件取調当時、原告Aは成人したて、その余の原告らは少年であり、しかも、知的能力が相当劣ることが一見してわかり、そのことは取調べに当たった警察官らも認識していたことが推認されるのであって、本件刑事事件における原告らの取調べにおいては、より慎重に任意性等に配慮して取調べがされるべきであった。このような事情に鑑みても、本件刑事事件における前記各警察官の原告らに対する取調べは、相当性の程度を逸脱するものであり、違法であるといわざるをえない。

五  被告国の違法行為について(争点2)

1  起訴違法について

原告A、同B、同C及び同Dは、本件刑事控訴審で無罪となって判決が確定し、原告Eは、有罪判決が確定したものの、本件刑事再審により右判決が取り消され、無罪となったものである。

刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるわけではなく、検察官が起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったときは、検察官の公訴の提起は、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為に当たらないと解すべきであり、この点は、有罪確定判決が再審により取り消され、無罪判決が確定した場合においても異ならないと解するのが相当である(最高裁昭四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁、最高裁昭和六二年(オ)第六六七号平成二年七月二〇日第二小法廷判決・民集四四巻五号九三八頁参照)。

2 証拠判断の合理性について

そこで、検察官の本件刑事事件の公訴提起に関し、証拠資料を総合勘案して、有罪と認められる嫌疑があるとした判断過程に合理性がないといえるかについて検討する。

(一)  原告らの捜査段階における供述の任意性及び信用性に関する検察官の判断の合理性

既に判示したとおり、本件刑事事件は、原告ら五名が共犯として起訴されたが、原告らは、捜査段階では、いずれも最終的には公訴事実に沿う事実を自白し、その自白を録取した供述調書等は、証拠上、原告らの各公訴事実について、相互に補強するものとなっていた。そして、公判での審理を経て、本件刑事事件一審では右原告らの自白の任意性、信用性が肯定されることを前提に有罪判決がされた。

しかし、本件刑事控訴審判決及び刑事再審判決では、右原告らの自白についての任意性、信用性に疑問があるとされ、結局、有罪の認定はなされなかった。右の点については、先に詳細に判示したとおりであり、原告らの警察における取調べの過程においては、警察官による自白の強要、誘導がされたものと認められ、このような状況の下で自白がなされ、それが、検察官の取調べ、裁判所の勾留質問等でも維持されてきたものであって、それらの自白が任意性・信用性に欠けるものであることは明らかである。

検察官は、右自白供述が任意性・信用性を有するとして起訴したものであるが、その判断資料としては、以下の諸事実ないし事情が根拠となっているものと考えられるところ、これらを総合すれば、検察官の右判断に合理性がないとはいえない。

(1)  五名の共犯者が夜間ひとり歩きの女性を襲って強姦し、殺害したという被疑事件の性質に鑑みれば、被疑者の間で、供述の不一致があり、捜査が進むに連れて次第に変遷していくことがあったとしても、直ちに不自然とはいえないと解され、本件刑事事件では相当程度の供述の変遷、変転があったが、概ね公訴事実を裏付けうる程度に収斂していた。

(2)  先に詳細に検討した結果をみれば、原告らの自白の変遷や不一致点などについては、その不自然さについて十分な注意が向けられるべきであったが、供述の変転等による信用性の判断には微妙な要素を含むのであり、検察官の判断において、原告らの当時の生活態度などの諸要素もその一資料として評価されることはありうるから、形式的な矛盾だけで信用性を否定すべきであるとはいえず、前記のような諸問題点の存在にもかかわらず、信用性に欠けることが明らかであったとまでは断定できない(ちなみに本件刑事第一審と刑事控訴審で裁判所の判断も分れている)。

(3)  前認定のとおり、原告らに外面上暴行を受けた痕跡は残っていなかったうえ、原告らは、警察官から暴行を受けている事実を検察官に訴えておらず、弁護人もまた検察官へ抗議するなどしていなかったのであって、警察官の暴行等による自白の強要の事実について検察官が認識する契機が存在しなかった。

(4)  そして、検察と警察は独立した機関で、警察官が適法な捜査をすることは当然のことであり、検察官としても特段の事情がない限り、警察官が適法に捜査をしているものと信じ、それを前提に行動しても不合理とはいえないと解するのが相当であるところ、本件刑事事件では、検察官が警察官の暴行事実を疑うべきであるとするほどの事情は認めるに足りない。

(5)  むしろ、原告らの中には、検察官に対し、警察官に供述した以上のことをよどみなく供述している部分もある。

(6)  被害者の死体解剖結果の鑑定書(甲一一)による被害者の死因、姦淫行為の存在及び死亡時刻が、原告らの自白内容と矛盾しなかった。

(7)  被害者の母の供述調書(甲二〇二)等から推認される被害者の本件犯行当日の犯行現場付近までの足取り、時刻などが原告らの自白内容と矛盾しなかった。

(8)  鑑定書(甲四五、四六)により、被害者着用のオーバーコートに付着していた頭毛のうち一本は、原告Aまたは同Bのものと推定され、同じくパンタロンに付着の頭毛一本は、原告Bのものと類似するとの結果が得られていた。

(9)  原告Cの手背部に傷があり、その成傷時期を本件犯行時期の前後とし、かつ、被害者の爪等によって引っ掻かれたことによっても発起可能であるとの鑑定書が存在し(甲五二)、他方、被害者の解剖時に採取された両手の爪(右拇指爪、示指爪)に血痕少量付着(ヘモグロビン陽性)が認められたとの検査処理票(甲四七)が存在した。

(10)  これらの証拠は同時に右原告らの自白を補強した。

(二)  物証等((一)で触れたものを除く)の証拠評価等に関係しての検察官の公訴提起の判断の合理性について

(1)  ここでも、被害者の膣内から検出された体液、被害者が着用していたオーバーコートの裏地に付着していた斑痕、被害者の両乳房から検出されたプチアリン反応を示す体液の血液型はいずれもA型を示していたという点が問題であり、これらは、原告らの関与を裏付けないという以上に、原告らの本件犯行への関与に積極的な疑問を呈する事実と評価されることは先に判断したとおりである。

検察官は、そのような評価をすることなく、それゆえに公訴を提起するに至っているのであるが、その判断が合理性を欠くかが検討されなければならない。

そこで、検察官の公訴提起の際の状況についてみるに、本件公訴を提起した検察官であった証人立岩の証言によれば、同検察官は、被害者の膣内から検出された体液に関する検査結果を知っていたが、科学捜査研究所の専門家である技官に右の結果について電話確認したところ、一般に残っている精液の量が少なければ精液の型の反応は出ないで被害者の膣液の型の反応が出る場合もあると考えられ、あるいは、本件犯行では畑の土が被害者の膣内に押し込まれていたので、その影響で精液が分解されるなどして、その血液型が出ないで被害者のものが出ることも考えられ、したがって、被害者の血液型が出たとみても不自然ではないとの説明があったこと、同検察官は、五人の犯行であるとしても、原告らの当時の生活状況からの推測で、性行為を数多くしていれば精液の量も少ないだろうと思い、右説明を了解したこと、また、同検察官は、被害者が着用していたオーバーコートの裏地に付着していた斑痕から体液様のものが検出され、これもA型が検出されたとの報告を受けていたが、この点についても右と同時に技官に問い合わせたところ、体液等の混合物であって、被害者の体液が強く出てそれが優先的な値を示すことが考えられるとの説明を受けたこと、さらに、同検察官は、被害者の両乳房から検出された体液の検査結果についても承知していたが、同じく科学捜査研究所に照会したところ、唾液の量の問題があり、被害者の汗、体液が唾液よりも強く反応して、被害者の血液型が出る場合があるとの説明を受けたこと、がそれぞれ認められる。

よって、立岩検察官は、右各物証は、原告らの有罪立証の証拠とならないだけで、原告らの不関与を示す証拠にもならないと判断したものと推認される。

ところで、既に原告らの無実の検討の項で示したとおり、結論として科学捜査研究所の右見解によって右の疑問点を説明できる可能性は低いとみられるのであるが、このような結論は、本件刑事第一審、刑事控訴審、刑事再審の審理の過程において、これらが主要な争点となって数々の証拠が収集され、別の立場や角度からの専門家の意見や知見を得た結果、ようやく得られたものであって、起訴を決定した時点においては、右のような見解しか示されず、しかも、一応の説明として納得できる面もあったとみられるから、立岩検察官が先のような判断をしても、必ずしも不合理ではなかったというべきである。

(2)  次に、原告らの指掌紋及び足痕跡が発見されなかった点については、証人立岩の証言によれば、同検察官としては、本件現場がきれいな指紋を取れる場所でなかったこと、被害者の所持品についてもきれいな指紋が残るような材質でなかったことから、原告らの指紋が残らないことはごく普通のことであると考えたこと(その点は、先の認定のとおり、当裁判所としても是認できる)、現場から採取された足跡が古かったのではないかとの疑問があり、原告ら自身、逃走前に犯行当時の足跡は消したと供述していたこと、犯行から何日か経っていたことから犯行当時の履物が正しく把握できなかったのではないかと判断していたこと、一般に現場から犯人の指掌紋や足跡が発見されないことは珍しくないから本件刑事事件が特異であるとは考えなかったこと、が認められる。また、原告Eらの履物に付着していた土と現場の土壤の同一性が認められなかった点についても、ほぼ同様の判断がされたものと推認され、右検察官の判断は、不合理ではないというべきである。

(3)  現場付近及び被害者の着衣から採取された毛髪の点、原告Cの手の甲の傷に関する点及び原告A方から押収されたカッターナイフの点について、証人立岩の証言によれば、同検察官は、毛髪については、被害者のオーバーコート付着の毛髪は原告Aまたは同Bのものと推定され、被害者のパンタロン付着の毛髪は原告Bの毛髪に類似するとの鑑定結果があり(甲四五、四六)、原告Cの手の甲の傷については、原告C自身が検察官に対して首を絞めたときに被害者に引っ掻かれたと供述し、検察官に対しては原告Dとの力比べによりできた傷であるとの訴えをしておらず、また、右傷は、実況見分(乙二一)のほか、大阪大学医学部の四方教授の鑑定にも付されて、被害者の爪などによって掻かれたことによっても発起可能であるとの鑑定結果が得られ(甲五二)、その経過も同検察官に報告されており(乙二三)、カッターナイフについては、原告Aの事前説明と押収されたものとは大きさ、形状がほぼ一致していたし、その他の一致しない点も常識的範囲内の誤差であると考え、いずれも有罪を立証する証拠となりうると捉えていたことが認められる。

そして、右各証拠や事情の存在に鑑みれば、立岩検察官がその程度の認識はともかく原告らにとって不利な証拠であると判断した過程に不合理はないというべきである。なお、原告Cの手の傷の原因は刑事公判段階で激しく争われ、その過程で得られた証拠により、結果としては、右検察官の判断が積極的に採用はされなかったのであるが、起訴当時は先の嫌疑が存在したから、右判断の合理性を否定するものではない。

(4)  被害者の所持品で原告Aが窃取し、投げ捨てたとの容疑をかけられたがま口が未発見であるが、立岩検察官は、夜間に投棄したためにどこに落下したかが必ずしもはっきりしなかったこと、川に流された可能性があったこと、草に引っ掛かって人が拾うこともありえたことなどから、発見できなくても必ずしも供述の誤りを意味しないと考えたことが認められ(証人立岩)、右判断は不合理とはいえない。

(三)  原告らのアリバイの検討等に関係しての検察官の公訴提起の判断の合理性について

原告らのアリバイについて検討するに、当初、原告Aから同人と原告Eのアリバイ主張があり、畑田はこれに沿う供述をし、原告Cから同原告と原告B及び同Dのアリバイ主張があり、北口広江が右に沿う供述をしていたこと、原告らは後にアリバイ工作をしたことを認め、これを裏付ける関係者の供述が得られたことなどに照らせば、原告らに犯行当日のアリバイがないとした立岩検察官の判断に合理性がないとはいえない。公訴提起の後に調べられた証拠をも考慮して検討しても、アリバイに関してはなお真偽不明というほかないから、同検察官が公訴に踏み切ったことに対しアリバイを理由に合理性がないということができないのは、一層明らかである。なお、アリバイ証人に対する警察官及び検察官の取調べについては問題とする余地もなくはないと思われるが、右結論を左右するに足りるものではないと解される。

(四)  尽くすべき捜査がされていないことと起訴の合理性について

原告らは、アリバイ証人の関係でのタクシー会社への裏付け捜査、被害者の悲鳴と思われる声を聞いた者へのさらなる捜査、前記のとおり本件現場から採取された陰毛と被害者の陰毛との異同についての捜査等を尽くしておれば、公訴提起すべきでないことの証拠を収集できたとの趣旨の主張もしているが、これらの捜査が必ずしもそのような結果をもたらすものとは認められず、判断の合理性の有無を直ちに左右するものではないというべきである。

3 まとめ

以上検討したとおり、本件刑事事件起訴時における各種の証拠資料を総合勘案するに、検察官が公訴提起にあたり有罪と認められる嫌疑があると判断した過程に合理性がないということはできないから、検察官の本件刑事事件の公訴提起が国家賠償法一条一項にいう違法な行為に該当するとはいえない。

六  原告らの損害について(争点6)

1  因果関係

被告府の警察官らは、前記違法行為により、原告らに自白を強要したものである。そして、本件刑事事件の証拠全体をみると、原告らの自白及びそれらによる相互補強がなければ、本件刑事事件の公訴提起及び公判維持は極めて困難であったと推測されるから、右自白強要により作成された自白調書を中心的な証拠として公訴が提起され、その結果原告らの身柄が拘束されたということができる。よって、被告府の警察官らによる原告らに対する自白の強要行為と本件刑事事件における未決(原告Eについては既決も含む)の身柄拘束との間には相当因果関係があると認められる。

2  身柄拘束期間

前判示の事実及び証拠(乙一、三)によれば、原告A、同B、同D及び同Cは、昭和五四年一月二七日に逮捕されてから無罪判決により昭和六一年一月三〇日に釈放されるまで、各二五六一日間身柄を拘束され、原告Eは、昭和五四年一月二七日に逮捕されてから昭和六三年六月二三日に仮出獄するまで、三四三六日間(うち一九九五日間は既決)身柄を拘束されたことがそれぞれ認められる。

3  刑事補償

これに対し、右事実及び証拠によれば、原告A、同B、同D及び同Cが昭和六一年三月一七日に各金一八四三万九二〇〇円の刑事補償の決定を受け(当時の法定最高額の一日当たり七二〇〇円で容認された)、原告Eが平成元年六月八日に金三二二九万八四〇〇円の刑事補償の決定を受け(当時の法定最高額の一日当たり九四〇〇円で認容された)、それぞれ右金額を受領ずみであることが認められる(後記計算表欄)。

ところで、右刑事補償は、原告らの未決勾留及び原告Eについてはさらに懲役刑の執行による補償として(刑事補償法一条)、裁判所により、拘束の種類及びその期間の長短、本人が受けた財産上の損失、得るはずであった利益の喪失、精神上の苦痛及び身体上の損傷並びに警察、検察及び裁判の各機関の故意過失の有無その他一切の事情を考慮して、補償金額が定められたものであり(同法四条)、右においては慰謝料的要素も考慮されているものである。

原告らは、被告府の前記違法行為による慰謝料を請求するものであるが、右の事情に鑑みれば、本件においては、右原告らの財産上の損害と慰謝料の合計から右刑事補償により取得した額を控除し、これによって不足する金額が本件国家賠償請求のもとにおいて認容されるべき上限と解するのが相当である(すなわち、右不足分が慰謝料のうちの未賠償部分となる。原告らは刑事補償とは全く別に全額の慰謝料請求ができるかの如く主張するが、採用できない)。

4  損害額の計算

以上を前提に、賠償されるべき損害の額について検討する。

(一) まず、原告らの財産上の損害については、身柄拘束期間において原告らが取得したであろう収入をもって損害とすべきところ、前認定事実及び弁論の全趣旨によれば、原告Aは昭和三二年一二月二六日生まれ、原告Bは昭和三五年一〇月六日生まれ、原告Cは同年九月七日生まれ、原告Dは同年五月三日生まれ、原告Eは同年一二月四日生まれであり、原告らはいずれも男子で最終学歴が中学卒業であることが認められるので、当裁判所に顕著な、賃金センサスの第一巻、第一表、産業計、企業規模計の小学又は中学卒業の男子の給与額を参考として、原告らが身柄を拘束された前記各期間に対応する各年度の賃金センサスの該当数値を積算して原告らが得たであろう平均的な収入に相当する金額を求めると、左記計算表(一)欄のとおりとなる。

(二) これに右認定の刑事補償決定があった時点までの年五分の割合の遅延損害金(損害は日々発生するものではあるが、便宜、年毎にかつ年数単位で計算すると)を加算すると、左記計算表(二)欄のとおりとなる。

(三) 他方、原告らが身柄を拘束されていた間は、生活費の負担を免れた部分が存在することも否定できないところ、前記収入の水準や原告らが独身であることなどを勘案すると、右得べかりし収入の五割を控除するのが相当である。そうすると、右各金額は、左記計算表(三)欄のとおりとなる(それぞれ(二)欄金額から五割控除のうえ一万円未満切捨て)。

(四) 次に、慰謝料について検討するに、右身柄拘束期間(前示のとおり原告Eについては未決勾留のみならず、懲役刑の服役も含む)のほか、被告府の違法行為の態様、原告らの年齢、身上、当時の生活態度、未決勾留と懲役刑の執行の違い等諸般の事情を考慮すると、右違法行為によって原告らが受けた精神的な損害を慰謝するための金額は、右各刑事補償決定があった時点において、原告A、同B、同D及び同Cについては各金一〇五〇万円、原告Eについては金一九七五万円と認めるのが相当である(左記計算表(四)欄)。

(五) そうすると、原告らの損害は、それぞれ(三)欄の金額と(四)欄の金額の合計であり、左記計算表(五)のとおりとなる。

(六) そして、それぞれ右損害額((五)欄)から支払ずみ刑事補償金額(欄)を差し引いて原告らの損害で賠償が未了の金額を求めると、左記計算表(六)欄のとおりとなる。

記計算表(金額単位は円)

項  目

A

B、C、D

E

刑事補償金額…

一八四三万九二〇〇

一八四三万九二〇〇

三二二九万八四〇〇

賃金センサス積算

…(一)

一八〇六万三〇三五

一五九四万二一七七

二三二五万三六七三

遅延損害金加算後

…(二)

二一三四万八五九三

昭六一年三月一七日

一八八一万三五九五

昭六一年三月一七日

二九三一万一四九八

平成元年六月八日

生活費控除後…(三)

一〇六七万

(右同時点)

九四〇万

(右同時点)

一四六五万

(右同時点)

慰謝料     …(四)

一〇五〇万

(右同時点)

一〇五〇万

(右同時点)

一九七五万

(右同時点)

損害合計   …(五)

二一一七万

(右同時点)

一九九〇万

(右同時点)

三四四〇万

(右同時点)

結論      …(六)

二七三万〇八〇〇

(右同時点)

一四六万〇八〇〇

(右同時点)

二一〇万一六〇〇

(右同時点)

5  まとめ

以上によれば、被告府が本件で賠償すべき慰謝料としての損害金は、原告Aに対し、金二七三万〇八〇〇円及びこれに対する昭和六一年三月一八日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金、原告B、原告C及び原告Dに対し、各金一四六万〇八〇〇円及びこれに対する昭和六一年三月一八日から支払ずみまで年五分の割合による各遅延損害金、原告Eに対し、金二一〇万一六〇〇円及びこれに対する平成元年六月九日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金となる。

また弁護士費用としては、右認容金額の約一割をもって相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。よって、原告Aは二七万円、原告B、同D及び同Cは各一五万円、原告Eは二一万円である。

七  結論

原告らの被告府に対する請求は、原告Aにつき金三〇〇万〇八〇〇円及びうち金二七三万〇八〇〇円に対する昭和六一年三月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員、原告B、原告D及び原告Cにつき各金一六一万〇八〇〇円及びうち金一四六万〇八〇〇円に対する昭和六一年三月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員、原告Eにつき金二三一万一六〇〇円及びうち金二一〇万一六〇〇円に対する平成元年六月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告府に対するその余の請求並びに被告国に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却する。なお、原告らの仮執行宣言の申立は、その必要がないものと認め、これを却下する。

(裁判長裁判官井垣敏生 裁判官清水俊彦 裁判官田中昌利は、転補のため、署名、押印することができない。裁判長裁判官井垣敏生)

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